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●Aさんの悩み
「目先の利益をとるか、先の利益をとるか」
試合では目の前の勝利ですが、今の現状は目先よりも先をとるほうがいいのではと 考えます。 年月とともに目の前に高く厚い壁ができてきたんでしょうね〜。乗り越えるもしくは、 打ち壊すには時間がかかりそうですね〜。 ●回答
正解です・・・・
大変素晴らしい指導者ですね・・・・ 物事の論理は平衡の上に立ってますね、現在の習慣と将来的に伝えていく伝統は次元が違うものです。 論理は過去・現在・将来の時間軸があり現在はその時間軸の一過性に過ぎず現在の論理が続くことは歴史的にみてもありえません。 世界の流れも同じで・・・・ 周期グラフと同じで頂点は一時的なもので過ぎてしまうと、次の頂点までの準備なのです、 そこには色々課題が発生に対し回避はできません、遅かれ早かれ誰かが課題の指摘・解決をすることになるのです。 目的は一つ・・・子供の健全な心身の育成です。 三位一体(子供、指導者、父兄)で組織がスムーズに流れるように持っていかないと、必然的に結果は出ようがありません。 前にも書きましたが組織としては重症です。 スポーツ精神の目的は物事は現場で考えて・現場で見て・現場で指示指導がセオリーです。 N先生の指導方法は純粋で子供達の目線を引き寄せる素晴らしいものがあり、企業ではPLでしょう。 一昔の反面教師との戦い・・・・目的の為に頑張れ。 |
■剣道部OB会
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NTT西日本旗争奪少年少女剣道大会(10月21日 日曜日)
中学 1チーム
小学 2チーム
一昨年は、数十年ぶりに中学の部で優勝
最近は、大会が毎週です。
<今日の指導>
1) 気の攻めと足裁き(前⇒後⇒前⇒後⇒前・出頭面打)
2) 気の攻めと足裁き(前⇒後⇒前⇒後⇒前・出小手打)
3) 気の攻めと足裁き(前⇒後⇒前⇒後⇒前・面に対する抜き胴)
抜き胴のときの足捌きは相手の体をぶつからないギリギリに、
右足を斜め45度で捌き、手の内を返す事で打突が勢いをます。
1)、2)、3)の共通Point
・常に攻めの気迫があると、相手の動きが見えるので、
気後れしないで有効な打突になる。
・気の攻めがないと、気後れし小手先の打突になり、
有効打突にならない。
4) 少々打突が不十分でも気合で一本にせよ。
・気合で審判にアピールせよ。
・審判も人間だから見ていない場合もあるので、
他の審判につられて旗を揚げる。
先週の諫早の試合が典型的な例
5) 鍔競りからの分かれるときは完全に間を切れ、
いつも中間間の攻防で負けている。
6) 見えない面の打ち方
<試合稽古>
1) 試合場での試合ルールの確認
2) 今日の練習を意識しての試合稽古
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<柔剣道は趣味、特技?>
●柔剣道をどの様に捉えるかである
1) 教育課程の学校では部活動に入部するための選択肢の一つの趣味で多目的体育館で練習。
2) 柔剣道の専門家(特技)を養うのが武道専門の大学で武道場で鍛錬。
私は若い頃に剣道は趣味ではないという意識が強かったので、
履歴書の趣味の欄、特技の欄では”特技の欄”に剣道と書き、
大学入試の小論文でも剣道について書きまくった記憶がありますね。
昔の履歴書は、企業の採用側にとって剣道は特技(他の人より秀でている技術)とは受け取らない、
中途半端な履歴書でしたね、現在は職務経歴書、公的な資格の記載になってます時代の変化ですね。
●町の柔剣道は趣味なのでしょうか?
義務教育課程の生徒に教えるのですから”趣味を教える”と捉えるべきでしょうね。
また、柔剣道連盟の概要には、青少年の心身の健全な育成と明記してあり、
町の道場にも、武道専門の大学で教育を受けたしっかりとした、真の意味で子供を育成できる
専門家(教育者)が指導者として適任でしょうね。
●日本人は”先生”と呼ばれるのがお好き
柔剣道では・・・・
指導者、助手にしましょう、先生と呼ばれることに違和感を感じますね。
<指導者(Leader)の位置づけ>
武道専門の大学で教育を受けたしっかりとした、真の意味で子供を育成できる専門家(教育者)
<助手(Assistant)の位置づけ>
趣味で長く続けている人、および過去の経験者、大人から初めた人
●趣味の柔剣道、特技の柔剣道 さあ貴方はどっち????
