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『脱原子力社会へ』 長谷川公一 岩波新書 2011
さて、原子力問題についても一冊読んでみようということで、
震災以前から脱原発を唱えていた
社会学者・長谷川公一教授の新刊を読んでみた。
タイトルから期待される具体案がなかなか
提示されないことにややとまどうが、
社会学の学者とはどのようにものを考えるのか、
原子力発電の現状はどうなっているのか、
一端は理解できたような気がする。
第1章「なぜ原子力発電は止まらないのか」には、
反原子力論の様々な要点が簡潔にまとめられている。
国は、国内外や国際原子力機関の重要な動向や忠告を無視してきたこと、
交付金によって原発を地方に押しつける仕組み、
原発を作ればさらに増設をし続けなければいけないという悪循環、
廃棄物は半永久的になくなるわけはなく行き場がないという現実、
など一通りのことが説明されている。
国民に意識させずに、電気を使えば使うほど
原子力に金が流れる仕組みが組まれていることや、
地方の誘致はすぐに効果が切れる麻薬のように増設の誘惑を誘うなど、
学者らしく“仕組み”として説明がされている。
著者は、国は、結論ありきではなく資料をすべて出した上で
コストとベネフィットを比較して、いくつかの選択肢から
政策的判断をするという当たり前のことが
できていないということを問題だと説明する。
第2章「グリーン化は二十一世紀の合言葉」も、
現況の概観が主な内容。アメリカは70年代いっぱいで
原発の建造はストップしていることや、
ドイツは脱原発に成功し,イギリスもその方向に向かっていること、
相対的に先進国ではもはや原発増加は止まっていて、
中国などアジアの途上国において増加が見られるということが
ざっと説明されている。
第3章「地域からの新しい声」では、
新潟県巻町や山形県立川町による町ぐるみの取り組みが
かなり詳細に書かれている。
地域性・運動性・事業性の観点から、
周到に目標設定をし、収益として成り立つことも考えて、
草の根的な地域運動をしていくことの重要性が記録されている。
ちなみに著者が取り上げるいずれの事例も、
太陽光(熱)発電ではなく、風力発電の成功例である。
風力だけで太陽発電はない。
自治体はもちろん、民間団体の尽力により
グリーンエネルギーの成長は可能だという著者の言いたいことは、
畳み掛ける論調で、確かによくわかる。
ただ、この手の議論で一番に気になるはずの、
「それって結局規模が小さいのでは?」という疑問に対しては、
この章にいたっても明確な解答はない。
第4章「脱原子力化社会に向けて」で、
主にドイツの脱原発の歴史を引きながら、本書の総括がされる。
要するに、原発はコストがあまりに高いのであり、
技術革新も遅々として進んではいない。
推進したいなら、推進する明確なメリットを推進派が示せ、
というのが著者の立場ということになりそうだ。
そして、国民全般には、1.再生可能エネルギーを積極的に
導入するよう草の根運動をもっともっと精力的に行うべきこと、
2.グリーン化による多少の料金増加は甘受すべきで、
発電量は節約によって対応すべきこと、
3.大都市一極集中を脱し、地方の自立性を強化し、
電力の自給自足を目指すべきこと、を訴えている。
国内外の様々な取り組みが取りあげられているため、
やや平板でインパクトは弱いのだが、原子力の問題点は
一応網羅的にまとめられているように思われる。
本書の主題は「電力」であるが、著者の真に言いたいことは、
「市民自治」,「市民の自覚」の方である。
中央集権への依存を脱し、身の回りのことから能動的に、
合理的な環境を整えていくということ。
政府も中立な立場から合理的な政策決定をすべきことが求められ、
それを後押しするのがNGOなどの市民の力だということらしい。
脱原発を可能にしたドイツと比較すると、
日本のデモの規模や環境団体の規模は
10分の1や20分の1にしかならないのだという。
結局のところ、「都会を含めた日本全体の電力を
グリーン電力で賄えるのか?」という最大の疑問には、
本書はついに答えてはくれなかった。したがって
「読んで損した!」と思う人も多く出ると思われる。
また、情報量は多いが、重要なところは
序盤の第1章と終盤の第4章であり、
第2章と第3章はもっと短くてよかったと思う。
しかし、むしろ重要なのは、
「東北地方だけならグリーン電力での全自給自足はできる」
という方なのかもしれない。
「地方は自分たちでなんとかできるし、むしろするべきだ。
そして都会は、地方にツケを回さずに、自分らで何とかせよ」
というのが、本書から受けた一番大きな
メッセージだったように思う。
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新書・文庫
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『〈麻薬〉のすべて』 船山信次 講談社現代新書 2011
“麻薬”に関する基礎知識が満載の一冊。
麻薬の定義から始まり、
麻薬の種類や作用,各国での歴史や現状など、
バランスよく網羅されている。
「すべて」とはまた挑戦的なタイトルだが、
新書サイズの入門書としては、
