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文化財 > 資料館紹介 > 京丹後市デジタルミュージアム > デジタルミュージアム史跡一覧
更新日:2011年2月1日

京丹後市デジタルミュージアム

京丹後市内の指定・登録文化財(史跡)

http://www.city.kyotango.lg.jp/kyoiku/bunka/shiryokan/digitalmuseum/syuruibetuindex/images/map-siseki.jpg

No.指定別区分名称員数所在地 指定登録年月日時代
1国・指銚子山古墳 第1、2古墳17,090平方m網野町網野小字妹81他大正11年3月8日古墳時代中期前半
2国・指産土山古墳1,758平方m丹後町竹野昭和32年7月1古墳時代中期前半
3国・指神明山古墳13,150平方m 丹後町宮 大正12年3月7日 古墳時代中期前半
4国・指函石浜遺物包含地66,396平方m久美浜町湊宮 大正10年3月3日-
5国・指赤坂今井墳墓5,288.51平方m峰山町赤坂 平成19年7月26日弥生時代後期末
6府・指湧田山古墳群約9,375平方m峰山町丹波・矢田昭和63年4月15日古墳時代中期
7府・指大宮売神社境内-大宮町周枳小字北村・ヲサ昭和61年4月15日古墳時代〜平安時代
8府・指黒部銚子山古墳-弥栄町黒部昭和58年4月15日古墳時代中期
9府・指遠處遺跡製鉄工房跡-弥栄町木橋小字遠處-古墳時代中期〜奈良時代
10府・指高山12号墳-丹後町徳光平成15年3月14日古墳時代後期
11府・指湯舟坂2号墳-久美浜町須田小字鳥ノ奥昭和58年4月15日古墳時代後期
12市・指常立寺 京極家墓所-峰山町吉原昭和60年3月28日-
13市・指扇谷遺跡23,405.65平方m峰山町丹波、杉谷、荒山平成4年7月20日弥生時代
14市・指駒返しの滝地蔵 1躯大宮町延利昭和61年7月21日貞和5(1349)年銘
15市・指新戸古墳-大宮町奥大野昭和61年7月21日古墳時代後期
16市・指立石大逆修塔1基大宮町森本昭和60年7月1日永禄7(1564)年銘
17市・指細川ガラシャ夫人隠棲地-弥栄町須川小字味土野平成11年3月10日-
18市・指下岡城跡-網野町下岡改谷65月1日昭和w51年3月1日-
19市・指復元岡第1号墳-網野町小浜435昭和51年3月1日 古墳時代後期
20市・指浜詰遺跡-網野町浜詰小字クリヤマ677番地の21昭和51年3月1日 -
21市・指離湖古墳1,480平方m網野町小浜小字離山908-3平成14年12月11日古墳時代中期
22市・指離山古墳180平方m網野町小浜小字離山908平成14年12月11日古墳時代中期
23市・指上山寺歴史環境保全地区約20,000平方m丹後町上山165他昭和61年6月18日-
24市・指片山古墳-丹後町竹野小字片山554昭和61年6月18日古墳時代後期
25市・指大成古墳群-丹後町竹野小字大成745昭和61年6月18日古墳時代後期
26市・指宝泉寺 松井与八郎の墓1基久美浜町湊宮1705平成3年7月15日天正15(1587)年 天明3(1783)年再建
27市・指宗雲寺 肥後の墓1基久美浜町小字小谷平成3年7月15日天正15(1587)年 天明3(1783)年再建
28市・指岩ケ鼻古墳-久美浜町甲山昭和58年4月1日-
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転載元転載元: 歴史&環境&公徳心ツアー&地方創成&観光産業振興

浦嶋太郎伝説のある島児神社 Legend of Urashima Taro  


山陰海岸ジオパークの浅茂川海岸沿い、八丁浜の一番西の駐車場近くにある島児(しまこ)神社は、浦嶋太郎伝説の残る神社です。

日本昔話でも有名な、浦島太郎の伝説には、日本国内の様々な場所/海岸でその伝説が語り継がれています。日本書記、万葉集、丹後国風土記、お伽草子など、様々な浦島伝説が存在します。丹後国風土記に記されている浦島太郎は「水江浦嶋子(みずのえのうらしまのこ)」となっています。

丹後半島では、浦嶋伝説を伝える神社が2つあり、この島児神社はその一つ。もう一つの神社は、伊根町の浦嶋神社です。浅茂川にあるこの島児神社はには、祠、嶋児と亀の石像があります。

島児神社の詳細は以下の観光スポット情報からどうぞ。
http://travel.nihonkai.com/spotdata/6...

