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10月1日土曜日の馬越峠散策の最終回です。
 
熊野古道を馬越峠コースを海山方面から尾鷲まで歩いてきました。

馬越の津波供養塔を過ぎると、建物が密集してきました。

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道端の古い石碑に「くまのみち」と書かれていますね。
 
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道路の高架下を潜りましたが、そこにこんなポスターが・・・
 
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少し調べてみました。
 
世界遺産「熊野古道」をはじめ、尾鷲市の歴史と自然の恵みが満喫できる日本ウォーキング協会公認の歴史と癒しのコースを行くウォーキング大会らしいです。
  
熊野古道馬越峠コース・八鬼山峠や尾鷲湾を一望できる天満浦のみかん畑のコース等、多様なコースから選べるそうです。
 
数多くの特典やコース途中でのおもてなしがあり、一日参加も、二日参加もOKのようです。
 
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県道778号線まで出てきました。
尾鷲から馬越峠に行くときの入り口のようですね。
ポランティアのお嬢さんが地図を見ながら会話中。
 
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ここから、熊野古道を外れて、県道778号線を西に進みます。
 
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立派な山門の金剛寺がありました。
 
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目的地の尾鷲神社はその隣になります。
 
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木の鳥居が尾鷲らしいと思いました。
 
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尾鷲神社の由緒が書かれていましたよ。
 
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熊野古道とも関係が深いようですね。 
 
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干してある藁は、神事に使うのでしょうね。
 
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手水舎で体を清めましょう。
 
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作法が額に掲げられていますが、イメージがつかみづらいですね。
でも、安心してください。
 
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可愛い巫女さんのイラスト付きで書かれた立て札もありますから。
 
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順番は、「左手・右手・左手で受けて口・口をゆすいだ左手・ひしゃくの柄」ですね。
 
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尾鷲神社境内には、2本の巨大な楠があります。
 
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なんと、木の周囲は、10mと9m、樹齢は1.000年以上だそうですよ。

大きいです、木から離れて撮らないと全体が写りません。

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二本の木にはしめ縄がかけられていて・・・
 
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小さな鳥居の右横には、夫婦楠と書かれていました。
 
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左側の立て札には、御神木の効能書きが・・・・
「良縁・子宝伝承」
 
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根のあたりは一つに繋がっているようです。
 
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日本一降雨量の多い尾鷲の雨で、千年以上もかけて、すくすくと育ってきたのですね。
 
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本殿へお参りしましょう。
 
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靴を脱いでお上がりくださいと書いてありますが、
体中汗まみれなので、恐れ多くて上がることは出来ませんでした。
  
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外からの参拝をお許しください。
 
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顔出しパネルもありますよ。
ヤーヤ祭のヤーヤ衆のパネルですが、
ヤーヤ祭は、尾鷲で2月1日から5日まで行われる奇祭だそうです。
かなり激しいお祭りのようですね。
 
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尾鷲神社を後にして、街まで戻りましょう。

川には、アオサギがいましたが、作り物のようにじっとしています。
魚が来るのを待っているのでしょうか。
 
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馬越峠の方を見やると・・・・もやがかかっていますね。
雨が降り出したのでしょうか。
 
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銭湯を見つけました。
 
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煙突から煙が出ていたし、暖簾もかかっていますね。
お風呂に入りたいのですが、着替えを持っていません。
 
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尾鷲のイオンまで行って、着替えを買うことにしましょうか。

「熊野古道 馬越峠を行く」は、これでおしまいです。

とりとめの無いブログにお付き合いいただきありがとうございました。

次の熊野古道の散策は、どのコースにしようかな〜
 



転載元転載元: 「コッツプレイス」 の ブログ



セミナー情報
災害廃棄物の現状と課題
◆講演1:「大阪市災害廃棄物処理基本計画」について
 講師:大阪市環境局 総務部 総務課 課長代理 山下 朋広 氏...

◆講演2:災害廃棄物に関する環境省の取組
 講師:環境省大臣官房 廃棄物・リサイクル対策部 廃棄物対策課
 災害廃棄物対策室 係長 切川 卓也 氏

◆講演3:災害廃棄物仮置場管理等の課題
 講師:国立研究開発法人 国立環境研究所 資源循環・廃棄物研究センター
 循環利用・適正処理処分技術研究室 主任研究員 遠藤 和人 氏 
 
 地震や津波、洪水などに伴って発生する災害廃棄物は、倒壊・破損した建物などのがれきや木くず、コンクリートがら、金属くずなど、その内容は様々です。1995 年の阪神・淡路大震災では、800 万トンを超える災害廃棄物が発生しました。2011 年 3 月に発生した東日本大震災では、13 道県にわたって災害廃棄物及び津波堆積物 3120 万トンが発生したと推計されています。福島県を除く道県での処理は終了していますが、地震に伴う原子力発電所の事故による放射性物質により汚染された廃棄物もあり、福島県にういては、まだ、終了していません。

