ふるさとのブログ

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昭和40年頃
 
もう一度みたい映画です。
 
 
 
世界映画史上、最大の超大作!
ソビエト映画「戦争と平和」


タイトルで“世界映画史上、最大の超大作!”となっているが、これは大げさな表現でなく、まじりっけなしの本当なのだ。超大作を得意とする過去・現在のハリウッドでさえも、ソビエト映画「戦争と平和」の規模にはおよばない。
「戦争と平和」は、現在のロシアがソビエト時代に国家プロジェクトとして制作された。国家予算を使って文豪レオ・トルストイの原作を、国家の威信を賭けて映画化し世界に公開した作品。
この国家プロジェクトを指揮したのは、「人間の運命」のセルゲイ・ボンタルチェク。ボンタルチェクは制作・監督・脚色・主演・ナレーションをこなすという天才ぶりを発揮した。
上映時間7時間半。公開された時、その巨大なスケール、内容の深さに世界の映画界は震撼した。

http://www.geocities.jp/qqppk513/war_and_peace.jpg

【物語】
時代は1805年のロシア、貴族の間ではナポレオンの話題でもちきりだった。ナポレオンはフランスの皇帝になりロシアに侵攻するのは時間の問題になっていた。貴族のアンドレイ・ボルコンスキーは、社交界は見栄とおしゃべりの退屈な世界であり、志願して戦争に行く決意をしていた。アンドレイには身重の妻リーザがいたが、リーザの反対もその決意を変えるものではなかった。
アンドレイの親友ピエール・ベズーホフは進歩的なナポレオンの思想を評価していた。ピエールは私生児であったがなにも人生の目標がなく生きているようで、毎夜悪友達と酒を飲みバカ騒ぎしている毎日であった。ある日ピエールは、社交界でも特に有名なロストフ家を訪れた。その中に13歳になったナターシャを見つけた。ナターシャは屈託のない少女で自由にその愛らしさを振りまいていた。その時、ピエールは自分とナターシャの運命を知るよしもなかった。
ピエールに父であるベズーホフ公爵が亡くなり、その遺言で財産はすべてピエールのものになった。
ナポレオンが侵攻し、戦争が始まった。アンドレイは戦地に赴く。ロシアの運命はどなっていくのか、またピエール、アンドレイ、ナターシャの運命は...。

【スタッフ】
原作: レオ・トルストイ
脚本: セルゲイ・ボンダルチュク/ワシリー・ソロヴィヨフ
監督: セルゲイ・ボンダルチュク
撮影: アナトリー・ぺトリツキー
戦闘シーン撮影: アレクサンドル・シェレンコフ/イォランダ・チェンユーラン
美術: ミハイル・ボグダーノフ、ゲンナジー・ミャスニコフ
音楽: ビャチェスラフ・オフチンニコフ
編集: タチアナ・リハチェワ


【キャスト】
ナターシャ・ロストワ: リュドミラ・サヴェーリェワ
アンドレイ・ボルコンスキー: ヴィヤチェスラフ・チーホノフ
ピエール・ベズーホフ: セルゲイ・ボンダルチュク
クトゥーゾフ将軍: ボリス・ザハーワ
ナポレオン: ウラジスラフ・ストルジェリチク
リーザ・ボルコンスカヤ: アナスタシア・ヴェルチンスカヤ
エレン・クラーギナ: イリーナ・スコブツェワ
アナトリー・クラーギン: ワシリー・ラノヴォイ
イリヤ・ロストフ伯爵: ヴィクトル・スタニツィン
ナターリャ・ロストワ: キーラ・イワーノワ=ゴロフコ
ニコライ・ロストフ: オレグ・タバコフ
ソーニャ・ロストワ: イリーナ・グバーノワ
マリヤ・ボルコンスカヤ: アントニーナ・シュラーノワ
バグラチオン将軍: ギウリ・チョホネリーゼ
プラトン・カラターエフ: ミハイル・フラブロフ


