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まだまだ「あるある」国民投票法案の問題規定
自民党の当初原案では、公職選挙法から規定を引いてきたため、
新聞などの「虚偽の報道」を行う罰則がありました。
国民運動を盛り上げるため、報道は闊達に行われた方がいいという
趣旨で、規制を取り払った筈なのに、
条文を見直したら、へんな規定を見つけました。
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(国民投票に関する放送についての留意)
第百四条 一般放送事業者(放送法(昭和二十五年法律第百三十二号)第二条第三号の三に規定する一般放送事業者をいう。第百六条において同じ。)、有線テレビジョン放送事業者(有線テレビジョン放送法(昭和四十七年法律第百十四号)第二条第四項の有線テレビジョン放送事業者をいう。)、有線ラジオ放送(有線ラジオ放送業務の運用の規正に関する法律(昭和二十六年法律第百三十五号)第二条の有線ラジオ放送をいう。)の業務を行う者又は電気通信役務利用放送(電気通信役務利用放送法(平成十三年法律第八十五号)第二条第一項の電気通信役務利用放送をいう。)の業務を行う者(次条において「一般放送事業者等」という。)は、国民投票に関する放送については、放送法第三条の二第一項の規定の趣旨に留意するものとする。
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これってどういうことでしょう?
憲法改正と国民投票に関する報道が、公平に行われることを定めただけのようにも読めますが、放送法とはどういう法律かご存じでしょうか?
最近、印象に残っているところでは、「あるある大辞典」の納豆騒動です。
「納豆」問題のように思えますけど、じつは、放送のに定める「事実でない報道」に抵触するため、
総務大臣の行政指導を受けた放送法の問題なんです。
その、事実でないことを判断するのは誰かご存じですか?
放送局の直接の監督官庁である総務大臣なんです。
ときの政権党の大臣が判断権者です。
放送局を国が管理監督している国は、主なところでは、ロシア、中国、ベトナム、シンガポール、北朝鮮など、元、現社会主義国か一党独裁国家に限られると言って良いでしょう。
放送局は、国から免許を受けていることから、「放送法」に抵触するとして、5年に一度の放送局免許更新時に、ときの権力の「脅し」が起きることがりました。
今期で引退する、田英夫参議院議員がTBSのニュースキャスター時代に北ベトナムを取材したことから、政府・自民党の忌避に触れ再三にわたって、田氏の降板を要求され、幹部の抵抗にも関わらず、再免許不可をちらつかされた結果、田氏は静かに画面から去る道を選んだという出来事がありました。
許認可権限も、先進諸外国では、独立行政機関や第三者機関が審査、認可するという政治からの中立性を保つ構造になっています。
「納豆」事件の前には、TBSの731部隊に関する報道番組で、たまたま、安倍官房長の写真が映り混んでいたことを「政治的公平性」を欠くとして、もっとも思い電波法81条を発動し、TBSに報告を求めました。
それに対して、TBSは「あっさり」と、非を認めてしまいました。
この体質は、報道機関である前に、不祥事のたびに報道される「土下座社長」にひとしい「許認可事業」である側面を見せつける出来事でもありました。
放送法の政治的公平に抵触するとしての「行政指導」は、総務省の記録をあたっても、政権与党関係者に関する報道等がほとんどです。
時の権力に対する批判、揶揄には厳しく、一方、野党や少数者の扱いが平等でなくても、総務省が指導した例はありません。
放送法に書いてあることを、わざわざ持ってくる理由はどこにあるのか。
法案の提案者も、現放送法で政治的公平性を保証したりできると思っているのでしょうか。
憲法改正という、民主主義の体力が試される課題を前に、その議論をささえる放送が国の監督下にあるという、民主主義の成熟度を疑わせる、放送行政そのものも、憲法議論を前に見直す必要があるように思えます。
また、政府に生殺与奪を握られた「放送局」では「公平」を完全できると思えません。
この状況で、放送法に留意するということは、何を引き起こすのでしょう?
「留意」でなく、報道の「萎縮」規定ではないでしょうか?
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放送法 第三条の二 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
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