|
「マスクと約束」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
シロウ君は おうちを出て バス停に向かいます
お母さんの声が 後ろから 追いかけてきます
朝7時半 いつものように 少しはや歩きで ランドセルをゆらして バス停に向かいます
茶色と白の野良猫のトラが いつものように日向に寝そべっています
トラの少し手前で シロウ君は立ち止まりました
「おはよう」
声をかけると トラは 少しだけ頭をもたげてシロウ君のほうを見ました
そして 2度ほどしっぽをゆらゆらさせて また ぐでっとしてしまいました
シロウ君は トラの頭のほうにゆっくりと近づいて しゃがみました
トラは 薄目でシロウ君を見ているのか 動きません
シロウ君は そっと腕をのばします
人差し指の先で トラのおでこを つんつんと2回つつきました
おでこの まるくて 硬い感じが 指先に感じられました
「お・は・よ」
トラは 目を開けて シロウ君に さもめんどくさそうに
「うにゃぁ」
と言いました
まるで 昨日見たテレビの中で「ミヤサコ」がじゃまくさそうに
「なにすんねん」
と言っていたのと そっくりの感じでした
「ごめん ごめん」
シロウ君は 立ち上がると バイバイと手を振りながら また バス停に向かって 歩き出しました
今日は お天気は良いのですが 風が少し冷たいようです
出がけに お母さんが
「マフラーは?」
と聞いたときに
「いらない」
と応えて マフラーをしてこなかったことを ちょっぴり後悔しました
砂町銀座の商店街を抜けて 明治通りを右に曲がると すぐバス停です
バス停には 5人くらいの大人が並んでいました
男の人が3人と 女の人が2人
みんな バスが来る方を向いています
「バスが来てるのかもしれない」
シロウ君は 少し駆け足で バス停に急ぎました
シロウ君がバス停に着くと ほとんど同時に バスが来ました
行先表示は「都07 門前仲町」シロウ君の乗るバスです
列の最後から シロウ君もバスに乗りました
運転手さんに定期を見せて 通路を中の方に進んでいきます
バスの中は けっこう混んでいました
座席は全部うまっていて 通路には 右も左も人が立って並んでいます
「すいません」
と声をかけながら シロウ君は通路を進みます
ちょうど 優先席の前のところに 子供1人分くらいのスキマがありました
シロウ君は そこに行くと オレンジのゴムを巻いたバーにつかまりました
と 同時に
「発車します」
のアナウンスがあって バスが動き出しました
動き出すしゅんかんに ランドセルの重さで 背中が「ぐん」とひっぱられます
バーにつかまった手に力をこめて 両足でふんばって その力にたえます
バス停ごとに 何人かの人が降り また何人かの人が乗ってきます
日曹橋を出て バスは 明治通りから永代通りに 大きく右に曲がります
シロウ君は バーに押し付けられるように しがみついています
ふと右側を見ると 黒いコートを着て 黒い革のカバンをさげた男の人が立っています
背丈は お父さんと同じくらいでしょうか
メガネをかけて 髪には少し白髪が混じっています
お父さんよりは だいぶ年上のおじさんのようです
なにげなく そんなことを考えていると
「ゴホン ゴホン」
そのおじさんの前の 優先席に座っている おばあさんが咳をしました
灰色のコートを着て 小さなエンジ色の手さげを持った 真っ白な髪の小柄なおばあさんです
おばあさんは 口に手をあてると 少し前かがみになって また咳をしました
「ゴホン ゴホン」
シロウ君は おばあさんのことが 心配になりました
そのとき 右側のおじさんが 黒いカバンを開けて ごそごそしはじめました
「なんだろう?」
シロウ君は 今度はそっちが気になります
おじさんは カバンの中からビニール袋を取り出しました
そして その中から 真っ白なマスクを一つ取り出して 自分の顔につけました
「はやってるから…」
おじさんが 何気なくつぶやきました