セミナーでは、東日本大震災で復旧・復興、支援統合管理システムを経験された株式会社奥村組 大塚義一氏に司会をして頂き、2017 年 3 月に策定された「大阪市災害廃棄物処理基本計画」について、大阪市環境局総務部総務課課長代理の山下朋広氏にご紹介していただいた後、「災害廃棄物に係る環境省の取組」について、環境省災害廃棄物対策室係長の切川卓也氏に、「災害廃棄物仮置き場管理等における課題」について、国立環境研究所資源循環・廃棄物研究センター主任研究員の遠藤和人氏に、ご紹介していただきます。是非、ご参加ください。

司会:株式会社奥村組 大塚義一氏

■日程:
 

2017年12月20日(水)13:30〜16:30 

■受講料:
1,000円 (但し、行政担当者、おおさかATCグリーンエコプラザ出展企業、水・土壌汚染研究部会会員は無料)

■会場:
おおさかATCグリーンエコプラザ内 セミナールーム
■定員:
60名

■主 催:
おおさか ATC グリーンエコプラザ実行委員会(大阪市、アジア太平洋トレードセンター株式会社、日経新聞社)
おおさか ATC グリーンエコプラザビジネス交流会 水・土壌汚染研究部会
■お申し込み:
〒559-0034 大阪市住之江区南港北2丁目1-10 ATCビル ITM棟11F
おおさか ATC グリーンエコプラザビジネス交流会 水・土壌汚染研究部会 水・土壌セミナー係
TEL:06−6615−5887 FAX:06−6614−1801 E-mail:md@e-being.jp

以下はセミナーと直接関係がありません


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南海地震

   
南海地震(なんかいじしん)は、紀伊半島紀伊水道沖から四国南方沖を震源域とする巨大地震の呼称。南海トラフ西側でプレート間の断層滑りが発生する低角逆断層型の地震と考えられている[1]
狭義の南海地震は1946年昭和21年)に発生した昭和南海地震を指す名称である[2]が、広義には安政南海地震宝永地震(南海トラフのほぼ全域が震源域)など南海道沖を震源域とする歴史地震も含まれ、さらに将来、同震源域で起きると想定される地震も含めて南海地震と総称される。また、南海大地震(なんかいだいじしん)や南海道地震(なんかいどうじしん)と呼称される場合もある。

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  1. 684年11月26日11月29日)(天武13年10月14日白鳳地震(天武地震) - M 8 14、死者多数。亥時(午後9時 - 11時頃)になって大地震があった。土佐で津波により大きな被害。伊予湯泉(道後温泉)は埋没して出なくなり、田園(約 12 km2)が海面下へ沈下。これは『日本書紀』の南海地震の最古の記録である。地質調査によれば、東海道沖の震源域におけるほぼ同時期の地震痕跡が発見される。
  2. 887年8月22日8月26日)(仁和3年7月30日仁和地震 - M 8.0 - 8.5五畿七道諸国、京都摂津を中心に死者多数。津波あり。地質調査によれば、東海道沖の地震震源域におけるほぼ同時期の地震痕跡が発見される。
  3. 1361年7月26日8月3日)(南朝正平16年6月24日北朝康安元年6月24日) 正平地震(康安地震) - M 8 14 - 8.5、死者多数。摂津・阿波・土佐で津波により大きな被害。摂津四天王寺の金堂が転倒し圧死者が出た。津波で摂津・阿波・土佐に被害、特に阿波の雪(由岐)湊で流失1,700戸、流死60余。東海道沖の地震の発生は不明だが、同時期に東南海地震に相当する地震が発生したという説もある。東大地震研が調査した法隆寺の記録によると、淡路島の障壁にも関わらず、大阪市天王寺区でも海岸から4km以上に渡り津波が押し寄せたという[28][22]。さらには伊勢神宮古文書でも当時の記録が残されていることがわかっている[29][30]
  4. 1707年10月28日宝永4年10月4日宝永地震(南海トラフ全域が震源域とされる) - M 8.6、五畿七道諸国、東海地方から九州東部の広い範囲が激震域となる。この地震の49日後に富士山が噴火し宝永山(火口)ができる(宝永大噴火)。死者2万人余、倒壊家屋6万戸余。房総半島から九州まで大津波が襲来し、大坂、土佐の被害が甚大であり、青龍寺や久礼では標高25mの地点まで遡上した。道後温泉の湧出が145日間止まる。


