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第九条
信は義の根本である。
何事にも信がなければならない。 善悪や成否も、すべて信のあるなしにかかっている。 臣下の間に信があるならば、何事も達成できる。 しかし、臣下に信がなければ、 万事ことごとく失敗することになる。 第十条 心の怒りを絶ち、怒りを表に出さないようにすること。
他人が自分と意見が異なることを怒ってはならない。 人それぞれに心があり、それぞれに思うところがある。 相手がこれと思っても自分はそうではないと思い、 自分がこれと思っても相手は違うと思う。 自分はいつも聖人で、相手はいつも愚かだというわけではない。 皆ともに凡人なのである。 ことの是非など誰がよく定められるだろうか。 お互いが賢くもあり愚かでもあることは、 耳輪には端がないようなものである。 したがって、相手が怒っていたら、 むしろ自分の過ちをおそれなさい。 自分一人これだと思っても、 衆議に従って行動するべきである。 第十一条 功績と過ちをよく考察して、それに見合う賞罰を行うこと。
近頃、褒賞が功績によらず、罰が罪によらないで与えられている。 公務を執行する高官は、賞罰を公明正大に行わなければならない。 第十二条 国司と国造は、独自に民から税をとってはならない。
国に二人の君主はなく、民にも二人の主はないのである。 国中のすべての民にとって、王だけが主である。 任命された官吏は、皆、王の臣下である。 公課と並行して、民から徴税をしてよいわけがないのである。 第十三条 様々な官職に任じられた者たちも、
みな同じように職務に精通すること。 病気や出張などで職務にいない場合もあるであろう。 しかし、政務をとれるときには、よく協調して、 以前より精通していたかのようにしなければならない。 それはあずかり知らないなどといって、 公務を滞らせてはならない。 第十四条 すべて官吏たちは、嫉妬の念を抱いてはならない。
自分が相手を妬めば、相手もまた自分を妬む。 嫉妬のわずらいには際限がない。 それゆえに、自分より知恵が勝れている人がいると喜ばず、 自分より才能が勝っていると思えば嫉妬する。 それでは、五百年経ってやっと賢者に会うようなことがあっても、 千年の間に一人の聖人の出現を期待することすら難しい。 聖人や賢者を得なくては、 どうやって国を治めることができるであろうか。 第十五条 私心をすてて公務に向かうのは、
臣たるものの道である。 およそ人に私心があるとき、恨みの心が起きる。 恨みがあれば必ず不和が生じる。 不和になれば私心で公務を妨げることになる。 恨みの心が起こってくれば、 制度や法律に違反することになる。 したがって、第一条で、上の者と下の者で 協調して論議せよと言ったのは、このためである。 第十六条 民を使役するには時期をよく考えよとは、
いにしえの良いならわしである。 したがって、冬の季節は暇があるので、 民を使役するとよい。 春から秋までは、農業と養蚕の季節である。 民を使役してはならない。 民が農業をしなければ何を食べていけばよいのか。 養蚕がなされなければ、何を着たらよいというのか。 第十七条 もの事は独りで判断してはならない。
必ず皆でよく論議せよ。 小事は軽いことなので、 必ずしも皆で議論しなくてもよい。 ただ、重大な事柄を議論するときは、 判断を誤ることもあるかもしれない。 したがって、皆で検討すれば、 道理にかなう結論が得られるだろう。 |

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