そのまま バスは進み おじさんも おばあさんも 東陽町の駅前で バスを降りていきました
すっかり空いたバスの中で バーにつかまりながら シロウ君は何か考えています
バスを降り 学校に向かう道でも
授業の合間の 休み時間も
シロウ君は 何か気になって ずっと考えこんでいました
授業が終わって みんなと別れてバスに乗り 停留所についてバスを降りたとき
シロウ君は おうちに向かって駆けだしていました
商店街には けっこう人が歩いていて その間を ぶつからないようにかわしながら走ります
風の冷たさと 力をいれて走っているのとで シロウ君のほっぺたは 真っ赤です
「ただいま」
玄関のドアを開けて おうちにはいると 大きな声で言いました
「おかあさん おかあさん」
靴をぬぎ ランドセルをおろすと おくの居間に駆けこみます
「おかあさん おかあさん」
そこには お母さんが座って雑誌を読んでいました
「まぁまぁ どうしたの?そんなにあわてて?」
シロウ君は 大きく深呼吸して つばをのみこむと 言いました
「おかあさん ぼくね 発明したよ」
「発明?まぁ 何を発明したの?」
シロウ君の 真っ赤なほっぺたを見つめる お母さんの目は やさしく笑っていました
「あのね マスクなの」
「マスク?」
お母さんは 聞きかえします
「ナオちゃん お風邪でしょう?インフルエンザ?」
少し心配そうに シロウ君は言いました
「そうね」
お母さんも 少し心配そうです
「お熱 あるんでしょう?」
「ええ…でも お医者さんで お注射したから
お熱はさがったわよ」
「そうなの?よかったね」
シロウ君は 少しうれしそうです
お母さんも 微笑みます
「今 寝てるから あんまり大きな声 出しちゃだめよ」
急に ささやくように シロウ君は言いました
「うん わかった」
おととい 幼稚園から帰った 2つ下の妹のナオちゃんが咳をしだして
きのうの晩から熱を出して とても苦しそうだったのです
けさも お母さんは ナオちゃんにつきっきりで 看病していました
「ナオちゃん はやく よくなるといいね」
「そうね お熱もさがったし だいじょうぶでしょう」
お母さんも シロウ君も ちょっと笑顔になりました
「あら そういえば 発明って 何?」
思い出したように お母さんが聞きます
「えっとね…」
シロウ君は けさ バスの中であったことを お母さんに話しました
「それでね ぼく 発明したの」
お母さんは 微笑んでいます
「あのね おかあさん あしたから ぼくに マスクをひとつ ちょうだい」
「シロウちゃんも お風邪なの?」
「ううん ぼくは だいじょうぶ」
お母さんは 不思議そうな顔をしています
「そのマスクはね ぼくがするんじゃないの」
「…」
「お咳をしている人がいたらね その人にしてもらうの」
「ナオちゃん 幼稚園で お風邪になったんでしょう?」
お母さんは うなずきます
「だからね お咳の人がマスクをしたら ほかの人にはうつらないんでしょう?」
お母さんの表情が 明るくなります
「ぼくがマスクをしても ぼく一人だけ お風邪にならないけど お咳の人にマスクをしてもらえば みんなが お風邪にならないでしょう?」
「だから ぼくのマスクは ぼくがするんじゃなくて お咳の人にしてもらうマスクなの」
お母さんは じっとシロウ君を見つめています
「おかあさん マスクを一つ ちょうだい」
シロウ君は お母さんに向かって 手を出しました
お母さんは はっとしたように立ち上がると テレビの横の薬箱を持ってきました
中から まだ開けてないマスクを一つ出すと シロウ君の手に乗せて
「はい どうぞ」
そう言ったお母さんの顔は 笑っていましたが 目には涙がいっぱいたまっていました
「どうしたの?おかあさん?泣いてるの?」
心配そうに シロウ君が聞きました
お母さんは やさしくシロウ君の頭に手をやると
「シロウちゃんが 素敵な発明をしてくれて お母さん とってもうれしいの」
微笑むお母さんに向かって シロウ君もにっこり微笑みました
「おかあさん ありがとう」
・・・ おしまい ・・・
…<(__)>…
|