その頃は特技と思って勘違いしていたが、今は趣味・・・・
多くの方がこのパターンでしょう、私も同じですが・・・・・
●現代の日本、
何処に於いても真の指導者が出てきませんね。
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<剣道八段 財津勝一先生>
財津先生は高野佐三郎先生”修道学院”では門人の表札の前から五番目載っていた古参で、
御指導戴いた当時は、長崎県剣道連盟の理事長であるとともに、県内の三菱、税関で剣道の指導をなされていました。
三菱製鋼所(長崎製鋼所)剣道場(城山町)で小学校 3年から5年まで御指導を受けて、こんな思い出があります。
剣道を始めたきっかけは、小学3年のときバイオリンと剣道をどっちと言われ剣道を訳けも分からず始めたのですが、何となく私達兄弟(姉、私、弟)は小学低学年からチンチン電車で始発から朝練してましたね。
財津先生の印象ですが白い道着の優しくあまり動きがないお爺さん先生のイメージでしたね。
ご指導を受け数ヶ月が経ち、財津先生のご指導が優しいご指導ですので先生のところばかり並んでいましたね。
ある日、財津先生が低学年の私に「君は声が大きいね。」と、言ってくださいました、
その事が嬉しく母親に報告喜んでくれたのを覚えています。
その母親も現在87歳・・・
それからです俄然ヤル気が出てきたのは・・・・
みっちり3年間、基本をご指導くださいました。
小学6年で銭座小学校から長与小学校に転校・・・・・
剣道は長与少年剣道部に親が手続き・・・・
初稽古は長与少年剣道部の20名(小6〜中2位の剣士)ぐらいと試合稽古全員に勝った記憶があります、
疲れてへとへとで省エネ剣道の試合運びでしたね。
これぞ戦術・・・・・酔剣
同年5月に長与少年剣道部が県大会の小学生の部で初出場で初優勝・・・・
多分に、私は財津先生が直接ご指導している中で最後の県大会優勝した剣士になるでしょうね。
この年から、4年間が長与少年剣道部の黄金時代が始まりました。
もちろん、牛島先生、新しい○尾五郎先生の御指導の基に厳しいく、過酷な練習到来です。
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長与少年剣道部部長の○尾五郎先生が指導くださって剣に磨きがかかったのでしょう。
長与少年剣道部の黄金時代(4年間)でした。
練習は先生の銃剣道見たいな構えからの諸手突き・・・・・
なにせ子供ですから怖いのです・・・・・
怖くて掛かって行かないと「こんかぁー、こんかぁー」と、怒鳴るのです・・・・
仕方ないから掛かっていくと、銃剣道見たいな構えからの諸手突き・・・・
見事に突きが決まり両足が中を舞い脳天から落下・・・・
ブッタ押され、羽板にぶつけられ、倒れたら馬乗りでボコボコ・・・・・
父兄も一生懸命で、掛稽古は先生に掛かりたくないので並ばないと並ばせるのです。
特に後援会父兄の子は引っ張って並ばせていましたね。
皆、泣きながら喚きながら掛かってましたよ・・・・・
何人かは気絶したふりしてましたが、先生の怒りが絶頂・・・・馬乗りでボコボコ・・・・
でも、何故か知りませんが、私には突きはめったにしませんでしたね・・・
夏の練習の休憩時間は、先生がアイスクリームを奢ってくれるのが楽しみでした。
小学、中学でこの様な過酷な練習してましたから相手が大人、高校生だろうが、怖さ知らずで舐めてしまって遊びの練習でしたね。
正直、中学時代は高校生選手にも負けた記憶がありませんね。
高校時代はどこの高校に練習に行っても”ダンス剣道”でしたね・・・・
長崎西高では2年まで続けました、何せ進学校ですから大学受験です・・・・
大学は有名某私立大学理工学部に合格・・・・・
その頃、馬場英樹先生が言ってました「君達は勉強ばかりしていたね・・・」
長崎西高が弱すぎましたので、1年生から元立ち、掃除もしませんで2年生が掃除してました。
西高剣道部OB会でもこの話は、毎回出ますね。。。。。
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