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26 大逆罪
・社会またはその代表者を直接に破壊しようとする行為が大逆罪である。
社会秩序を侵害する行為を幅広く含むものではない。
27 私人の安全を侵す罪
・特権階級でも平民と同じように罰せられなければならない。
特権階級の犯罪はむしろ社会的影響が大きいくらいである。
貴族階級自体に見直しが必要である。
28 名誉きそんについて
29 決闘について
30 ぬすみについて
・窃盗については、経済的に困窮しての者が多いであろうから、
有期懲役刑を科すべきである。窃盗と強盗では、
その重さを分けて科刑しなければならない。
31 密輸入について
・犯罪は、それが個人の利益に対するものか、
国家の利益に対するものか、
またなぜそのような犯罪が行われるのかを分析して、
有効な科刑をしなければならない。
32 破産者について
・詐欺または重過失の場合を除き、破産者に刑罰を科してはならない。
33 公安について
34 社会的無為について
・演説や説教あるいは社会的無為行為は、
法律で場所を指定することができる。
取締官の自由裁量で取り締まることは許されない。
35 自殺および国外逃亡について
・自殺や国外逃亡を罰することには無理があり、その必要もない。
36 証明のむずかしい犯罪について
・姦通,同性愛,嬰児殺は、その背景として
やむにやまれぬ生理的,社会的な事情があるものである。
そういった原因を考察せずに刑罰を科すのは不当である。
37 特殊な犯罪について
38 有用性についてのあやまった考え方について
・むやみに過酷で広範な取締りは、自由を害し、
より強い犯罪を生むだけである。
刑罰は必要な範囲で効果的に定めなければならない。
39 家族の精神について
・家父長制は個人の自由の妨げになる。公共の福祉を追求すべき
立法の過程に家父長制の論理を持ち込んではならない。
40 国庫の精神について
・罰金を国の収入としてあてにした刑罰を科してはならない。
あたかも裁判官が収税官になるようなもので、
自白の強要など不公正な裁判を招く。
41 どのようにして犯罪を予防するか
・これまでのまとめ。刑法を超えて、
啓蒙思想や自由主義が力説されている。
42 結論
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新書・文庫
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11 宣誓について
・被告人に宣誓をさせてはならない。
すなわち自己負罪は拒否できるべきである。
12 拷問について
・拷問は許されない。推定無罪の者に刑罰を科すに等しい。
無罪のものに虚偽の自白をさせるおそれがあり、
自己負罪の強要にもあたる。忍耐力が強い者が無罪になり、
弱いものが有罪になるというように、
事件と関係のないことで判決が決まることになる。
13 訴訟期間および時効について
・訴訟は迅速に行わなければならない。
殺人以上の凶悪な犯罪に時効を認めてはならないが、
財産犯など軽い犯罪については時効を認めるべきである。
未決拘留期間は刑の期間に参入しなければならない。
14 未遂・共犯・共犯密告者に対する刑罰免除について
・未遂と共犯は既遂や正犯よりも軽く罰する。
共犯者を聞き出して代わりに刑罰を免除すること(司法取引)は、
その有用性は否定できないが、司法の正義の観点からは容認できない。
15 刑罰の緩和について
・罪と刑罰は、予防の見地から、均衡が取れていなければならない。
16 死刑について
・一般予防に役立たないので、死刑も廃止すべきである。
むしろ、過酷な終身刑を設ける方が予防効果は高い。
死刑を覚悟しているような犯人には
なおのこと終身刑を科すべきである。
17 追放刑と財産没収刑
18 汚辱刑
・刑罰の法定と罪刑の均衡。
刑罰は合理的に予防効果があることが必要である。
19 科刑はなるたけじん速に、また公開されてなされなければならない。
・拘留期間は短く、訴訟はできるだけ迅速に。
20 刑罰は確実でのがれることができないものでなくてはならない。
恩赦について。
・刑罰は厳しさよりも確実に科すことが大切である。
立法は合理的に刑罰を法定し、執行官は、情によらず
