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ご先祖の中将平時忠の長男である時実が源平戦い壇ノ浦で負け落ちた場所です。
妹が義経の妻、蕨姫(わらびひめ、生没年不詳)
明治までこの熊の神社の宮司でした。
今日は神社の周りの住居跡の探索を致しました。。
木の空洞に竹が2本
850年前ご先祖の住居跡。。。。
住居跡は竹林になっています。。。
蛇がいなくて良かったね。。。
■熊野神社(破籠井:わりごい)と百手(ももて)祭り
真津山地区破籠井町の熊野神社は、社格は村社、祭神は熊野権現である。 往昔、平家の将讃岐中将伊賀倉左近平時実の一族主従十一人人は、文治四年十月破籠井に落ちてきて定住することになった。
そのところが今の讃州谷(さんしゅうだに)である。建仁二年四月に至り、時実は平家の守護神である熊野権現を現在の山上野林に安置し産土神として鎮祭した。
降って元禄九年三月十四日、神祗官領長正三位左兵衛督部兼連から吉谷右近能成、神道裁許状を受け、茲来十数代吉谷弥門に至るまで神官として存続したが、明治三十九年吉谷弥門の死去により藤本喜代太が社掌となった。
初め建仁二年四月熊野権現を野林に安置、鎮祭し、元文二年潤十一月現今の地、野林山麓に移転し神殿、恐殿を新築した。寛政十年三月十九日神殿と拝殿を再建し、明治七年五月五日村社に列せられ同四十三年四月十九日七百年祭を執行し、境内に記念碑を建設した。毎年二月一日百年祭と称して悪魔払いをなし、九月十九日新穀祭を執行する。
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2011年12月20日
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