なかなか得られない力作だと思う。
収録されている知識はたくさんある。
目に留まった点を箇条書きすると、
・“麻薬”の定義は容易ではなく、ほとんど不可能である。
日本の法律も錯綜していて、化学的な定義と対応しているわけではない。
・麻薬の歴史は古いが、劇的に展開したのは、比較的最近の19世紀である。
・日本は、阿片や大麻などがめだって流行したことがない。
その一方、戦後の覚せい剤流行が特徴的である。
・阿片の主成分がモルヒネであり、それをアセチル化したのがヘロイン。
・日本は、モルヒネへの拒否感が強く、先進国でだんとつにモルヒネの
医療利用が少ない。がん患者などにもっと有効利用される必要がある。
・ヘロインは、画期的な痛み止めであるアスピリンと、
同時期に同会社により、これまた画期的咳止め薬として発売された。
・阿片はダウナー系。コカはアッパー系で、覚せい剤に似ている。
・LSD(俗称“アシッド”)は、第二次世界戦時中のスイスで、
「麦角」の研究中に予期せず合成された、強力な幻覚剤である。
麻酔作用はないので、化学的に厳密にいえば“麻薬”ではない。
・麻黄の成分であるエフェドリンに化学操作を加えて、
日本で発明されたのが、覚せい剤である
メタンフェタミン(ヒロポン,シャブ,スピード)である。
同様にアンフェタミンはアメリカで開発された。
・MDMAなどの“合成麻薬”は、法律では麻薬等取締法に
規定されているが、化学的には“麻薬”ではなく、
“覚せい剤”の類似薬物である。
・「大麻」とはまさに植物分類上の「麻」のことである。
ただ、日用語の「麻」には繊維になる多種族の植物が
含まれるので、やや食い違いがある。
・阿片のような麻酔効果ではなく、LSDに近い様々な幻覚効果がある。
・植物分類上、“いわゆる大麻”は現在一種であり、“危険な大麻”とか
“安全な大麻”は、植物学上の分類としては確認されていない。
などなど、挙げていってもごく一部。
この他にも、ヒストリーやエピソードがぎっしりで、
一家に一冊、読んでみて損はないと思う。
ただ、あえて難を言えば、本書はあくまで“小事典”であって、
“考察”の部分は薄いということは指摘できそうだ。
例えば、世間の関心が高いマリファナ問題をはじめとして、
個々の説明は“危険性が否定できない”
“法律で禁止されているのだからやらないに限る”
といったごく常識的な説明に終始しており、
終盤になるほど情報の羅列という印象が強くなる。
つまり、格別、新しい研究の成果を紹介したり、
社会学や犯罪学の知見も目配りした幅広い考察を展開したりと、
「なるほど、そうきたか!」と膝を打つような卓見は、
ここにはないということである。
薬物の基礎知識にすでに詳しい人は、
新たに得られるところはないのかもしれない。
あくまで麻薬の初歩を総ざらいするするための一冊として
素人の私には参考になった。
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『沖縄ノート』 大江健三郎 岩波新書 1970/2010
近時、一大法廷闘争で物議をかもした作品。
裁判が終わったようなので、遅ればせながらやっと読んでみた。
今から40年前、1970年刊行、著者弱冠35歳のときの作品である。
本書をどのジャンルに位置づけるかは難しい。
ドキュメンタリーでも小説でもない。予め思っていた以上に、
推測・想像をふんだんにめぐらして書かれている。
なので、別にあえて批判的に読まなくでも、
この本が記録・論文といった、純客観的な文書ではないことは、すぐわかる。
著者は高名な作家であるが、本書もその半分は、
叙情的な小説として読まざるを得ないものになっている。
特に、死者をして、著者が成り代わって、
語らしめるという場面が印象的に多い。
問題となった戦時下についての記述は、
主に最終第9章において展開されている。
ただこれを読んでも、最高裁の判決と同旨で、
「軍命令の確証があるとはいえないが、著者が調べて、
そう信じ込んでいるのであるから、意見を言うのは自由だ。」
という以上のことはわからない。何をどう調べて
そういう帰結になったかという資料的レポートではないから。
思想としても、よく言われるとおり、異常なくらいに
“自己嫌悪”・“罪の意識”を含んだ表現で埋め尽くされている。
これに共感できる人が当時どのくらいいたかわからないし、
それは年々困難になっているのではないか。
したがって、「40年前の時代状況で、小説家が、見聞録として書いた」
とやはり前提を押さえて読まないと、読み進めるのは難しいと思う。
“いかに同情を感じ、努力や勉強をしようとも、本土人は本土人の血を
受け継ぐ限り、沖縄に対する理解や協調は不可能”というのが、
本書での著者の基本スタンスであり、ほとんど、一周して
優生主義や一億総懺悔論かというような発想で貫かれている。
確かに“安易な同情論は有害無益”という限度では正しいと私も思うが、
“本土人は本土人であることで生来に悪人”とまで断定してしまっては、
あまりに身も蓋もなく、希望・展望が見出せないのではないかと、
強い疑念を感じるところだ。
それでも、そういった強迫観念的な部分を我慢して読めば、
印象として興味深い場面はもちろんある。
沖縄がまだ返還される前の異常なまでの緊迫した
