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淡路島の28号線を南下、炬口北の交差点を左折して洲本温泉旅館街へ走っていたら右手の山頂にお城が見えた。三熊山の洲本城だ。右折してお城の駐車場へ登る。そこから石垣を見ながら石段を歩いて10分ほどで天守閣へ、洲本市内が一望できた。
室町時代に築城され、多くの城主(脇坂、藤堂、池田、蜂須賀など)により改修が行われ明治時代に廃城となったようだ。現在の天守台は当時の物とは異なり、模擬天守だそうだ。
石垣に大木が根を張って、歴史を感じさせる 本丸に続く石段
本丸、残念ながら本丸へは登れない
頂上からの眺めは最高だ
洲本八景の一つ、これが大浜か?
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兵庫神戸淡路山陰
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阪神淡路大震災の原因となった野島断層をそのまま保存・展示しています。学習施設として、また憩いの場としてご利用ください。
北淡震災記念公園www.nojima-danso.co.jp/ - キャッシュ
阪神・淡路大震災. The Great Hanshin-Awaji Earthquake. 明石海峡の地下約14km を震源とする兵庫県南部地震はマグニチュード7.3、最大震度7を記録しました。 この地震で6,434名の方々が尊い命を失いました。阪神地方や淡路島北部に大きな被害を与え ... 南海トラフ巨大地震(なんかいトラフきょだいじしん)は、フィリピン海プレートとアムールプレートとのプレート境界の沈み込み帯である南海トラフ沿いが震源域と考えられている巨大地震のことである。 また、2011年8月に内閣府に設置された「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が検討を行っている、南海トラフ沿いで発生すると想定される最大クラスの地震も「南海トラフ巨大地震」と称されており、本項でもそれを基に解説している。
南海トラフの地震の特徴と「地震像」
M9.1の最大規模の南海トラフ巨大地震の想定震源域(2013年、地震調査研究推進本部 地震調査委員会) この南海トラフ巨大地震による被害については、超広域に
まさに国難とも言える巨大災害になるものと想定される。わたる巨大な津波、強い揺れに伴い、西日本を中心に、 東日本大震災を超える甚大な人的・物的被害が発生し、 我が国全体の国民生活・経済活動に極めて深刻な影響が生じる、 南海トラフの地震は、約90 - 150年(中世以前の発生記録では200年以上)の間隔で発生し、東海地震、東南海地震、南海地震の震源域が毎回数時間から数年の期間をおいてあるいは時間を置かずに同時に3つの地震が連動していること(連動型地震)が定説とされてきた。一方で、慶長地震は南海トラフを震源とすることに異論が出されており、南海トラフの地震は200年程度の間隔で発生すると考えるのが自然な姿であるという見解も存在する[4]。
最も新しい昭和の地震は地震計による観測記録、それより古い地震は地質調査や文献資料からそれぞれ推定されており、今後も同じような間隔で発生すると推測されている。いずれもマグニチュードが8以上になるような巨大地震で、揺れや津波により大きな被害を出してきた。
なお、その後の研究により、地震が起こるたびに震源域は
少しずつ異なることが分かった。例えば、同じ南海道沖の地震でも安政の南海地震は南海道沖全域が震源域となったのに対して、昭和の南海地震は西側4分の1は震源域ではなかったと推定されている[5]。また一方で東京大学地震研究所の瀬野徹三は、東海・東南海・南海といった3地震の分類を変える必要を挙げ、南海トラフの東端の震源域(東南海の一部及び東海)と連動して静岡付近まで断層の破壊が進む「安政型」、その震源域と連動せず静岡までは断層の破壊が起きない「宝永型」の二種類に分類することができるという説を唱えている[2]。
1498年の明応地震以降は文献資料が豊富で発生間隔も100年前後で一定しているとされてきた(下の南海トラフの地震の発生領域(従来説)の図表)。しかし、それ以前は東海道沖の地震の発生記録が無いほか、1361年正平地震以前の間隔は記録に欠損があり、例えば13世紀前半と見られる津波や液状化の痕跡は複数の箇所から発見されており、記録を補なうものと考えられている一方で、1096年永長地震以前は確かな証拠は無く津波堆積物の研究から100年と200年の周期が交互に繰り返されているとする説もある[6]。
南海トラフ全域をほぼ同時に断層破壊した地震は規模が大きく、宝永地震は他の地震よりもひとまわり大きいM8.6とされてきた。21世紀に入ってからの研究により、この宝永地震と同じ規模の津波堆積物は300 - 600年間隔で見出される事が分かった。さらに、宝永地震よりも巨大な津波をもたらす地震が約2,000年前に起きた可能性がある事も分かった[9][10]。
