以下の記事、papachin氏のブログにて紹介されていました。
無断で転載させていただきました。
「住民の声なき声に耳を傾ける社会を」(愛媛大学准教授 鈴木靜氏)
福島県白河市で生まれ育ち、大学院修士課程を修了するまで、福島に住んでいました。
70年代生まれの私にとって、常磐炭鉱で働いてきた人たちが訴えたじん肺訴訟は、身近な話題でした。常に地元ニュース番組で取り上げられ、その後に原発増設を決めた自治体の話題が続くことがありました。学校で学ぶ「産業構造の転換」との言葉は、私にとって「学習すべき知識」ではなく、「目の前の現実」でした。しかも、抵抗することのできない大きな力を持った。
原子力発電所の存続を疑うことは、タブーであることも、子ども心に感じられました。住民は、先祖代々受け継いできた「ふるさと」を守らなくてはならないとの意識のもと、ある人は推進に、ある人は反対に。同じ目的を持っているはずなのに、原発については、互いに議論を深めること自体がはばかられる雰囲気の中にありました。隣り合う住民が、「この話題」については、語り合えず、分断され「無言」になったのです。
3月下旬から愛媛県内にも福島から避難せざるをえない方々が来られ、今もなお260人あまりの方々が、故郷から遠く離れたこの地で暮らしています。見通しの立たない将来に不安がつのり、体調をくずされる方も少なくありません。
同郷人としてできることをと思い、ささやかながら「さとがえりバス」を企画中です。また、被災3県の仮設住宅・福祉施設の現地調査も続けています。
胸がふさがれる日々でしたが、支援や調査活動のなかで、自らの研究テーマであるハンセン病問題と震災以降の問題が、ようやく「わがこと」としてつながりました。
----そこには共通の構造があったのです。
2001年、医療政策の名のもとに国が行ってきたことを人権侵害と認めた熊本地裁判決は、重要なことを言っています。ハンセン病への偏見・差別は、国が法律や政策によって「作出・助長」したということ。昔からあるものではなく、法や政策によって「社会構造の中で作り出されたもの」としているのです。その社会構造の中で、患者や家族は「無言」を強いられ、ハンセン病に対する医学的・科学的な知見(隔離必要なし)も無視されました。
3月11日以前の福島では、原発の存続を決める県、立地自治体の議会決定は、形式的なものにとどまってきました。住民の誰しもが不安を持ちつつも、実質的な議論には至ることはありませんでした。これは、国のエネルギー政策の名のもと、都市部へ安価な電気を供給するという「不変の目的」ありきで、それ以外の意見が入る余地はなかったからではないでしょうか。まさに国のエネルギー政策と経済優先の社会構造の中で、福島における「無言」は作り出されたものと言えるでしょう。
福島の復旧・復興を心から願っています。復旧・復興とは、その地の住民が「権利として」住み続けられる地域、そのための地方自治を創ること。地方自治とは住民が自らの手によって、自らの暮らし方を決めていく仕組みです。
地方自治体の存在意義は、これを実現していくことにあります。自治体を機能させるには住民参加が不可欠です。最も困っている人が、そのことを語れる仕組み、その声を大切にする社会を、今こそ築いていかねばならないと思います。
(聖教新聞 2011年12月17日付 「共に生きる未来(あした)」)