空気感を伝える本としては成立している。
近世から、日本本土とは大きく異なる立ち位置に
追いやられてきた沖縄の様子は、考えさせられる。
この本質的な緊張関係は現在でもずっと継続していることは
周知のとおりであり、「沖縄が日本に属しているのではない、
沖縄に日本が属しているのだ」というのは、痛烈なフレーズだと思う。
しかし、やはり史実を綿密に記録したドキュメンタリーでもなく、
また文学に昇華させた歴史小説でもない、
今でいうところの“ブログ本”のようなものであるから、
高く評価するのは困難だろう。少なくとも素人の私には、
本書から建設的なものは何も見出せなかった。
これを読んで健全な反戦・平和主義が涵養されるとも、まるで思われない。
著者は「今後も多くの人に読んでほしい」と言っているようだが、
あくまで個人的感想では、もう販売を終了させて、
沖縄人の手で別のちゃんとした正史が編まれるべきだろう。
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『パル判事』 中里成章 岩波新書 2011
東京裁判において、A級戦犯被告全員の無罪を説いた、パール判事こと、
インド代表判事ラダビノド・パル(1886−1967)の評伝です。
名前は有名ですが、いまひとつ詳しくはわからない、パール判事こと、
パル判事のプロフィールについて、その生まれから経歴、そして
東京裁判から晩年と、一生を満遍なく調査してまとめた一冊です。
パル氏の経歴ももちろんですが、
近代ベンガル地方の一人の法律家の一生というだけでも、
読み物としてなかなか面白いです。歴史好きのみならず、
法律・裁判ものが好きな人にもぜひ読んでいただきたい。
とりあえず、私が読み取った要点を箇条書きすれば、
1 職業は弁護士。刑事事件はあまり扱ったことはなく、
専門は所得税法であった。
2 同時にカルカッタ大学教授であった。ただし、
専門はインド法制史であり、国際法や刑事法ではない。
臨時に就いたことがある。
4 国際法に関する論文や研究は、
東京裁判とその周辺に関する一点のみである。
5 カルカッタ大学の副学長を1期2年間務めた。
満了により終任しており、東京裁判判事に任命されたから
辞職したということではない。
6 東京裁判選任は緊急で行われ、
インドの多数の高裁判事に依頼を出したところ、
はじめに承諾したのがパルであったため選任された。
政府から個別の要請を受けたわけではない。
むしろ非常勤であるため、平時なら候補に入ったとは考えづらい。
7 どちらかというと、ボースら急進派との接点が多く、
ガンディーら穏健派との接触や共感を示すものは見当たらない。
8 ネルーらとも格別の親交はない。会議派とは、
原則として主義や党派が異なる。
9 死刑反対論者である。通例の4つの理由を主張している。
10 晩年は国連国際法委員を長く務めたが、
東京裁判と同様に一貫して独自の持論を展開した。
そもそも西欧発祥の国際法というものに懐疑的であり、
議題や議決のほとんどに反発した。
11 晩年,ガンディーやネルー,非武装平和主義などにも言及したが、
特に深い思索・研究に基づいて発言したという証跡は見られない。
そのため、東京裁判意見書とも不整合を生じている。
という感じですが、その他、文化的・政治的側面に関する
記述も多数ありますので、これだけではありません。
ただ、そういった政治的・イデオロギー的対立は、
センシティブな問題で、私は知識も興味も持ち合わせていませんので、
深入りしません。とにかく一人の外国弁護士の伝記としてよくできていて、
おもしろいと思ったので、その点だけでおすすめします。
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『脳死とは何か(改訂新版)』 竹内一夫 講談社ブルーバックス
自然科学を扱った新書、講談社ブルーバックスの一冊。
「脳死」という事象について、“信頼性があって”、
“系統立ててまとまっていて”、かつ“安くて手軽な”
教養書は、現在ちょっと見たところでは、
本書をおいて他にないようです。
著者は、杏林大学の元学長で、脳死に関する第一人者。
刑法学でも出てくる、あの「竹内基準」の竹内先生である
(西田典之『刑法各論』10頁参照)。
・脳死は、絶対に回復することはないのか?
・どのような原因で、どのようにして起こるのか。
・脳死という概念が生れた歴史。
・脳死になっても手足が動くことがあるのはなぜか?
・脳死の判定はどのように行われるか。
・世界各国ではどうなっているのか。
・「植物状態」との違いは?
など、網羅的に説明されている。
脳死に関する疑問はこれによってだいぶ解消されるでしょう。
近時の臓器移植法改正に触れて、
脳死に関心が沸いた人は、必読といえそうです。
医学に興味のなんてないよという人(私もそう)も、
ぜひ読んでみることをおすすめしたい。
ただ、医学本なので、一般人にはかなり刺激が
強いな内容であることは注意が必要かもしれない。
心臓が弱い人、血を見るのがダメな人は気を付けた方がいい。
自分も少しずつ読み進めましたが、どっと疲れました。
でも、ぜひ読んでおくべきものでしょうね。
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