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三重県尾鷲神社の由緒書き
1707年の宝永地震や1854年の安政南海地震の大津波で古文書がほとんど流されている。
  1. 1854年12月24日嘉永7年11月5日安政南海地震 - M 8.4、死者千 - 3千人。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(串本で最大波高 11 m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。道後温泉の湧出が106日間止まる。時間差でこの32時間前に安政東海地震(東海道沖の地震)が発生している。両地震による死者の合計は約3万人との説もある。余震とみられる地震は9年間で2,979回記録された(『真覚寺日記』)。
  2. 1946年(昭和21年)12月21日 昭和南海地震 - M 8.0、被害は中部以西の日本各地にわたり、死者1,330名、家屋全壊11,591戸、半壊23,487戸、流失1,451戸、焼失2,598戸。津波が静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高知・三重・徳島沿岸で 4 - 6 m に達した。室戸・紀伊半島は南上がりの傾動を示し、室戸で 1.27 m、潮岬で 0.7 m 上昇、須崎・甲浦で約 1 m 沈下。高知付近で田園15km2が海面下に没した。道後温泉の湧出が38日間止まる。山口県美祢市(旧美祢郡別府村 (山口県)共和村)では秋吉台麓の厚東川沿いの低地に「口径 1 - 11 m、深さ 1 - 5 m の堆積地ドリーネが150余発生した[31]」。この地震の2年前、1944年(昭和19年)12月7日には昭和東南海地震が発生している。

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南海トラフ(赤線)のうち、駿河トラフは黄線の部分


684年11月26日(11月29日)(天武13年) 白鳳地震(天武地震)(東海 東南海 南海連動?) M8 14
  • 山崩れ、家屋、社寺の倒壊多数[19]
  • 日本書紀』の土佐における地盤沈下や津波などの記録は南海地震を示唆するが、諸国で郡官舍及百姓倉屋、寺塔、神社が多数倒壊したとも記録され、地質調査によると、東海・東南海地震も同時期に発生したと考えられる[20]静岡市川合遺跡の7世紀後半の砂脈痕が東海地震震源域に相当する[21]
887年8月22日(8月26日)(仁和3年) 仁和地震東海 東南海 南海連動?) M8.0-8.5
  • 京都で民家、官舎の倒壊による圧死者多数。特に摂津での被害が大きかった。
  • 日本三代実録』にある畿内の甚大な被害記録は南海地震を示唆するが、五畿七道諸国大震とも記録され、地質調査によると、東海・東南海地震も同時期に発生したと考えられる。静岡県富士市浮島ヶ原低地における断層活動による水位上昇痕が相当する[22]
  • 八ヶ岳の山麓が崩壊し大月川に堰止め湖(河道閉塞)が形成された。堰止め湖は翌年6月に決壊し土石流を発生させ信濃の国千曲川流域に洪水を生じた痕跡が残っている[23][24][25]
1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年) 永長地震東海 東南海連動?) M8.0-8.5
  • 皇居の大極殿に被害があり、東大寺の巨鐘が落下、近江の勢田橋が落ちた。津波により駿河で民家、社寺400余が流失。畿内琵琶湖、および揖斐川付近の強震動および津や駿河の甚大な津波被害から東海・東南海連動地震と推定[6][26]
  • この地震の2年2ヶ月後に南海地震(康和地震)が発生した。
1498年9月11日(9月20日)(明応7年) 明応地震東海 東南海連動?) M8.2-8.4
  • 紀伊から房総にかけてと甲斐に大きな揺れがあり、鎌倉高徳院の大仏殿が押し流され、浜名湖が海と繋がった。震害よりむしろ津波の被害が大きく、伊勢大湊で家屋1,000戸、溺死者5,000人。伊勢志摩で溺死者10,000人、『林叟院記録』・『志太郡誌』(静岡県)によれば溺死者26,000人などの被害。
  • 地質調査によれば、ほぼ同時期に南海地震も発生したと考えられている。1498年の日向灘地震がこれにあたるとの説もある。
1707年10月28日(宝永4年) 宝永地震東海 東南海 南海連動?) M8.6
  • 東海・東南海地震と南海地震が同時に発生したM8.4 - 8.6の地震とされてきた。この地震の49日後に富士山が噴火し、宝永山(火口)が造られた(宝永大噴火)。死者2万人余、倒壊家屋6万戸余、土佐を中心に大津波が襲った。
  • 安政東海地震と同様の駿河湾へ震源域が入り込む地震ではないとする見解もある[27][28][29]
1854年12月23日(嘉永7年) 安政東海地震東海 東南海連動) M8.4
  • 震源域は駿河湾奥から陸域に達したと推定され、著しい激震域と富士川河口付近に地震山と称する断層が出現した[30]。死者2,000 - 3,000人余、倒壊及び焼失家屋3万戸余、津波多数発生。掛川城が倒壊。
  • 駿河湾周辺の地殻変動や、駿河湾内で海面が盛上がる津波の発生が目撃されていることから、駿河湾にも断層モデルが仮定されている[6][7][8]
  • この地震の32時間後に安政南海地震が発生した。

赤線南海トラフ。日向灘地震の震源域はその西端部分から西側の海域一帯である。


日向灘地震の位置(九州内)
1662年
1662年
1968年
1968年
日向灘地震
日向灘地震
日向灘地震
日向灘地震
17世紀以降に発生したM7.6前後の日向灘地震の震央をRed pog.svg、1923年以降に発生したM7.0-7.2の日向灘地震の震央をBlue pog.svgで示した。

