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セミナー情報
災害廃棄物の現状と課題
◆講演1:「大阪市災害廃棄物処理基本計画」について
 講師:大阪市環境局 総務部 総務課 課長代理 山下 朋広 氏...

◆講演2:災害廃棄物に関する環境省の取組
 講師:環境省大臣官房 廃棄物・リサイクル対策部 廃棄物対策課
 災害廃棄物対策室 係長 切川 卓也 氏

◆講演3:災害廃棄物仮置場管理等の課題
 講師:国立研究開発法人 国立環境研究所 資源循環・廃棄物研究センター
 循環利用・適正処理処分技術研究室 主任研究員 遠藤 和人 氏 
 
 地震や津波、洪水などに伴って発生する災害廃棄物は、倒壊・破損した建物などのがれきや木くず、コンクリートがら、金属くずなど、その内容は様々です。1995 年の阪神・淡路大震災では、800 万トンを超える災害廃棄物が発生しました。2011 年 3 月に発生した東日本大震災では、13 道県にわたって災害廃棄物及び津波堆積物 3120 万トンが発生したと推計されています。福島県を除く道県での処理は終了していますが、地震に伴う原子力発電所の事故による放射性物質により汚染された廃棄物もあり、福島県にういては、まだ、終了していません。

セミナーでは、東日本大震災で復旧・復興、支援統合管理システムを経験された株式会社奥村組 大塚義一氏に司会をして頂き、2017 年 3 月に策定された「大阪市災害廃棄物処理基本計画」について、大阪市環境局総務部総務課課長代理の山下朋広氏にご紹介していただいた後、「災害廃棄物に係る環境省の取組」について、環境省災害廃棄物対策室係長の切川卓也氏に、「災害廃棄物仮置き場管理等における課題」について、国立環境研究所資源循環・廃棄物研究センター主任研究員の遠藤和人氏に、ご紹介していただきます。是非、ご参加ください。

司会:株式会社奥村組 大塚義一氏

■日程:
 

2017年12月20日(水)13:30〜16:30 

■受講料:
1,000円 (但し、行政担当者、おおさかATCグリーンエコプラザ出展企業、水・土壌汚染研究部会会員は無料)

■会場:
おおさかATCグリーンエコプラザ内 セミナールーム
■定員:
60名

■主 催:
おおさか ATC グリーンエコプラザ実行委員会(大阪市、アジア太平洋トレードセンター株式会社、日経新聞社)
おおさか ATC グリーンエコプラザビジネス交流会 水・土壌汚染研究部会
■お申し込み:
〒559-0034 大阪市住之江区南港北2丁目1-10 ATCビル ITM棟11F
おおさか ATC グリーンエコプラザビジネス交流会 水・土壌汚染研究部会 水・土壌セミナー係
TEL:06−6615−5887 FAX:06−6614−1801 E-mail:md@e-being.jp

以下はセミナーと直接関係がありません


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南海地震

   
南海地震(なんかいじしん)は、紀伊半島紀伊水道沖から四国南方沖を震源域とする巨大地震の呼称。南海トラフ西側でプレート間の断層滑りが発生する低角逆断層型の地震と考えられている[1]
狭義の南海地震は1946年昭和21年)に発生した昭和南海地震を指す名称である[2]が、広義には安政南海地震宝永地震(南海トラフのほぼ全域が震源域)など南海道沖を震源域とする歴史地震も含まれ、さらに将来、同震源域で起きると想定される地震も含めて南海地震と総称される。また、南海大地震(なんかいだいじしん)や南海道地震(なんかいどうじしん)と呼称される場合もある。

