「岩波国語辞典」は、西尾・岩淵両先生は70年代末にとっくに亡くなっているので、1980年からは30年間、基本的には水谷教授が一人で編集し続けていたということになるだろうか。すごい話だ。お悔やみを申し上げる。
ところで、最近ことに有名なのは、三省堂の国語辞典は、見坊豪紀と山田忠雄という両巨頭が、競うように個人の力で独創的な辞書を編集してきた、という物語である。
現在でも、ある編集者が有名人になって個人として「この言葉の意味はこうである」といった見解を発信したり、巷では辞書に対してその個性を楽しみ、「鑑賞」することが流行っているらしい。
だが私は、国語辞典のこの「偉人伝」,「書き手の顔が見える感じ」に強い疑問を感じる。国語辞典は「模範を示す標準」であってモノグラフィーではないだろう。国語辞典編集も徹底的に共同作業と合議制で行うべきだと強く思う。例えば「六法」はそのように作られている。
国語辞典も、その道の現役の有識者を6〜8人ほど招聘し、合議を大原則として、特定個人が前面に出ない性質にすべきだ。それでは面白くないとかそういうことには私は興味がない。国語辞典は小説であってはならないのではないか。辞書は「個性」ではなく、あくまで「正確性」で競わされるべきだと思う。
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