M7.6前後のものは約200年間隔で発生すると推定され、17世紀以降は1662年 (M7.6)と1968年 (M7.5)の2回発生しており、2回とも津波を引き起こし人的被害を出している。また、M7.0 - 7.2程度のものは約20 - 27年間隔で発生すると推定され、1923年以降は1931年 (M7.1)、1941年 (M7.2)、1961年 (M7.0)の3回、ないし1984年 (M7.1)を含めて4回(1984年の地震は従来プレート間地震とされていたが、プレート内地震であり日向灘地震に含まれないという指摘もある。)発生しており、いずれも人的被害を出している[5]
2種類の地震を合わせると十数年から数十年に一度の割合で発生している。調査により判明している過去最大の地震は、1662年のM7.6の地震であり、日向灘の領域単独でM8以上となる巨大地震が発生した記録はない[6]。しかし、震源域が東に隣接する南海地震などと同時発生してM8以上の連動型巨大地震となったことがあるという見方もある。例えば、東海・東南海・南海連動型地震であった1707年宝永地震は日向灘地震とも連動した可能性が指摘されている。そして、将来もそのような連動型巨大地震が発生する恐れがある。



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転載元転載元: 持続可能な開発(水・土・廃棄物)



上町断層

   
上町断層(うえまちだんそう)は、大阪府を南北に貫く活断層である。日本の活断層の中では地震の発生確率が(相対的に)高いグループに属している。

概要

生駒断層の分岐断層[1]であると考えられており、大阪府北部の豊中市から大阪市内の上町台地の西の端を通り、大阪府南部の岸和田市にまで続く。長さは約40キロメートルになる。断層の東側が西側に乗り上げることで、千里丘陵や上町台地を形作った。
一つの断層ではなく、大阪府北部の豊中市から吹田市までは佛念寺山断層(ぶつねんじやまだんそう)と呼ばれる。その南の大阪市内の上町断層の本体を経て、さらに南の長居断層(ながいだんそう)、大阪市を南にぬけて、和泉市岸和田市にかけての坂本断層(さかもとだんそう)、久米田池断層(くめだいけだんそう)と続く。このほかにも平行して、いくつかの派生した褶曲があり、すべてをあわせて上町断層帯とも呼ぶ。

最新活動時期

多くの調査が行われている[2][3][4]が活動間隔や活動歴に関し判っていない部分が多い。しかし、杉戸信彦ら(2015)は、堆積物の調査から断層主要部の最新活動時期は約2300年から2200年前頃と推定し、更に弥生時代中期末頃に発生したとされる河内湖沿岸の水没と離水に関与した可能性を指摘している[5]

地震活動による被害予想

標高が高い上町台地は断層の東側にあり、古くからの半島で地盤がしっかりしているため地震時の被害が少ないと言われている。
しかし、標高の低い周辺地域は近年の埋め立て地であることから地震時の液状化などが懸念されており、断層自体も吹田市の江坂大阪市の都心部・天王寺公園の真下など、都市の重要な施設や人口密集地を通っており、地震が発生すると大きな被害が予測されている。
2007年11月に発表された内閣府中央防災会議の報告ではM7.6を想定し、被害が最も大きい場合、死者4万2千人、負傷者22万人、帰宅困難者200万人、全壊棟数97万棟、避難者550万人、経済への被害74兆円と想定されている[6]。死者数においては、現在想定されている地震の中では最も高いものとなっている。ちなみに、大阪府自然災害総合防災対策検討委員会が2007年3月に発表した報告では、被害が最も大きい場合でも死者は約1万1千人とされた。




 地震調査研究推進本部トップ近畿地方>上町断層帯
上町断層帯
 上町(うえまち)断層帯は、大阪平野に位置する活断層帯です。
 上町断層帯は、大阪府豊中市から大阪市を経て岸和田市に至る断層帯です。全体として長さは約42kmで、ほぼ南北方向に延びており、断層帯の東側が西側に乗り上げる逆断層です。
○断層帯の過去・将来の活動  [上に戻る]
<過去の活動>
 上町断層帯の平均的な上下方向のずれの速度は、約0.4/千年であったと推定されます。最新活動時期は、約2万8千年前以後、約9千年前以前であった可能性があり、平均活動間隔は8千年程度であった可能性がある。
<将来の活動>
 上町断層帯では、断層帯全体が一つの区間として活動した場合、マグニチュード7.5程度の地震が発生すると推定されます。また、その時、断層近傍の地表面では東側が西側に対して相対的に3m程度高まる段差や撓みが生ずる可能性があります。本評価で得られた地震発生の長期確率には幅がありますが、その最大値をとると、本断層帯は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中では高いグループに属することになります。

 詳しい内容を知りたい方は、「上町断層帯の評価」( html版 / PDF版(6.4MB) )をご覧下さい。

○将来の地震発生の可能性  [上に戻る]
 地震の規模  : M7.5程度
 地震発生確率: 30年以内に、2%〜3%  地震発生確率値の留意点
 地震後経過率: 1.1−2より大  地震後経過率とは?
 平均活動間隔: 8000年程度
 最新活動時期: 約28000年前−9000年前