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  1. 684年11月26日11月29日)(天武13年10月14日白鳳地震(天武地震) - M 8 14、死者多数。亥時(午後9時 - 11時頃)になって大地震があった。土佐で津波により大きな被害。伊予湯泉(道後温泉)は埋没して出なくなり、田園(約 12 km2)が海面下へ沈下。これは『日本書紀』の南海地震の最古の記録である。地質調査によれば、東海道沖の震源域におけるほぼ同時期の地震痕跡が発見される。
  2. 887年8月22日8月26日)(仁和3年7月30日仁和地震 - M 8.0 - 8.5五畿七道諸国、京都摂津を中心に死者多数。津波あり。地質調査によれば、東海道沖の地震震源域におけるほぼ同時期の地震痕跡が発見される。
  3. 1361年7月26日8月3日)(南朝正平16年6月24日北朝康安元年6月24日) 正平地震(康安地震) - M 8 14 - 8.5、死者多数。摂津・阿波・土佐で津波により大きな被害。摂津四天王寺の金堂が転倒し圧死者が出た。津波で摂津・阿波・土佐に被害、特に阿波の雪(由岐)湊で流失1,700戸、流死60余。東海道沖の地震の発生は不明だが、同時期に東南海地震に相当する地震が発生したという説もある。東大地震研が調査した法隆寺の記録によると、淡路島の障壁にも関わらず、大阪市天王寺区でも海岸から4km以上に渡り津波が押し寄せたという[28][22]。さらには伊勢神宮古文書でも当時の記録が残されていることがわかっている[29][30]
  4. 1707年10月28日宝永4年10月4日宝永地震(南海トラフ全域が震源域とされる) - M 8.6、五畿七道諸国、東海地方から九州東部の広い範囲が激震域となる。この地震の49日後に富士山が噴火し宝永山(火口)ができる(宝永大噴火)。死者2万人余、倒壊家屋6万戸余。房総半島から九州まで大津波が襲来し、大坂、土佐の被害が甚大であり、青龍寺や久礼では標高25mの地点まで遡上した。道後温泉の湧出が145日間止まる。


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三重県尾鷲神社の由緒書き
1707年の宝永地震や1854年の安政南海地震の大津波で古文書がほとんど流されている。
  1. 1854年12月24日嘉永7年11月5日安政南海地震 - M 8.4、死者千 - 3千人。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(串本で最大波高 11 m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。道後温泉の湧出が106日間止まる。時間差でこの32時間前に安政東海地震(東海道沖の地震)が発生している。両地震による死者の合計は約3万人との説もある。余震とみられる地震は9年間で2,979回記録された(『真覚寺日記』)。
  2. 1946年(昭和21年)12月21日 昭和南海地震 - M 8.0、被害は中部以西の日本各地にわたり、死者1,330名、家屋全壊11,591戸、半壊23,487戸、流失1,451戸、焼失2,598戸。津波が静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高知・三重・徳島沿岸で 4 - 6 m に達した。室戸・紀伊半島は南上がりの傾動を示し、室戸で 1.27 m、潮岬で 0.7 m 上昇、須崎・甲浦で約 1 m 沈下。高知付近で田園15km2が海面下に没した。道後温泉の湧出が38日間止まる。山口県美祢市(旧美祢郡別府村 (山口県)共和村)では秋吉台麓の厚東川沿いの低地に「口径 1 - 11 m、深さ 1 - 5 m の堆積地ドリーネが150余発生した[31]」。この地震の2年前、1944年(昭和19年)12月7日には昭和東南海地震が発生している。