【制作データ】
企画から完成まで:
 1955年の企画から1967年の完成まで、12年の歳月を要した。
製作費:
 130億円(現在に換算すると480億円。映画「タイタニック」が2本作られる規模。)
使用フィルム:
  513万フィート(1,540キロメートル)。映写すれば約760時間(32日間映写しっぱなし)、
 「ベン・ハー」の4倍。
登場人員:
  595,193名。このうち、重要な役は36名。セリフのある役は599名。
セット:
  302。このうち、118はオープンセットで、最大のセットは、10万平方メートル、モスクワ炎上
  シーンのために作られた。その他オープンセットは、クリムリン宮殿、モスクワ、ペテルブルグ
  の町、ロシア軍の野営地、ボロジノのラエフスキー砲台、砦、ロシア貴族の庭園などが作られ
  た。
衣装:
  20,900着。ロシア、イタリア、フランス、オーストリア、ポーランド軍の征服、貴族の衣装、僧
  侶、農民の服、下着、帽子など47の工場で生産された。また、馬具や革製品など2つの工場
  で生産された。
美術品:
  257点。ソビエト国内外の博物館・美術館から保険をかけて借用した。協力した博物館・美術
  館は、エルミタール美術館、クリムリン博物館、トレチャコフ画廊、レーニン図書館、ノボジェビ
  チ尼僧美術館、ボロジノ戦闘博物館。いずれも国宝・重要文化財の絵画、彫刻、聖像、図書が
  貸し出された。
武器・車両:
  160門の大砲。8,000本の小銃、拳銃、刀剣を製造。205台の馬車、荷車、トロイカを
  製造。空中撮影のためにヘリコプター30機とジェット輸送機3機。他に無数のトラック、弾
  薬輸送車両、バス、乗用車、トレーラー、ブルトーザーを使用。52トンの発煙用火薬、23
  トンの銃火薬、16,600発の手榴弾、6,600発の発煙弾、4,500個の信管および導火
  線。40トンの灯油とガソリン(モスクワ炎上シーンは含まず)。
ボロジノの戦闘シーン:
  制作全体の3分の1に近い48億円が費やされた。これは「史上最大の作戦」を上回る数
  字だ。戦闘シーンはソビエト軍124,533名が35日間にわたり投入された。他に馬が35,0
  00頭。撮影で重傷者10名、軽傷、かすり傷など多数の負傷者が出た。
銃砲:
  フランス軍、ロシア軍がボロジノの戦闘で持ち込んだとおりに、フランス軍695門。ロシア軍5
  87門の大砲、手榴弾を準備。そのうち20門は博物館から借用した当時の本物を使用。3,0
  00挺の小銃、拳銃。7,000本の刀剣。
火薬:
  トラック12台分の発煙用火薬と輸送車8台分の銃火薬。9台分の白煙弾。
映画機材:
  テレビのリモコン指令装置つき70ミリカメラ7台を動員。このうち2台はボロジノの戦闘シーン
  のために開発された手持ち用。クレーン車5台、ヘリコプター3機。
モスクワ炎上シーン:
  モスクワ北東150キロの地点に2年をかけてオープンセットを建築。教会、官庁街、商店街、
  住宅を再現した。これをドラム缶40本のガソリンと50本の灯油をかけて炎上させた。