 詳しい内容を知りたい方は、「上町断層帯の評価」( html版 / PDF版(6.4MB) )をご覧下さい。




上町断層帯における重点的調査観測
文部科学省では、「新たな活断層調査について」(地震調査研究推進本部,2009)の中で、地震後経過率の最大値が1.0を超え、断層が通過する市町村の総人口が概ね50万人を超える等、地震が発生した際の社会的影響が大きいとされた上町断層帯において、大学、関係行政機関および関係する独立行政法人に委託し、平成22年度から重点的な調査観測を実施しています。

 「今後の重点的な調査観測について」(地震調査研究推進本部,2005)の中で 、、長期的な地震発生時期及び地震規模の予測精度の向上、地殻活動の現状把握の高 度化、強震動の予測精度の向上の3点を目的として、相対的に強い揺れに見舞われ る可能性が高いと判断された地域の特定の活断層で発生する地震を対象とした重点 的調査観測体制の整備を行うべきとの考えに基づき、調査観測対象候補として6つ の断層帯が挙げられています。
 また、「新たな活断層調査について」(地震調査研究推進本部,2009)の中で 、地震後経過率の最大値が1.0を超えていること、断層が通過する市町村の総人口 が概ね50万人を超える等、地震が発生した際の社会的影響が大きい断層として選 定された上町断層帯について、大学、関係行政機関および関係する独立行政法人に 委託し、重点的な調査観測を実施しています。

  ○平成22年度

  ○平成23年度



災害想定(震度分布・液状化予測・津波浸水想定)について

[2015年4月1日]

●震度分布

 大阪市域並びにその周辺には連続して存在していると考えられる上町断層系(仏念寺山断層、上町断層、長居断層、桜川撓曲及び住之江撓曲)があり、震度[上町断層系]の図は、震源を上町断層の北部として、想定しうる最大級の地震動の大きさを分布図に表したものです。なお、大阪市域の地盤や上町断層系の位置や規模など不確実なことが多く、また、上町断層系の活動の仮定が異なれば、図の想定の数値や分布と多少異なったものとなります。
 その他の震度分布については、上町断層系以外の断層等で、本市に影響を与えると考えられる生駒断層系、有馬高槻構造線、中央構造線及び南海トラフの活動による地震を想定し、大阪市域における地震動の強さを予測したものです。
 震度分布の詳細は、地図情報サイト「マップナビおおさか」 “防災情報マップ”でご確認ください。
震度分布図

転載元転載元: 地震・雷・火事・津波・高潮・親爺・事故・災難




3-4 日 向 層 群
分布・岩質
 日向層群は,延岡衝上断層の南東側(下盤)に位置し,延岡市,日向市から南西方へ,南郷村,西米良村,小林市まで広く分布し,野尻屈曲の影響で南北から北北東走向となって都城市南東方まで達する.日向層群は,宮崎県の四万十帯では最も幅広く分布する地層である. 日向層群と日南層群の境界断層の位置については,いくつかの考えが示されているが(坂井ほか,1987;木村ほか,1991;地質調査所,1992;斉藤ほか,1994など),ここでは,地層の分布状況から判断して,北郷町田代から,南東方へ,小松山付近,串間市大平にかけて分布する,赤・緑色珪質泥岩を伴う砂岩優勢層の南限とした.この断層は,「末吉」図幅地域では,斉藤ほか(1994)の大平衝上断層や,地質調査所(1992)に示されている境界とほぼ一致しているが,それ以外の地域では,大幅に異なっている.

 日向層群は,主として砂岩,泥岩,砂岩泥岩互層,乱雑層からなり,玄武岩質火山岩類,赤・緑色珪質泥岩,礫岩を伴う. 砂岩と砂岩泥岩互層はまとまって砂岩優勢層を作っており,衝上断層で挟まれた構造的なユニットとして産出している. 乱雑層を主とする地層, 泥岩を主とする地層なども,砂岩優勢層と同じように,構造的なユニットを作っており,北西傾斜の衝上断層で繰り返し分布している.なお,今井ほか(1979)により神門層とされた地層は,それよりも南の日向層群と岩質上区別ができないため,一括して日向層群の名称を用いる(坂井・勘米良,1981;遠藤,1981;木村ほか,1991;村田,1994a,1995).