付近の宿泊施設などは観光サイト「日本海トラベル」で24時間受付中です。
http://amino.nihonkai.com/
http://travel.nihonkai.com/

BGM:甘茶の音楽工房
http://amachamusic.chagasi.com/


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丹後国風土記

   
『丹後国風土記』(たんごのくにふどき)は、丹後国(今の京都府北部)の風土記逸書であるため、内容は 『釋日本紀』 などでの引用によるしかない。風土記編纂が命じられたのが和銅6年(713年)であるため、原本は遅くとも8世紀中にはできていたと思われる。
数多くある風土記逸文の中でも比較的長文が残されており、最古の部類に入る浦島伝説羽衣伝説の記述は万葉仮名書きの和歌が入っている点も含めて特筆すべきものである。他に、天橋立の伝承もある。(下に挙げる和歌は漢字仮名交じり文で記す)


浦島伝説

「筒川嶼子 水江浦島子」という項目に記述がある。「天上仙家」や「蓬山」が出てくるなど中国渡来の神仙思想が伺える。「水江浦島子」が童話に出てくる浦島太郎である。
筒川の里、日下部首等の先祖に姿容秀美の筒川嶼子という者、即ち水江浦島子がいた。伊預部馬養連の記したところのものを述べる。
と前置きした上で、長谷朝倉宮御宇天皇(雄略天皇)の御世、浦島子は小舟に乗り釣りに出た。三日三晩の間一匹の魚も釣れなかったが五色の亀だけ得る。奇異に思ったが眠っている間に亀は比べることもなき美麗な婦人と為った。女娘は問答の中「天上仙家之人也」と己を語る。彼女が眠るように命じ浦島子が目覚めると、不意の間に海中の大きな島に至っていた。館の門に入ると七人の童子、八人の童子が迎えるが彼らはそれぞれ「すばるぼし」(プレアデス)と「あめふりぼし」(ヒヤデス)だという。女娘は父母と共に迎え、歓待の合間に人界と仙都の別を説く。館に留まること三年経ち、浦島子は郷里の事を思い出し、神仙之堺に居るよりも俗世に還ることを希望する。女娘は別れを悲しみながらも、玉匣(たまくしげ)を渡し「戻ってくる気ならゆめゆめ開けるなかれ」と忠告する。帰り着いて辺りが変わっているので郷の者に聞くと、浦島子は蒼海に出たまま帰らなかったということにされていた。
  玉匣を開くと風雲に翩飛けるような変化が起き、浦島子は涙に咽(むせ)び徘徊し、歌を詠む……
常世邊に 雲立ち渡る 水江の 浦嶋の子が 言持ち渡る
神女遙飛,芳音で歌いて曰く:
倭邊に 風吹き上げて 雲離れ 退き居り共よ 我を忘らすな
浦嶼子:
子等に戀ひ 朝戸を開き 我が居れば 常世の濱の 波の音聞こゆ
後世の人歌いて曰く:
水江の 浦嶋の子が 玉匣 開けず有りせば 復も會はましを
常世邊に 雲立ち渡る 多由女 雲は繼がめど 我そ悲しき

  別の書『古事談』では、「淳和天皇御宇天長二年(825年)乙巳。丹後国与佐郡人水江浦島子。此年乗松船。到故郷」と記され、そのことから帰還まで300年程度経ったと推定される。出発時の雄略天皇の代がいつなのか確定しがたいが、他の浦島伝説での共通点も踏まえ現世では館での3年より遙かに長い時間が流れていたと伝えられることは確実なようである。


羽衣伝説

 「比治真奈井 奈具社」という項目に記述がある。各地に伝わる羽衣伝説とは違い、物語の筋が一風変わったものになっている。
  この里の比治山頂の麻奈井の湖(今は既に沼となったと書かれる)で、天女八人が水浴びしていたとき、和奈佐という老夫婦は一つの羽衣を隠し、帰れなかった天女を子にした。そのおかげで家は富む。しかし豊かになると「汝は吾が子ではない」と言い天女を追い出してしまう。天女は慟哭しつつそこを去る……
天の原 降り放け見れば 霞立ち 家路惑ひて 行方知らずも
追い出した老夫婦の村はその後荒れ、天女は現在の竹野郡弥栄町奈具神社豐宇加能賣命として祀られることになったという。