また、昭和南海地震でも確認されたように、単純なプレート間地震ではなく、スプレー断層(主な断層から分かれて存在する細かな分岐断層)からの滑りをも伴う可能性も指摘され、南海トラフ沿いには過去に生じたと考えられるスプレー断層が数多く確認される[11]。
一方、震源域が広いと顕著になる長周期地震動の発生も予想され、震源域に近い平野部の大都市大阪や名古屋などをはじめとして高層ビルやオイルタンクなどに被害が及ぶ危険性が指摘されている[12]。これらに関連して、古文書にはしばしば半時(はんとき、約1時間)に亘る長時間強い振動が継続したと解釈できるような地震の記録がみられるが、これは大地震に対する恐怖感が誇張的な表現を生んだとする見方もある一方、連動型地震のように震源域が長大になれば破壊が伝わる時間も長くなり、そこからまた別の断層が生ずるなど長い破壊時間をもつ多重地震となって、本震後の活発な余震なども相まって実際の揺れを表現したものとする見方もある[13][14]。
以上のように南海トラフにおける海溝型地震は、一定の間隔で起こる「周期性」と同時に起こる「連動性」が大きな特徴となっている。さらに、南海トラフは約2000万年前の比較的若いプレートが沈み込んでおり、薄くかつ温度も高いため低角で沈み込みプレート境界の固着も起こりやすく、震源域が陸地に近いので被害も大きくなりやすい[15]。
南海トラフにおける、フィリピン海プレートとユーラシアプレート(アムールプレート)とのプレート間カップリングは100%に近くほぼ完全に固着し、1年に6.5cmずつ日本列島を押すプレートの運動エネルギーはほとんどが地震のエネルギーとなっていると考えられている。しかし紀伊半島先端部の潮岬沖付近に固着が弱く滑りやすい領域があり、1944年昭和東南海地震、1946年昭和南海地震はいずれもこの付近を震源として断層の破壊がそれぞれ東西方向へ進行したことと関連が深いと見られている[16]。
この地震により発生するとされる災害を「東日本大震災」に倣い「西日本大震災」と呼称する場合がある[17]。2011年3月の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生後南海トラフ巨大地震への懸念が浮上したことを受けて、日本政府は中央防災会議に「南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ」を設けて対策検討を進めた。同ワーキンググループは2012年7月にまとめた中間報告において、南海トラフで想定される最大クラスの巨大地震を「東日本大震災を超え、国難ともいえる巨大災害」と位置づけている]。
地震の発生確率南海トラフ プレート間地震 M8 - 9 クラス 70% - 80% 程度[21]
次に発生する可能性のある地震として、従来よりも幅広くM8 - 9クラスの地震を対象としている。高知県室津港の歴代南海地震(宝永・安政・昭和)における隆起量と、発生間隔との関係に基づく時間予測モデル[22][23]をもとにすると、次回のM8クラスの地震は昭和南海地震から88.2年後と推定され、これをもとに上記の確率が計算された。次に最大クラス(M9超)の地震が発生する可能性もあるが、その発生頻度は(古いものも含めて)100 - 200年間隔で発生している地震に比べて「1桁以上低い」とされた[24]。
阪神・淡路大震災と淡路の防災教育 - 兵庫県教育研修所(Adobe PDF) - htmlで見るwww.hyogo-c.ed.jp/~awaji-bo/shinko/.../awajifurusato07.pdf
阪神・淡路大震災は、淡路島北部の「野島断層」を震源として発生した「内陸直下. 型地震※1」です。この「野島断層」は、江崎燈台付近から旧北淡町の富島地区の間、 .... さらに、現在南海トラフ大地震とそれに伴う津波への備えが必要になっています。
www.sbs-promotion.co.jp/heart-bosai/archives/406 - キャッシュ
2018年3月19日 - 南海トラフ巨大地震、富士山噴火、いつ起こっても不思議ではないですよね。この先20 年の間に、ここに静岡の ... 北淡震災記念公園には野島断層保存館以外にも、大震災を語り継ぐコーナーが色々あります。神戸の壁もそのひとつ。 神戸の壁 ...
www.sankei.com/west/news/.../wst1304300055-n1.html
「北淡震災記念公園」(兵庫県淡路市小倉)の野島断層保存館で、高知県黒潮町の防災・津波対策を紹介する展示が行われている。発生が確実視される南海トラフ巨大地震の内閣…
南海トラフ巨大地震への備え - 淡路市(Adobe PDF) - htmlで見るwww.city.awaji.lg.jp/uploaded/attachment/13779.pdf
南海トラフ巨大地震が発生した場合、淡路市で. は最大震度6 ... 東南海地震. 想定震源域. 南海トラフ. ※図は南海トラフ巨大地震発生時の予測震度分布です。 「兵庫県地震被害想定(平成26年6月)より」. 1605年 ... 北淡地区では野島断層の断層面. が地表に ...