 延岡市から東郷町珍神山,西米良村烏帽子岳にかけての砂岩優勢層(今井ほか,1979;遠藤,1980;寺岡ほか,1981b;足立ほか,1987,1988;木村ほか,1991)は分布幅が広く,山稜を形成していることが多い.また,国富町の釈迦ヶ岳から須木村内山にかけてや(木野・太田,1976),田野町南方鰐塚山から,南西方にかけても,砂岩優勢層が広く分布する(木野,1958;木野・太田,1977;竹下,1982;遠藤ほか,1989;村田,1992;遠藤,1993;斉藤ほか,1994).これ以外にも,日向北西方(野沢・木野,1956)や,西米良村,須木村などの広い範囲で,砂岩優勢層が分布している.砂岩は中粒〜粗粒で厚く成層しており(第8図 42kb),比較的ソーティングがよい.この砂岩は,諸塚層群のものに比べて,石英粒子に富んだ石英長石質砂岩である(今井ほか,1979).礫岩は都城市南東方の「末吉」図幅地域内の砂岩優勢層に伴われ,こぶし大までの大きさの円摩された礫が多く,礫岩の基質は砂岩である.

 砂岩泥岩互層は,前述の砂岩優勢層に伴われるもの以外に,南郷村神門北方から牛山南方にかけてや,西米良村,須木村内にまとまって分布し,構造的なユニットを作って分布する.砂岩泥岩互層は,砂岩優勢なもの,砂岩泥岩等量互層,泥岩優勢なものなど,様々なものが存在するが,いずれもリズミカルな互層形態を持つものが多い.砂岩泥岩互層中の砂岩には,級化層理が明瞭に認められるものがある.

 泥岩は,西米良村,須木村,延岡市南西方,西郷村などで,構造的なユニットを作りながらまとまって分布する.泥岩は黒色で一部に砂質のラミナを伴う.また,泥岩は厚さ2,3cmの薄い細粒砂岩層を挟むことがあり,へき開が見られる場合でも層理面は明瞭に認められることが多い.西郷村付近のものは,少し片状になっている場合があるが,片状の程度は槙峰層に比べて弱い.また,神門の北方の泥岩には石英の細脈が層理面に平行に密集して入っていることが多く,槙峰層の泥岩とよく似た見かけを示すことがある.

 乱雑層は,砂岩とならんで日向層群内で分布範囲の広いもので,前述した延岡市から西米良村烏帽子岳まで延びる砂岩優勢層と延岡衝上断層に挟まれた範囲に広く分布する.また,乱雑層は,門川町および日向市付近,野尻町から都城市南東方にかけて幅広く分布する.乱雑層は泥質の基質中に様々な大きさの砂岩のブロックが含まれるものがほとんどで(第9図 56kb),含まれるブロックの量にも多いものから少ないものまでばらつきがある.露頭でブロックとして認定できる砂岩は,2〜3cmから数mの大きさであり,その組成は日向層群内にまとまって産出する砂岩と同じである(今井ほか,1979).乱雑層の中には,本来の砂岩泥岩互層の形態を比較的とどめているものも多く認められる.乱雑層の中には, ブロックとして玄武岩質火山岩類や赤・緑色珪質泥岩が含まれることがある.泥質のマトリックス中には石英の細脈が多く認められる部分があり,特に延岡衝上断層付近で多くの石英細脈が認められる傾向があるが,必ずしも衝上断層に近づくほど多くなるというわけではない(村田,1996).
 赤・緑色珪質泥岩は,その名が示すとおり,赤色である部分と淡緑色である部分からなっており(第10図 36kb),通常の黒色の泥岩とは,その色によって明瞭に区別され,砂岩・泥岩・乱雑層を主とする日向層群内では非常によい鍵層となる.赤・緑色珪質泥岩は,赤色部と淡緑色部とが層理面に平行に互層状に産出したり,両者の境界が層理面に斜交して産出ことがある.赤・緑色珪質泥岩は,一般的に砂岩層などの粗粒砕屑粒子を含む層を挟むことはない.日向市北西方の仁久志山付近(第22図のLoc. 1,3)では,赤・緑色珪質泥岩に砂岩が伴われるが,これは層理面に斜交して貫入した砂岩岩脈であることが確かめられた(第11図 39kb). 岩脈を作る砂岩は,石英長石質なもので,砂岩卓越層中の砂岩と基本的に同じものである. 赤・緑色珪質泥岩は,後述のように(4-9),上限も下限も衝上断層で切られた薄い衝上シートとして産出する.
           
 玄武岩質火山岩類は,延岡から烏帽子岳に延びる砂岩優勢層と,延岡衝上断層に挟まれた地域に主に分布し,西郷村日陰山付近,増谷川,北郷村宇納間北方,南郷村阿切,西米良村石堂山付近に大規模な岩体として産出する(土谷,1979;今井ほか,1979).玄武岩質火山岩類は,主に枕状溶岩からなり(第12図 77kb),衝上シートとして分布する場合や,乱雑層の中のブロックとして産出する場合がある.また,玄武岩質火山岩類は, 赤・緑色珪質泥岩を密接に伴って分布する.

