水俣病:熊本の未認定女性は患者 最高裁が初判断
水俣病の認定申請を棄却された熊本県水俣市と大阪府豊中市の女性2人の遺族が熊本県に患者認定を求めた2件の訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(寺田逸郎裁判長)は16日、水俣市の女性を水俣病と認めた2審・福岡高裁判決を支持し、県側の上告を棄却した。水俣市の遺族の勝訴が確定した。県が患者と認めなかったケースで最高裁が患者認定するのは初めて。行政から否定された患者に司法救済の道を広げた。一方、豊中市の女性については、女性を敗訴とした大阪高裁判決を破棄し、審理を同高裁に差し戻した。
訴えていたのは、1977年に77歳で死亡した水俣市の溝口チエさんの次男と、3月に87歳で死亡した豊中市の女性(訴訟は長女が承継)。公害健康被害補償法に基づき国が77年に定めた認定基準は、手足のしびれや視野狭さくなど複数症状の組み合わせを要件とした。2人とも基準を満たさないとして熊本県に申請を棄却され、両訴訟ではこの基準の妥当性が争われた。
2審は異なる判断枠組みから別の結論を導いた。福岡高裁は基準は不十分だとした上で、「メチル水銀の暴露歴や感覚障害の特徴など具体的事情を総合検討して判断すべきだ」と独自に検討し、原告の逆転勝訴とした。一方、大阪高裁は基準の意義は大きいとし、「医学に基づいた県の判断に不合理があるか否かの観点から判断すべきだ」と行政の裁量を広く認め、逆転敗訴とした。
水俣病と認められなかった熊本県水俣市の女性の遺族が県に認定を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(寺田逸郎裁判長)は16日、水俣病と認めた2審・福岡高裁判決を支持し、県側の上告を棄却した。遺族の勝訴が確定した。最高裁による水俣病患者認定は初めて。司法が行政判断を覆して未認定患者救済の道を広げたため、新たに裁判で認定を求める患者が相次ぐ可能性がある。国が最終解決と位置づける水俣病被害者救済特措法による救済の在り方にも影響が出そうだ。
国が1977(昭和52)年に定めた認定基準(52年判断条件)は、手足のしびれや視野狭さくなど複数症状の組み合わせを認定要件とし、感覚障害だけの申請を棄却してきた。これに対し小法廷は「感覚障害だけの水俣病が存在しない科学的な実証はない」と指摘。その上で「症状の組み合わせがない場合でも、個別具体的な判断で水俣病と認定できる余地がある」と述べ、行政側に硬直的な運用を改め、より柔軟に認定する姿勢を求めた。
裁判での水俣病認定の在り方についても、52年判断条件にとらわれず「個別の事情と証拠を総合的に検討し、具体的な症状と原因物質の因果関係を審理して判断すべきだ」と独自に判断する枠組みを初めて示した。裁判官5人全員一致の意見。
○大阪訴訟、差し戻し
また、小法廷は16日、水俣市出身で大阪府豊中市の女性(故人)が水俣病認定を求めた訴訟についても判決を言い渡し、原告敗訴とした2審・大阪高裁判決を破棄した。審理を同高裁に差し戻し、この日示した枠組みに基づいて、水俣病かどうか更に審理を尽くすよう求めた。
訴えていたのは、77年に77歳で死去した水俣市の溝口チエさんの次男と、3月に87歳で死去した豊中市の女性(長女が承継)。2人とも症状が感覚障害のみで基準に満たないなどの理由で申請を棄却されていた。チエさんは今後、県から正式に認定される。
2件の2審判決は異なる判断の枠組みで認定の可否を判断していた。福岡高裁は今回の最高裁判決と同様の考え方に基づき、メチル水銀の摂取歴や症状などを総合検討し、原告の逆転勝訴とした。一方、大阪高裁は行政の裁量を幅広く認め、「県の判断に不合理な点はない」として原告逆転敗訴を言い渡していた。【石川淳一、和田武士】
〜以下略〜
2013年4月16日 毎日新聞
かなり時間がかかって出された判断ではあるものの、
結局最後に頼りになるのは政府ではなく司法だった
という点では、裁判所に尊敬の念を抱く。
話は変わるが、
憲法改正についても政治家に任せるのは心配だ。
憲法改正は、法律や統治機構のプロ、つまり
法曹三者と法学者や政治学者による、
法制審議会のような外部組織を立てて、
必ず諮問してみるべきだと思う。
選挙制度改革もまた同じく、
第三者委員会で検討するべきだ。
“政治屋さん”は信頼できない。
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