4travel.jp > ... > 北淡町震災記念公園 野島断層保存館 > クチコミ - キャッシュ
評価(評価: 3)評価:3-40件のレビュー
野島断層保存館 (のじまだんそうほぞんかん)には、南海トラフの立体図形が有って、 3Dメガネを使って図形を見ると立体的に浮き上がって、深さ方向がリアルに見れます。 子供たちの長期休みの自由研究に使えます... 北淡町震災記念公園 ... www.nojima-danso.co.jp/kataribe.html - キャッシュ
10:15淡路夢舞台→江埼灯台→大川公園→富島地区→北淡震災記念公園(野島断層 保存館見学と昼食) →12:30淡路夢舞台. (現地で実費1,000円 ... 【被災地の語り部】 富永登志也 阪神・淡路大震災 北淡町(現淡路市)の経験 .... 御船町. 南海トラフに備えて. Untitled - 北淡震災記念公園(Adobe PDF) - htmlで見るwww.nojima-danso.co.jp/asset/00032/pdf/omote.pdf
野島断層保存館」 (現地実費). ○ワークショップ 「南海トラフと首都直下ーこれからの語り部」. 【第2部 13:00~16:30 開 会. 取組紹介 兵庫県南あわじ市福良地区・高知県黒潮町. ○基調講話 五百旗頭真. まとめ 室崎益輝/山地久美子. ○被災地の語り部 富永 ... www.kobe-np.co.jp/news/awaji/.../0011490127.shtml - キャッシュ
2018年7月29日 - 「野島断層夏の親子体験」が28日、兵庫県淡路市小倉の北淡震災記念公園であった。 親子ら約40人が石の観察や、阪神・淡路大震災の遺構である野島断層の見学を通して、 www.townkamiita.jp/docs/2017101800017/ - キャッシュ
上板町でも近い将来『南海トラフ大地震』が発生し、深刻な被害をもたらすと想定されています。 阪神・淡路大震災での ... 10:10 〜 11:10 北淡震災記念公園 ・野島断層 保存館 見学 ↓ ・メモリアルハウス 見学 ・地震体験 11:40 〜 12:40 ... ja.wikipedia.org/wiki/淡路島地震 - キャッシュ
淡路島地震(あわじしまじしん)は、2013年(平成25年)4月13日(土)5時33分ごろ、 日本の兵庫県淡路島付近を震源として発生したマグニチュードMj6.3, ... 淡路島地震の震源・余震域、兵庫県南部地震の震源、および野島断層を含む淡路島北中部の断層分布 ... 昭和東南海地震や1946年昭和南海地震の前後に西日本で内陸地震が頻発したことから、今後の発生が予想されている南海トラフ .... 同市富島地区(旧北淡町) でも、同震災で地区の建物の8割が全半壊する被害を受けて以降、道路の拡幅や公園整備など地震 ... |
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近畿梅の川
きたがわ講
洗心
山岡孫吉
岩屋 恵比寿神社
岩楠神社
淡路 和歌の路
緑のデザイン賞 緑化大賞
朝来市
白浜温泉歴史資料館
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出石(いずし)は兵庫県豊岡市にある地区で、かつての出石城の城下町。城下町として整備された町割が碁盤の目状であることなどから、但馬の小京都と呼ばれている。豊岡市出石伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要
出石出石(いずし)は兵庫県豊岡市にある地区で、かつての出石城の城下町。城下町として整備された町割が碁盤の目状であることなどから、但馬の小京都と呼ばれている。豊岡市出石伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
地理歴史室町時代、守護大名山名氏の居城であった有子山城の南麓に慶長9年(1604年)、外様大名小出吉英により出石城とその城下町が築かれた。江戸時代は仙石家の城下町となって発展した。江戸時代三大お家騒動の仙石騒動の舞台である。
明治9年の大火により80%以上の建造物を焼失したが町割は文化7年(1810年)の絵図の状態がほぼ完全に残り、そこに建設された明治時代の寺院や町家、および焼失を免れた武家屋敷や社寺が現存し、近世後期の城下町の歴史的風致を今日に伝えている。
近代以降も出石郡における行政経済の中心地であった。そのため建替えが多く、1987年に最初の県指定景観形成地区に指定された後も古建築の改廃が絶えないため、重要伝統的建造物群保存地区選定の申し出(平成19年文部科学大臣選定)をするなど、景観の保護を法的に強化している。
豊岡市出石伝統的建造物群保存地区データ
主な施設
