カンカンとガクガクの部屋

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『こんなに変わった歴史教科書』  山本博文 編   新潮文庫  2011
 
 
 
 
 中学校の歴史教科書の変化を36編の小論で解説した本である。比較の題材は、編著者がかかわっている東京書籍の中学校教科書、『新しい社会』の1972年版と2006年版である。「歴史」とはいうが、世界史(外国の歴史)の要素はほぼなく、対象は日本史である。
 
 
 
 ・文書がある時点より前、有史以前については、きわめて流動的である。  
 ・推古天皇より前について、学問上「朝廷」といえるかは定かではない。
 ・「仁徳天皇陵」は、未詳であるため、「大仙古墳」という。
 ・「聖徳太子像」は、未詳である。
 ・「和同開珎」は、「富本銭」により、最初の流通通貨であるかは未詳となった。
 ・「蝦夷」は、反乱勢力ではなく地方勢力であり、表記に問題がある。
 ・「鎌倉幕府」の開始時は、「幕府」の捉え方により異なり、未定である。
 ・「源頼朝像」は、足利直義説が有力であり、未詳である。
 ・蒙古襲来のことは、「元寇」とはもういわない。
 ・「足利尊氏像」は、高氏の誰かとするのが有力であり、未詳である。
 ・「成慶院 武田信玄像」は、畠山氏の誰かとされ、未詳である。
 ・長篠の戦の「鉄砲三段打ち」は、存在しなかった。
 ・「武田騎馬隊」も一般的な想像とはほど遠いものである。日本の在来馬は
ポニー程度の大きさであり、数も少なく、下馬して戦うのが通常である。
 ・士農工商は、士を除き対等であり、そういう身分制度が確立していたわけではない。
また下層階級を含めて多様であり、かなり相互に流動的であった。
 ・「慶安のお触書」は、実は甲府の藩法ではないかと考えられているが、定かではない。
 ・「島原の乱」は、実情に合わせ、「島原・天草一揆」に変更。
 ・「踏絵」は、絵その物のこと。制度は「絵踏」という。
 ・「百姓一揆」は、クーデターではなくデモに近い。百姓側も幕藩側も規律に従い、
暴力行使は最小限度であった。
 
 
 
 読んでみての感想は大きく二つ。まず前半、中世以前は、証拠資料が僅少であるため昔も今も「確かなことは意外に少ない」ということである。先史〜中世の歴史学がいかに「詳細不明」かが際立つ。これからもどんどん新説が出そうだし、極端に言えばタイムマシンでもない限りはっきりさせることは無理なのかもしれない。
 
 
一方で後半、近世以降は、「それほど変化は感じられない」。「こんなに変わった」という点は乏しいと思った。ほとんど従来からの教科書的な説明が淡々と述べられているだけである。「田沼意次は、賄賂も増えたけど、画期的業績も多かった」とか「四民平等は貫徹されていない」などは、日本史に興味がある人なら知っていることだし、また、「○○の乱」が「○○一揆」に「××の役」が「××戦争」に用語変更された、といわれても、本質のイメージは変わらないのだから、一般人にとっては些細な議論である。
 
 
 したがって、前半は「なんだ、わからないのか」、後半は「それほど変わってないんじゃない?」であって、それぞれの話題はけっこう小粒である。
 
 それらがまとまって、一冊の文庫として読めるところに本書の価値があるといえるだろうか。一読して「現在の常識」を整理するのには有益な一冊だと思う。
 
 
 

 
 
 
 
司法試験:合格者239人減 合格率も最低22.6%

 
 法務省は9日、今年の司法試験合格者を発表した。2年連続の減少で、前年より239人少ない1810人だった。2000人を割り込むのは2006年以来。合格率は現行試験が始まった同年以降最低の22.6%(前年比4.2ポイント減)となった。一方、「例外ルート」である予備試験通過者の受験は今年3回目だが、合格者は最多となる163人。合格率も66.8%で、3年連続でどの法科大学院よりも高かった
 今年5月の改正司法試験法成立で受験回数制限が「5年で3回」から「5年で5回」に緩和されて受け控えが減ったとみられ、3年ぶりに受験者数が増加し、8015人(前年比362人増)となった。一方で政府は02年、合格者数を「10年に3000人程度」とする計画を掲げていたが、実現されないまま昨年7月に事実上撤回。今回の合格者数が注目されていた。
 
〜中略〜
 
 予備試験通過者は244人が受験し、163人が合格した。本来は、経済的事情で法科大学院に通えない人などにも法曹への道を確保するため11年に導入された制度だが、受験資格が設けられていないことから現役の大学生や法科大学院生が受験しているケースも多く、「制度の趣旨に反している」という批判がある。
 政府の法曹養成制度改革推進室はこれまで、予備試験について(1)資力のない人や社会人経験のある人に限る(2)一定の年齢以上(3)法科大学院在学者は受験を認めない(4)科目の追加・変更−−という四つの案を検討。しかし法曹志望者減少につながる恐れや、線引きの難しさもあり、「現時点で制限を加えることは難しい」との立場だ。  