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南海トラフ(赤線)のうち、駿河トラフは黄線の部分


684年11月26日(11月29日)(天武13年) 白鳳地震(天武地震)(東海 東南海 南海連動?) M8 14
  • 山崩れ、家屋、社寺の倒壊多数[19]
  • 日本書紀』の土佐における地盤沈下や津波などの記録は南海地震を示唆するが、諸国で郡官舍及百姓倉屋、寺塔、神社が多数倒壊したとも記録され、地質調査によると、東海・東南海地震も同時期に発生したと考えられる[20]静岡市川合遺跡の7世紀後半の砂脈痕が東海地震震源域に相当する[21]
887年8月22日(8月26日)(仁和3年) 仁和地震東海 東南海 南海連動?) M8.0-8.5
  • 京都で民家、官舎の倒壊による圧死者多数。特に摂津での被害が大きかった。
  • 日本三代実録』にある畿内の甚大な被害記録は南海地震を示唆するが、五畿七道諸国大震とも記録され、地質調査によると、東海・東南海地震も同時期に発生したと考えられる。静岡県富士市浮島ヶ原低地における断層活動による水位上昇痕が相当する[22]
  • 八ヶ岳の山麓が崩壊し大月川に堰止め湖(河道閉塞)が形成された。堰止め湖は翌年6月に決壊し土石流を発生させ信濃の国千曲川流域に洪水を生じた痕跡が残っている[23][24][25]
1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年) 永長地震東海 東南海連動?) M8.0-8.5
  • 皇居の大極殿に被害があり、東大寺の巨鐘が落下、近江の勢田橋が落ちた。津波により駿河で民家、社寺400余が流失。畿内琵琶湖、および揖斐川付近の強震動および津や駿河の甚大な津波被害から東海・東南海連動地震と推定[6][26]
  • この地震の2年2ヶ月後に南海地震(康和地震)が発生した。
1498年9月11日(9月20日)(明応7年) 明応地震東海 東南海連動?) M8.2-8.4
  • 紀伊から房総にかけてと甲斐に大きな揺れがあり、鎌倉高徳院の大仏殿が押し流され、浜名湖が海と繋がった。震害よりむしろ津波の被害が大きく、伊勢大湊で家屋1,000戸、溺死者5,000人。伊勢志摩で溺死者10,000人、『林叟院記録』・『志太郡誌』(静岡県)によれば溺死者26,000人などの被害。
  • 地質調査によれば、ほぼ同時期に南海地震も発生したと考えられている。1498年の日向灘地震がこれにあたるとの説もある。
1707年10月28日(宝永4年) 宝永地震東海 東南海 南海連動?) M8.6
  • 東海・東南海地震と南海地震が同時に発生したM8.4 - 8.6の地震とされてきた。この地震の49日後に富士山が噴火し、宝永山(火口)が造られた(宝永大噴火)。死者2万人余、倒壊家屋6万戸余、土佐を中心に大津波が襲った。
  • 安政東海地震と同様の駿河湾へ震源域が入り込む地震ではないとする見解もある[27][28][29]
1854年12月23日(嘉永7年) 安政東海地震東海 東南海連動) M8.4
  • 震源域は駿河湾奥から陸域に達したと推定され、著しい激震域と富士川河口付近に地震山と称する断層が出現した[30]。死者2,000 - 3,000人余、倒壊及び焼失家屋3万戸余、津波多数発生。掛川城が倒壊。
  • 駿河湾周辺の地殻変動や、駿河湾内で海面が盛上がる津波の発生が目撃されていることから、駿河湾にも断層モデルが仮定されている[6][7][8]
  • この地震の32時間後に安政南海地震が発生した。

赤線南海トラフ。日向灘地震の震源域はその西端部分から西側の海域一帯である。


日向灘地震の位置(九州内)
1662年
1662年
1968年
1968年
日向灘地震
日向灘地震
日向灘地震
日向灘地震
17世紀以降に発生したM7.6前後の日向灘地震の震央をRed pog.svg、1923年以降に発生したM7.0-7.2の日向灘地震の震央をBlue pog.svgで示した。

M7.6前後のものは約200年間隔で発生すると推定され、17世紀以降は1662年 (M7.6)と1968年 (M7.5)の2回発生しており、2回とも津波を引き起こし人的被害を出している。また、M7.0 - 7.2程度のものは約20 - 27年間隔で発生すると推定され、1923年以降は1931年 (M7.1)、1941年 (M7.2)、1961年 (M7.0)の3回、ないし1984年 (M7.1)を含めて4回(1984年の地震は従来プレート間地震とされていたが、プレート内地震であり日向灘地震に含まれないという指摘もある。)発生しており、いずれも人的被害を出している[5]
2種類の地震を合わせると十数年から数十年に一度の割合で発生している。調査により判明している過去最大の地震は、1662年のM7.6の地震であり、日向灘の領域単独でM8以上となる巨大地震が発生した記録はない[6]。しかし、震源域が東に隣接する南海地震などと同時発生してM8以上の連動型巨大地震となったことがあるという見方もある。例えば、東海・東南海・南海連動型地震であった1707年宝永地震は日向灘地震とも連動した可能性が指摘されている。そして、将来もそのような連動型巨大地震が発生する恐れがある。



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転載元転載元: 持続可能な開発(水・土・廃棄物)

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