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●初めての仲人での大失敗
披露宴もたけなわで酔いもまわり、司会者から仲人から一曲と言われ歌ったのが藤山一郎の「長崎の鐘」2番の歌詞で大失敗、途中で気づいて中断しようと思って司会者の顔を見たのですが気づいたようで、続けてのサイン。。。。
家内はかんかん、ヤカンで沸騰してました。
1 こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ うねりの波の 人の世に はかなく生きる 野の花よ なぐさめ はげまし 長崎の あゝ 長崎の鐘が鳴る 2 召されて妻は 天国へ 別れて一人 旅立ちぬ かたみに残る ロザリオの 鎖に白き 我が涙 なぐさめ はげまし 長崎の あゝ 長崎の鐘が鳴る 3 つぶやく雨の ミサの音 たたえる風の 神の歌 耀く胸の 十字架に ほゝえむ海の 雲の色 なぐさめ はげまし 長崎の あゝ 長崎の鐘が鳴る 4 こころの罪を うちあけて 更け行く夜の 月すみぬ 貧しき家の 柱にも 気高く白き マリア様 なぐさめ はげまし 長崎の あゝ 長崎の鐘が鳴る |
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2010年07月20日
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●だれがために鐘が鳴る
長崎の鐘
「長崎の鐘」とは長崎原爆の爆心地に近い浦上天主堂にあった<アンジェラスの鐘>のこと。
原爆で崩壊した瓦礫の中から出てきた唯一の天主堂の証でもあった。 33回忌の1977年に建立された動員学徒、女子挺身隊、徴用工、一般市民の原爆殉難者の冥福を祈るため掲げられた「長崎の鐘」
長崎市松山町の国際平和公園のほぼ中央部、長崎の鐘をかたどったモニュメントに添えられた碑文。
長崎の鐘よ鳴れ
長崎の鐘よ鳴れ 私達の両親を奪った 私達のからだをむしばんだ あの原爆が いかに恐ろしいものであるか あの戦争が いかに愚かなものであるか 長崎の鐘よひびけ 長崎の鐘よひびけ 地球の果てから 果ての果てまでも 私達の願いをこめて 私達の祈りをこめて 私は原爆爆心地から1.5kmのところに昭和25年〜36年まで住んでいました。 まだまだ、原爆の跡が今考えると残っていたようです。
三菱のコンクリートビルが崩壊したままの建物で何も知らず遊んでいました、
母がこの辺で人を火葬したとか、この川は大勢の人が「水、水と言って」飛び込んで亡くなったといっていました。
ビー玉で遊ぶ時に穴を掘るのですが熱線で焼け溶けたものが出てくるのです、当時は何も意識をしないのです。また雨が降ると溝は黒い流れになるのです。
数年前に釣りでたまたま同郷の15年上の人(その同郷の先輩は10歳ぐらいでしょう)から聞いたのですが原爆が落ちた瞬間に空が緑色になったそうです、爆風で木々の葉が舞ったのかと思いましたが2000度の光線の色だとすぐ理解しました。
悲しい話は語りつくせません。
「長崎の鐘」は永遠に語り繋ぐことを忘れてはなりません、特に長崎市は。
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●だれがために鐘が鳴る
社員の警鐘に敏感になれ
<言いたい放題>
社員の要求は警鐘と、継承との紙一重。
10年社員の平均年収400万として
400×10=4000万
を他の会社に持っていかれるかの瀬戸際ですョ
⇒世の中はそれで回っているから良しとするかがね。
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●だれがために鐘が鳴る
組織の警鐘に敏感になれ。
<言いたい放題>
①警鐘を鳴らす人が要るぐらいだから、
まだまだ余裕があるぞ。
②警鐘を鳴らす人を選択するようになるとチトヤバイ
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