                             2014年9月9日   毎日新聞
 
 
 
 
ついに2000人を割り込むことになった。もはや限界だろう。
法科大学院制度は完全に終わっているとみるしかない。
 
 
今、あえて法科大学院にトライするのであれば、
合格率上位10大学程度に限られるだろう。
 
 
1    京都大学       53%
2    東京大学       52%
3    一橋大学       47%
4    慶應義塾大学     45% 
5    大阪大学       40%
6    早稲田大学      35%
7    中央大学       35%
8    千葉大学       31%
9    神戸大学       31%
10    東北大学       26%
 
 
 
20位の大学でたった17%なのだから、惨憺たる状況である。
再三言っているが、「統廃合」策では焼け石に水だ。
東北大学とかで26%にとどまっているのに、
いまだに「教育の質を向上させよ」とか言っているメディアは、
どうかしていると言わざるを得ない。
 
 
公認会計士などのように、大学院は、
「行きたい人は行けば科目免除される」
という制度に全面的に変えるしかないと思う。
 
 
予備試験も、いいかげんな位置づけはやめるべきだ。
「法科大学院に行かないルート」というなら、
正直に認めるべきであり、
 
一方で現行制度の下では、
①資力要件、ないし、②社会人・非学生要件を
絶対に設けるべきだろう。躊躇する意味が不明だ。
 
 
 

 
 
 
『リーガルマインド商法総則・商行為法』 弥永真生 有斐閣  2014(最新版)
 
『リーガルマインド手形法・小切手法』  弥永真生 有斐閣  2007(最新版)
 
 
 
 著者は、明治大学在学中に公認会計士二次試験に合格し、今度は東京大学にも入学して司法試験に合格しながら、そこから実務家になるでもなく商法学者の道に進んだという異色の経歴を持っている。その経歴どおり、会計法学において目立った活躍をされているようだ。
 
 
 そして、難関資格を攻略してきた経験をダイレクトに活かして、既存のテキストに見られないほど、学習者の目線に立ってシステマティックに構成したこの「リーガルマインド」3部作シリーズを完成させた。90年代後半から00年代にかけて、商法テキスト界のベストセラーの座を勝ち取っている。
 
 
 かつては、「これだけでは足りない」とか賛否の議論があったもんだが、もともと研究書や注釈書ではなく、教科書または試験対策書なのだから、そこで不足をどうのこうの言っても始まらないだろう。最近はそういう話もあまり聞かなくなった。
 
 
 激戦区である「会社法」はともかく、現在に至るまで長らく、「商法総則・商行為法」と「手形法」に関しては、この本の一人勝ち状態である。他に競合するものがほとんど見当たらない。単純に考えればやはりよくできたテキストだということだろう。
 
 
 しかし、独占状態が生じた真の原因は別のところにあるのかもしれない。つまり、従来の「総則・商行為法」,「会社法」,「手形・小切手法」というカテゴライズから、世の中の興味がすっかり離れてしまったのではないか。
 
 
 2006年の大改革を経た現在の「商法学」は、従来の三分類から大きく変容したと思われる。つまり、①「会社法」がだんぜん重要視されている。②「総則・商行為法」,「手形・小切手法」への関心が激減した。③それ以外の諸分野が応用分野として分立し、相対的重要性が「総則・商行為法」,「手形・小切手法」と対等以上になっている、という具合である。素人レベルに限れば、言い換えると、「商法」とは、「会社法(企業組織の法)」と「それ以外(個別的な商取引の法)」というふうに捉えることが適切になってきていると思われるのだ。言うなれば「商法三分野説」から「商法二分野説」へ、である。
 
 
 したがって、弥永真生「リーガルマインド」シリーズにも、現状に即した再編集をしてほしいと個人的に思うのである。
 
 
1.「商法総則・商行為法」に現代取引など諸分野を加筆する。
 
2.「手形法・小切手法」を180頁ほどに縮小する。
 
3.そして二つを合体させて「商取引法」と名づける。
 
 
これが私の提案である。つまり『リーガルマインド会社法』と『リーガルマインド商取引法』の二冊編成にしてほしいということである。なんなら「リーガルマインドシリーズ」はもはや放棄して、『会社法』と『商取引法』として新規一転、書き下ろすというのもありだろう。
 
利便性も上がるであろうし、価格も1000円程度圧縮できる。ぜひ見直してほしいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
訃報:水谷静夫さん88歳=東京女子大名誉教授

 
 水谷静夫さん88歳(みずたに・しずお=東京女子大名誉教授、国語学専攻)2日、肺炎のため死去。葬儀は家族で営んだ。喪主は長男富士夫(ふじお)さん。
 「岩波国語辞典」の編者を務めた。著書に「曲(まが)り角の日本語」など。