転載元転載元: 地震・雷・火事・津波・高潮・親爺・事故・災難



日向灘地震

   
赤線南海トラフ。日向灘地震の震源域はその西端部分から西側の海域一帯である。
日向灘地震の位置(九州内)
1662年
1662年
1968年
1968年
日向灘地震
日向灘地震
日向灘地震
日向灘地震
17世紀以降に発生したM7.6前後の日向灘地震の震央をRed pog.svg、1923年以降に発生したM7.0-7.2の日向灘地震の震央をBlue pog.svgで示した。

  日向灘地震(ひゅうがなだじしん)とは、南海トラフの西端に位置する日向灘で起こる海溝型地震である。日向地震(ひゅうがじしん)とも呼称される。


概要

宮崎県および大分県の沖合にあたる日向灘の海域では、過去より繰り返し大地震が発生する事が知られている。日本政府の地震調査研究推進本部 地震調査委員会の報告(2004年)によると、日向灘地震は規模により2つに分けられ、マグニチュード (M) 7.6前後のものと、M7.0 - 7.2程度のものがある。いずれも陸側のプレート(ユーラシアプレート[1])とフィリピン海プレートの境界面で起こる低角逆断層(衝上断層)型のプレート間地震(海溝型地震)で、震源域は具体的に特定できないものの深さは10 - 40km付近[2]

九州東岸の宮崎県串間市付近から大分県佐伯市付近までは海岸線が北北東-南南西方向に伸び、その南東側の沖には南海トラフの海溝軸[3]がほぼ平行に伸びている。地震調査委員会の報告に用いられた評価領域は、先述の海岸線を北東に愛媛県宇和島市付近まで延長した線の付近を陸側の外縁とし、そこから海溝軸までの間の幅およそ100 - 150kmを領域としている。海溝軸に近い幅50km程度は領域から除かれている[4]

今後日向灘地震が発生した場合、周辺の沿岸各地に地震の揺れによる被害のほか、震源域が浅い場合には津波による被害も生じることが予想されている。特に、九州では宮崎県や大分県、四国では愛媛県や高知県太平洋側などで津波の被害が予想されている。

発生間隔

M7.6前後のものは約200年間隔で発生すると推定され、17世紀以降は1662年 (M7.6)と1968年 (M7.5)の2回発生しており、2回とも津波を引き起こし人的被害を出している。また、M7.0 - 7.2程度のものは約20 - 27年間隔で発生すると推定され、1923年以降は1931年 (M7.1)、1941年 (M7.2)、1961年 (M7.0)の3回、ないし1984年 (M7.1)を含めて4回(1984年の地震は従来プレート間地震とされていたが、プレート内地震であり日向灘地震に含まれないという指摘もある。)発生しており、いずれも人的被害を出している[5]

2種類の地震を合わせると十数年から数十年に一度の割合で発生している。調査により判明している過去最大の地震は、1662年のM7.6の地震であり、日向灘の領域単独でM8以上となる巨大地震が発生した記録はない[6]。しかし、震源域が東に隣接する南海地震などと同時発生してM8以上の連動型巨大地震となったことがあるという見方もある。
例えば、東海・東南海・南海連動型地震であった1707年宝永地震は日向灘地震とも連動した可能性が指摘されている。そして、将来もそのような連動型巨大地震が発生する恐れがあり、対策を取ろうとする動きがある。特に2011年東北地方太平洋沖地震東日本大震災)以降、そのような動きが強くなっている[7]

地震の発生確率

日向灘   プレート間地震 7.6前後 10%程度 7.6前後 10%程度(ひとまわり小さいもの) プレート間地震 7.1前後 70 - 80% 7.1前後 70 - 80%
発生確率等の評価(地震調査委員会)
領域様式2004年2月27日時点[8]2013年1月1日時点[9]
規模 (M)30年以内の発生確率規模 (M)30年以内の発生確率
日向灘の既知の大地震は震源域が毎回同一ではないため、発生確率評価においては評価領域内のどこかの領域でランダムに発生するとみなして算出された[10]

東北地方太平洋沖地震後の連動型地震への関心の高まりなどを受けて、日向灘地震を含めた南海トラフにおける地震の評価見直しが行われており、2013年春に公表される予定と発表されている[9]