辰鼓楼のなりたち楼閣本体は1871年(明治4年)完成。辰の刻(7時から9時)の城主登城を知らせる太鼓を叩く楼閣であった。旧藩医の蘭方医、池口忠恕が大病を患った際、多くの人々が病気快癒の願掛けをした。忠恕は回復後、病気中出石の人々に多大な精神的支援を受けた感謝の意思を形にしたいとして、時計技師2名を招くとともにオランダ製の機械式大時計を取り寄せ寄贈した。これによって1881年(明治14年)より現在の姿の時計台となった。以後、弘道小学校では機械式時計の錘(おもり)を掛け替えるのが児童の大事な役割となった。現在は時計本体は入れ替えられている。
平成29年5月から10月まで修復工事が行われた。この間、内部見学会なども開催された。
日本最古の時計台日本最古の時計台とされることが多いが、時計台となったのは1881年(明治14年)であり、1878年(明治11年)完成の札幌農学校演武場に時計塔(札幌の時計台)が設置されたのも1881年である。いずれが古いかははっきりしない。しかし、建物から独立した洋式時計台、一般市民が時刻を共有するための洋式時計台、国以外が設置した洋式時計台としてはこれより古いものは知られていない。
出石城は、山名氏の最盛期、但馬国守護となった山名時義が、出石神社の北側の此隅山に、此隅山城(このすみやまじょう)を築いた。此隅山城は長らく山名氏の本拠であったが、1569年(永禄12)の織田軍の羽柴秀吉による但馬遠征で落城した。一旦山名祐豊は城を失ったが、今井宗久の仲介によって織田と和睦することができ領地に復帰した。
1574年(天正2)、祐豊は標高321mの有子山山頂を天守とする有子山城(ありこやまじょう)を築き、本拠を移した。麓には下館も築かれ小城下町の体を成した。しかし、毛利氏方についたため、1580年(天正8)、羽柴秀吉による第二次但馬征伐で有子山城も落城、但馬国山名氏は滅亡した。
有子山城は、しばらく城代の時代が続いたが、1585年(天正13)から前野長康、1595年(文禄4)から小出吉政が城主を務めた。関ヶ原の戦いにおいて、小出氏は家名存続のため、吉政が西軍、弟・秀家は東軍に分かれて戦ったが、秀家の功績により、吉政の西軍への加担の責任は問われず、出石の領土は安堵された。
永楽館(えいらくかん)は兵庫県豊岡市の出石にある劇場。
1901年(明治34年)に竣工した、100年以上歴史を持つ建築の劇場で、現地に現存する劇場建築としては日本最古とされる。
土壁と太鼓楼を特徴とする外観および、直径6.6メートルの廻り舞台、奈落、花道、といった舞台機構、舞台用衣裳や上演記録が現存する。 1901年(明治34年)、出石で代々染物を商ってきた小幡家の11代当主久次郎により建設された。 瞬く間に出石はもとより但馬の芸能文化の中心となり、上方の歌舞伎、剣劇、落語の上演のほか、反軍演説で知られる斎藤隆夫の講演や宝塚歌劇団の公演なども行われ、また、1930年代より映画館としても使われるようになった。しかし、1963年頃から劇場としては使用されなくなり1973年に閉鎖。 1989年から「出石城下町を活かす会」によって、コンサートなどでの使用が再開されて再生の機運が高まり、1998年に出石町の文化財に指定され、2006年から豊岡市によって創建時への復元工事が開始された。2008年夏に完工して8月、座頭6代目 片岡愛之助によるこけら落とし公演が行われた。
その他
周辺出石川は、兵庫県豊岡市但東町小坂に源を発して北西に流れる。豊岡市街地付近にて円山川に合流する。
合流域の円山川は汽水域となっており、流れが非常に緩やかであることから、しばしば水害に悩まされている。
2004年(平成16年)10月20日の台風23号による災害復旧工事に際して、大量のオオサンショウウオが発見され、一時保護されている。
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但馬国 但馬国 別称所属 相当領域 諸元国力距離郡・郷数 国内主要施設但馬国府但馬国分寺但馬国分尼寺一宮
沿革のちに但馬国となる地域には以下の2つの国造が置かれていた。
こののち、のちの丹波国・丹後国・但馬国の3国にあたる地域は丹波国造の支配地域である丹波国となった。但馬国は7世紀後半に丹波国より8郡を分割して成立したとする説もあるが確証はない。『日本書紀』天武天皇4年(675年)条に国名がみえるので、この頃成立したと推定されている。
国内の施設
国府初期の国府の所在地には、豊岡市出石町の袴狭(はかざ)遺跡とする説、気多郡(現在の豊岡市日高町)内とする説があるが、明らかでない。『日本後紀』によると、延暦23年(804年)に気多郡高田郷に国府が移されたという[5]。豊岡市役所日高振興局(旧日高町役場)の付近で発掘された祢布ヶ森遺跡(豊岡市日高町祢布)がこれに比定される(位置)。
国分寺・国分尼寺但馬国分寺跡 石碑 (兵庫県豊岡市) 但馬国分尼寺跡 石碑 (兵庫県豊岡市)
神社
出石神社(兵庫県豊岡市)
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