http://www.geocities.jp/qqppk513/war_and_peace3.jpg

【原作者 レオ・トルストイ】
本名は、レフ・ニコラーエヴィチ・トルストイという。1828年8月26日ロシア中部ヤースナヤ・パリャーナにトルストイ伯爵家の四男として生まれた。2歳で母を失い、9歳で父も失った。13歳の時に兄妹は親戚に引き取られた。肉親の死のために瞑想的な少年になると同時に、刹那主義的な心境のめりこむこともあった。16歳でカザン大学に入り2年で退学した。その後、3年間放浪の生活をモスクワで送った。1851年、兄のニコライをたよってコーカサスへ行き、自然の中で生活した。自然の中の生活で自分をとりもどし、文学を執筆するようになった。1862年結婚、妻と3人の子供に恵まれた。1869年から5年をかけて「戦争と平和」を執筆した。その後、「アンナ・カレーニナ」を執筆した。「アンナ・カレーニナ」の執筆中に3人の子供と2人の伯母を相次いで失い、妻までもが重態におちいる不幸に見舞われた。人間の不幸、人間の運命、人生の意義、真理とは何かという問題に苦悩する毎日が続いた。トルストイは文学を捨て、宗教に解決を見出した。愛と勤労の生活が唯一の真の生活であるという、トルストイ主義に到達した。晩年は放浪の旅に出て、病気にかかり、リャザン・ウラル鉄道のアスターポヴォ駅の駅長官舎で82年の生涯を終えた

【映画化の歴史】
「戦争と平和」は現在では映画化されなくなったが、映画草創期から1960年代にかけて映画制作者達の夢であった。帝政ロシア時代の1912年、サイレント映画で2人のプロデューサーが足掛け4年がかりで完成した。以来、アメリカ、フランス、イタリアの映画制作者達がいく度と無く企画したがトーキー、カラーで完成したのは、1956年のパラマウント映画。ディーノ・デ・ラウレンテス制作、キング・ビダー監督、主演オードリー・ヘプバーン、ヘンリー・フォンダ、上映時間3時間26分の1本だけである。

【時代背景】
「戦争と平和」の時代背景は、ナポレオン戦争で、ナポレオン率いるフランス軍が、ロシア侵攻した時。トルストイは戦争前の1805年6月から1820年までの時代を小説にした。ナポレオン戦争は、1805年から始まり1807年のティルジット講和を経て、1812年のフランス軍によるモスクワ占領から冬将軍による退却までを小説化している。

http://www.geocities.jp/qqppk513/war_and_peace4.jpg


【映画の制作】
クランク・インは1962年9月7日から入った。しかし、ヒロインであるナターシャが決まっておらず、ヒロインのいないままの撮影が1年続いた。ナターシャ探しはソ連時代の文部省が音頭をとり芸術関係すべての少女をあたった。これによりレニングラードのバレエ学校を卒業したばかりのリュドミラ・サベーリエワに決定した。後にサベーリエワは、ビットオ・デ・シーカ監督の「ひまわり」に出演した。
「戦争と平和」の映像化に関しては徹底した完璧主義が貫かれた。これは、トルストイの精神を伝えるためである。当時の芸術品、国宝級の品物であっても借用した。また、大道具、小道具、当時の社交マナー、衣装のヒダのとり方、机の中にある手紙まで当時そのままを再現した。
ナターシャとピエールが舞踏会で出会い踊るシーンには、巨大なセットを組み70ミリカメラを移動車に積み、車は椅子に付けるような車を取り付け移動撮影を行った。
映画のクライマックスになるボロジノ戦闘シーンには、ソビエト陸軍2個師団が投入された。撮影には70ミリカメラが5台使用され、クレーン、ヘリコプター、手持ち用カメラによる収録がなされた。
セルゲイ・ボンタルチェクの意図は、徹底的な歴史の再現とロシア人による小説の映画化はロシア人しかできないという精神である。戦争が人々に何をもたらすか、攻め込まれる国はどのような運命をたどるのか。戦争は、途方もないエネルギーの浪費である。戦争後に復活していく人々のたくましさを、ナポレオン戦争をつうじて映画化した。

【音楽】
「戦争と平和」の音楽を作曲したのは、ビャチェスラフ・オフチンニコフ。オフチンニコフは当時29歳。セルゲイ・ボンタルチェクにその才能を認められ作曲を依頼された。
アメリカ版「戦争と平和」の作曲をしたニーノ・ロータに負けないワルツを書き、ロシアの壮大さを表現した音楽を作曲した。演奏はオフチンニコフ指揮、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団と国立ラジオ・テレビ管弦楽団・合唱団。サントラ盤は公開当時、日本コロムビアから2枚組みLPが発売された。CD化はいまだにされていない。

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