確実に刑罰を科さなければならない。
21 庇護権について
・刑罰は、主権の及ぶ国内に例外なく適用され、
一方で国外には適用されない。
22 犯人の首に賞金をかけるならわしについて
23 犯罪と刑罰はつり合っていなければならない
・刑罰は、犯罪の重さや頻度に正確に比例させて、
段階的に定めなければならない。
24 犯罪の尺度について
・犯罪の重さは、客観的な社会に与える損害の大小で
測られなければならない。
25 犯罪の区分
・社会に対する犯罪,個人に対する犯罪,
公共の福祉に関する法に反する犯罪に分けられる。
法律に違反しない範囲で、行動の自由は保障される。
つづく
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『犯罪と刑罰』 ベッカリーヤ著 風早八十二・五十嵐二葉訳 岩波文庫
イタリアの法学者チェザーレ=ベッカリーヤ(1738-1794)が
1764年に発表した、刑事法学の古典中の古典。
短くてかなり平易です。高校生以上なら誰でも読めるでしょう。
なお、翻訳書としては、訳者がこと細かにコメントを入れてくる
傾向にある。なので、ちょっと本文に介入しすぎという気もする。
そろそろ、新訳にしてほしいところですが、それは余談です。
以下、内容の総覧。コメントは私の独断による要旨。
ベッカリーアの前言
1 序論
2 刑罰の起源と刑罰権の基礎にかんする諸原理。
・本書は全体として社会契約論を基礎にしており、
その重要性を強調している。
3 前章の原理からの帰結
・刑罰は国民の代表である立法権のみが制定できる。
裁判官は中立の立場から犯罪事実の存否のみを判定する。
刑罰は残虐であってはならない。
4 法律の解釈
・裁判官は法律の解釈をしてはならない。慣習や条理などをまじえず、
文理どおりに適用すべきである。
5 法律のあいまいさについて
・法律は、人々にわかりやすいように、
成文法で、はっきり書かなければならない。
それは人々に予見可能性を与え、一般予防にも資する。
6 未決勾留について
・逮捕や勾留の要件についても法律でしっかり定めること。
逮捕や勾留をされただけではまだ無罪なのだから、
犯罪者扱いしてはいけない。
7 証拠と裁判形式
・罪は証拠によって確実性を証明しなければならない。
また、同身分内からくじ引きで選んだ陪審制が望ましい。
そして、裁判官の忌避,公開裁判の制度が必要である。
8 証人
・証人は性別,身分,犯歴などで差別してはならない。
しかし、供述の証明力はごく慎重に判断しなければならない。
推定無罪の原則。
9 密告について
・起訴や裁判は、公然とこれを行わなければならない。
10 誘導尋問について
・誘導尋問はしてはならない。従って拷問もしてはならない。
つづく
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『本は、これから』 池澤夏樹 編 岩波新書 2010
「本」に対する熱い思い入れを、
読書家37人が語り下ろした一冊。
非常に濃い内容。
「書籍電子化は是か非か」が
一応のテーマになっていますが、
そういう論争はともかくとして、
思い出をつづった軽いエッセイとして
読むのが正解なのかもしれません。
活字の素晴らしさが伝わる、
珠玉の短編がそろっています。
いろんな人の人生の旅を味わえ、
本の楽しさがよく出ています。
ただ部分的にいうと、
科学的・論理的な観点からいって
奇妙な主張も散見されました。
「本と人間は炭素だから愛称がいい」とか
「本は生き物である」とか
「電子情報より本の方が何万年後の未来に残る」とか、
あまりよくわかない仮説もあります。
とはいえ、そういう本に対する
フェティシズムは私にもあるので、
馬鹿にもできないところではあります。
たしかに書棚に並ぶ本をながめ、
手にとってパラパラやるだけで何時間も
楽しめるのは、その限度では共感できます。
しかし、神秘性や代替不可能な絶対性とか
まで強調されるとややひいてしまうでしょう。
装丁家やデザイナー,書店員や古書店主など、
専門家の体験談は、本筋からは関係ないですけれど
逆に、それだからこそすこぶる面白いです。
こういう専門職・職人気質の人が多く残ってくれれば、
書籍の未来もいくらか明るいのでしょう。