被害地震年表

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日向灘付近を震央とする地震のうち、死者が報告されている被害地震、M7.0以上の地震、および最大震度5(5弱)以上の地震を示す。
  • 出典:特に注記がないものは、1922年以前は日本地震学会[11]、1923年以降は気象庁[12]による。注記しているが、震源要素の一部は宇津[13]、被害については日本地震学会、地震調査委員会(2004年)も参考とした。
  • 地震発生年月日の欄の月日は全てグレゴリオ暦(新暦)。
地震発生年月日 震央地名 座標 深さ
(km) 規模
(M) 最大
震度 概要
1498年(明応7年)7月9日豊後水道北緯33度00分 東経132度15分 / 北緯33.0度 東経132.25度 / 33.0; 132.25 (1498 豊後水道)7.0 - 7.5山崩れ、地割れ、泥噴出などがあり、民家の被害が多数、死者も多数出た。同日の畿内の地震や、上海における津波記録から、南海地震との説もある[14][13]日向灘地震 (1498年)も参照。
1662年(寛文2年)10月31日日向灘北緯31度42分 東経132度00分 / 北緯31.7度 東経132.0度 / 31.7; 132.0 (1662 日向灘)7.6日向大隅で死傷者多数。城や家屋の破損、山崩れが発生した。津波があり、沿岸7か村の田畑計8,500石が水没するなどした。(羽鳥、1985年)によれば津波の高さは宮崎で4 - 5mと推定され、日向灘では最大級のものであったとされる。外所地震(とんところじしん)とも呼ばれる[15]
1769年(明和6年)8月29日(豊後水道)北緯33度00分 東経132度06分 / 北緯33度 東経132.1度 / 33; 132.1 (1769 (豊後水道))7.8前後(異説あり)日向・豊後肥後で被害があった。延岡城大分城での被害、寺社や町屋の損壊などが報告されている。田の水没や水難による死者が出た。被害をもとに、宮崎で震度6程度、津波が最大2 - 2.5m、地震の規模はM7.8前後などと推定されている。しかし、(松浦 ほか、2003年)などは2日後の水害による被害と混同されている恐れから規模の小さいプレート内地震であった可能性を指摘しており、(地震調査委員会、2004年)はこれを根拠に日向灘地震とはみなしていない[15]
1899年(明治39年)11月25日日向灘北緯31度54分 東経132度00分 / 北緯31.9度 東経132.0度 / 31.9; 132.0 (1899 日向灘)浅い[13]7.1宮崎県・大分県で、家屋の破損や土蔵の倒壊などの被害があった。
1899年(明治39年)11月25日日向灘北緯32度42分 東経132度18分 / 北緯32.7度 東経132.3度 / 32.7; 132.3 (1899 日向灘)浅い[13]6.9同上
1909年(明治42年)11月10日(宮崎県西部)北緯32度18分 東経131度06分 / 北緯32.3度 東経131.1度 / 32.3; 131.1 (1909 (宮崎県西部))約1507.6プレート内で起こるやや深発地震であり、日向灘地震ではない。大分県・宮崎県・熊本県鹿児島県・高知県・広島県岡山県で被害があり、宮崎市付近で被害が大きかった。
1923年(昭和4年)7月13日(九州地方南東沖)北緯30度54分 東経132度00分 / 北緯30.9度 東経132.0度 / 30.9; 132.0 (1923 (九州地方南東沖))447.14宮崎市、鹿児島市で震度4を観測。震央は地震調査委員会の評価領域の南端付近。震央を種子島付近(南西諸島近海地震の領域)とする文献もある。死者・負傷者なし[13]
1929年(昭和4年)5月22日日向灘北緯31度45分 東経131度53分 / 北緯31.75度 東経131.89度 / 31.75; 131.89 (1929 日向灘)596.95宮崎市、人吉市で震度5を観測。津波があったが被害記録はない[13]
1931年(昭和6年)11月2日日向灘北緯31度47分 東経132度00分 / 北緯31.79度 東経132.00度 / 31.79; 132.00 (1931 日向灘)287.15宮崎市、都城市などで震度5を観測。死者1名、負傷者29名[13]。宮崎県・鹿児島県で家屋全壊がそれぞれ4棟・1棟、室戸岬で85cmの津波[11]
1939年(昭和13年)3月20日日向灘北緯32度05分 東経131度45分 / 北緯32.08度 東経131.75度 / 32.08; 131.75 (1939 日向灘)576.54宮崎市、熊本市などで震度4を観測。津波があった。死者1名、負傷者1名[13]
1941年(昭和16年)11月19日日向灘北緯32度07分 東経132度08分 / 北緯32.12度 東経132.13度 / 32.12; 132.13 (1941 日向灘)337.25宮崎市、延岡市などで震度5を観測。死者2名、負傷者18名[13]。家屋全壊は27棟で、大分県・宮崎県・熊本県で被害があり、九州・四国で最大波高1mの津波があった[11]
1961年(昭和36年)2月27日日向灘北緯31度39分 東経131度53分 / 北緯31.65度 東経131.89度 / 31.65; 131.89 (1961 日向灘)377.05宮崎市、日南市、都城市で震度5を観測。死者2名、負傷者7名[13]。家屋全壊3棟、九州から中部にかけて最大50cmの津波[11]
1968年(昭和43年)4月1日日向灘北緯32度17分 東経132度32分 / 北緯32.28度 東経132.53度 / 32.28; 132.53 (1968 日向灘)307.55延岡市、宿毛市で震度5を観測。死者1名、負傷者15名(53名とする資料もある)[13]。住家全壊1棟、半壊2棟、道路損壊18件などで、高知県・愛媛県で被害が多かった[11]。四国で到達高3m以上の津波を観測し、床上浸水56棟、船舶の被害も発生した[16]
1970年(昭和45年)7月26日日向灘北緯32度04分 東経132度02分 / 北緯32.07度 東経132.03度 / 32.07; 132.03 (1970 日向灘)106.7

転載元転載元: 地震・雷・火事・津波・高潮・親爺・事故・災難

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