                        毎日新聞 2014年07月08日

 
 
 
 
 
「岩波国語辞典」は、西尾・岩淵両先生は70年代末にとっくに亡くなっているので、1980年からは30年間、基本的には水谷教授が一人で編集し続けていたということになるだろうか。すごい話だ。お悔やみを申し上げる。
 
 
ところで、最近ことに有名なのは、三省堂の国語辞典は、見坊豪紀と山田忠雄という両巨頭が、競うように個人の力で独創的な辞書を編集してきた、という物語である。
 
 
現在でも、ある編集者が有名人になって個人として「この言葉の意味はこうである」といった見解を発信したり、巷では辞書に対してその個性を楽しみ、「鑑賞」することが流行っているらしい。
 
 
 
だが私は、国語辞典のこの「偉人伝」,「書き手の顔が見える感じ」に強い疑問を感じる。国語辞典は「模範を示す標準」であってモノグラフィーではないだろう。国語辞典編集も徹底的に共同作業と合議制で行うべきだと強く思う。例えば「六法」はそのように作られている。
 
 
国語辞典も、その道の現役の有識者を6〜8人ほど招聘し、合議を大原則として、特定個人が前面に出ない性質にすべきだ。それでは面白くないとかそういうことには私は興味がない。国語辞典は小説であってはならないのではないか。辞書は「個性」ではなく、あくまで「正確性」で競わされるべきだと思う。
 
 
 

 
 
『純粋法学 第二版』   ケルゼン著・長尾龍一訳   岩波書店   2014
 
 
 
ここにきて『純粋法学 第二版』が訳出された。1960年発表であるから、半世紀を越えてついに日本語訳されたわけである。
 
 
この訳本、私には遠き学問の世界を考えるに、実に興味深いものに思える。以下つれづれ思いつくまま挙げてみよう。
 
 
1 なぜここまで引っ張ることになったのか。
 
翻訳者の長尾龍一・東京大学名誉教授は1938年生まれである。つまり、教授が研究生活を始めた頃にちょうどこの第二版は出版されている。教授はある程度の振幅はあるものの、ずっとケルゼン一筋で研究されてきたそうである。では、なぜ50年のときを経てしまったのか、は最大の謎という感じがするのは私だけだろうか。何だかんだあっても、90年代の中盤ぐらいに上梓されえなかったものだろうか。
 
 
2 そもそも想定外の企画だったらしい。
 
しかも、この翻訳は教授の悲願というわけではなく、最近になって、編集者に企画を持ち込まれたため、想定外に着手したのだという。この辺りも凡人の私には理解しがたい学者さんの世界である。本書は自分が心酔する学者の主著である。それを今の今まで翻訳しようと思わなかったというのは、予想外なことだ。ちなみに競合するような日本の学者はほぼいない。能力さえあれば普通だったら「俺がやってやる」と早々に考えると思うのだが、そういうものではないのだろうか。
 
 
3 一人の先達に没頭する人生
 
訳者は様々な業績がおありになるものの、本筋としては一途にケルゼン一筋である。半世紀の研究歴で、自分自身の法哲学の本はほとんど書いていない。ケルゼンの著作集をコツコツと訳出したりされている。学者生活を近代の学者一人に完全に投入しようという意気込みがすごい。他の学者の学説に浮気しようとか、自分の思想を前面に出そうとか、考えなかったのだろうか。東大教授をつとめた秀才でありながら、一人の先達と心中を決め込むところが、学者さんの特異なところといえまいか。私のような凡人だと、能力さえあったらもっと他のところにも手を出してしまいそうなものである。
 
 
4 純粋法学って何なのか。
 
しかも、それが誰もが聞いたことがあるカントやハイデガーのような「超ビッグネーム」なら、わからないでもない。しかし、ケルゼンである。法概念論に限っても他に、ハートやラートブルフなど何人か著名人はいる。しかも法哲学は政治哲学と守備範囲が大きく重なるということで、プラトンから始まりロールズやノージックなど、扱うに値する先人は数限りなく存在することになる。その中で、なぜケルゼンにこだわるのか。「純粋法学」それ自体が現在の通説であるというわけでもないと思われる。これも素人には理解し得ない境地である。 
 
 
 
以上、内容については全然わからないが、
書誌の観点では非常に興味深い翻訳書である。
 
 
では、結局、私個人は何を望むかといえば、
 
1 横田喜三郎の翻訳した初版を岩波文庫にしてほしい。
 
手っ取り早く純粋法学・ケルゼンを知るためには、結局、それが一番なのではないだろうか。
 
 
2 純粋法学を、「総体的」かつ「相対的」に捉えた新たな体系書を望む。
 
もはや『純粋法学(第二版)』という一冊それ自体にインパクトはそれほどないのではないか。それら関連著作を集大成して、客観的に位置づけした法哲学の体系書が必要なのではないかと思う。
 
 
といったところである。
 

 
 
 
 

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