結局、37人の各意見は、
それだけでは断片的なものであって、
相互に衝突したり、補完しあったり
しているのが興味深いです。
私は基本的に
「雑多な大部分は電子化されるが、
少量の大事な本が紙として残ればいい」
という立場(本書でも4〜5人はそう言う)に共感しますが、
ある方の、「流通の販路が断たれれば、良書も生き残れない。
少数精鋭で生き残ればいいというのは楽観的だ」という
意見を読んで、考えさせられました。
このように、37人が
相互の意見を知らずに書いているので、
悪く言えば、もどかしさも感じます。
別の方法として、5〜10人程度で
座談会的に議論した方が、水掛け論ではない、
一歩進んだ見通しを探れたかもしれません。
なお、本書を読んでみて最終的に、
「岩波書店はどうするの?」
というのが率直に言って、
私が一番知りたいところでした。
大手老舗で、文庫や新書など大量の版を
保有している岩波がどうするかの方が、
愛読者の個人的な思い入れよりも
切実なところかもしれません。
この点、鈴木敏夫氏の見解が痛烈でした。
一読の価値はあります。
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『憲法講話』 宮沢俊義 岩波新書 1967
戦後憲法学の第一人者にして超大物である
宮沢俊義教授が、晩年に一般向けに書き下ろしたもの。
40年が経っても増刷され続けている。
読みやすくて、文章としてはあまり古さを感じさせない。
戦後、日本社会に新憲法を導入しようとする
熱い気迫がビビッドに伝わってくる。
具体例となる逸話が多く含まれているので
読み物として純粋におもしろいと思う。
人権に関する著者の有名な理論である
「内在的一元的制約」論も、
一般向けに噛み砕いて組み込まれている。
ただ、本題の内容はさすがに古く、
今の視点では十分な内容とは言いがたい。
政教分離についてはやはり力を入れて、
明治憲法との違いが語られている。
しかし、厳格に分離するという立場はわかるが、
いかんせん1967年の本なので、
その直後から次々発生した一連の政教分離訴訟や、
そこで用いられた「目的効果基準」論にはまったく
触れられていないので、その点で古いのは否めない。
学問の自由では、もちろん、
滝川事件と天皇機関説事件が扱われている。
師匠である美濃部達吉が攻撃されたことへの恨みが
全開であり、特に徳富蘇峰がひどかったと書いている。
ただ「大学の自治」、つまり「高等教育の自由」
だけが話題であり、その後注目を集める
「初等・中等教育の自由」については触れられていないのが、
やはり今からするともの足りないか。
生存権に関しては、
夜警国家観と社会国家観の説明は丁寧になされている。
しかしここもほかの章と同じく、現在では外せない、
“請求権の限界”“裁量権の限界”という議論には
話が進んでいかない。抽象的権利説的な説明は
一応なされているけれど、プログラム規定説的な
ニュアンスもあり、やや楽観的な説明になっている。
…と、こんな感じで10章が続いていく。
要するに「明治憲法と日本国憲法とでどこが変わったか」
という本なのである。別の言い方をすると、
その激動を説明するだけで、一冊としては限界だった
ということができるだろう。そのため、
新憲法が定着し始めてから議論されている
主要な論点にはことごとく触れられていない。
この本ではそれもしかたないところだろう。
1980年あたりで、後継者の芦部信喜教授に
新書を一冊書き下ろしていただきたかったと、残念に思う。
芦部教授の「二重の基準論」が反映されていないのでは、
入門書としても不十分なのは否めない。
なお、平和主義に関しては、当然、自衛隊は
憲法に適合していないという立場ではあるものの、
「その是非は、議会を通じて、国民の判断に
委ねるよりない」(大意)としており、声高に、
「違憲である」「即時廃止」とは書いていない。
この辺はやはり東大教授らしい穏当な対応といえるだろう。
終わりの講演録である「神々の共存」は、
その後の憲法学の通説の根幹となるスタンスを表明しており、
現在の東大教授にも引き継がれている精神である。
この終章のみでも一読の価値があるでしょう。
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