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tenkyo.net/kaiho/pdf/2010_11/2010-11-07.pdf
浦島太郎とかぐや姫
〜丹後国風土記と竹取物語の語ること〜
作花一志(京都情報大学院大学)
1. はじめに
日本人が数百年間も慣れ親しんでいる昔話の中にも星は潜んでいます。ここでは浦島太郎とかぐや姫の抱えている謎に迫ってみまし
ょう。昔話といわれている童話には庶民が本を読むようになった江戸時代に、書き直されているものが少なくありません。
2. 珍説浦島物語〜龍宮は宇宙の彼方に
むかしむかし、浦島は
助けた亀につれ連れられて
・・・・(中略)・・・・
中からぱっと白煙
たちまち太郎はお爺さん。
浦島太郎が助けた亀に乗って竜宮城に行き、乙姫様と楽しく暮らし、お土産に玉手箱をもらい、帰ってみたら知らない人ばかり、開いた玉手箱から出た煙でたちまち彼はお爺さんになってしまった・・・という童話は誰もが
知っていますね。この話の出典は『御伽草子』
という室町〜江戸時代にできた物語集です。
浦島太郎は『御伽草子』では、その後、鶴になり蓬莱の山へ飛び去ったと結び、後日、亀とともに神として祀られたことになっています。浦島伝説はずっと古くからあり、その原
型は私たちがなじんでいるものとかなり異な
っています。それを物語る奈良時代の文書は、
なんと『万葉集』と『日本書紀』です。『万葉
集』では老いた彼はその場で死ぬことで終わ
っています。また『日本書紀』では「雄略天
皇二十二年秋七月」という年が書かれていま
すが、その記述は非常に短く、詳しくは別巻
(ことまき)でということで終わっています。
重要なのはその別巻(参考文献)である『丹
後国風土記』です。その原本は失われていま
すが、逸文(後世の書物に引用された文章)
として詳しく伝わっています。万葉仮名なの
で不明な箇所(*の部分など)もありますが、
要点だけを現代文に訳してみます。

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www.asukanet.gr.jp/tobira/urashima/urashima.html - キャッシュ
まず最初に,京都府北部の丹後半島に伝わる物語を紹介しましょう。丹後半島にある 伊根町と網野町には,丹後国風土記にもとづいた浦島太郎の伝説が残っています。 そして,四国香川県の浦島太郎を紹介しましょう。その後で,愛知県,長野県などいくつ かの ...
www.ten-f.com/urashimatarou.html - キャッシュ
浦島伝説と呼ばれる「お話し」の原典は『丹後国風土記』逸文だとされていますが、いつも の例に洩れず、その原本は失われており、今、風土記そのものを見ることは出来ません 。では、何故、風土記に浦島のお話しが掲載されているのが分かるのか、と言えば鎌倉  ...
www.westjr.co.jp/company/info/issue/.../06.../feature03.html - キャッシュ
http://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/06_vol_107/image/feature_title.gifhttp://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/06_vol_107/image/feature_navi01.gif
http://www.westjr.co.jp/company/info/issue/bsignal/06_vol_107/image/feature_navi02.gif
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八人の天女が舞い降りたと伝えられる比治山(磯砂山)の頂から峰山の町を望む。山頂には羽衣伝説ゆかりの地として羽衣天女のモニュメントがある。
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『丹後國風土記』を著したのは、大宝律令の撰定にも加わった伊余部連馬養[いよべのむらじうまかい]。当代一の学者がそれに記した天女羽衣伝説は、文書で残された日本最古のものとされている。
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『丹後國風土記』逸文の中の「奈具社[なぐしゃ]」の中で、「丹後の国の風土記に曰く、丹後国丹波の郡。郡家の西北の隅の方に比治の里あり。此の里の比治山の頂きに井あり。其の名を真奈井と云ふ。今はすでに沼と成れり。此の井に天女八人降りて来て水浴[みかはあ]みき…」とある。
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丹後半島のほぼ中央、現在の峰山町に比治[ひじ]山(磯砂山[いさなごさん])という山がある。山頂には池があり、その池に八人の天女が舞い降りた。そこに和奈佐[わなさ]という名の老夫婦が現れ、密かに一人の天女の衣装を取り隠すと、天女たちは天に飛び上がってしまったが、衣を隠された天女だけ人間界にとり残され、老夫婦のいうままに娘となって10年を暮らす。天女は酒造りが上手く、一杯飲めば万病に効く酒を造り機織りも教え、家はたちまち裕福になる。しかし、老夫婦はなぜか「おまえはやはり我が子ではない」と天女を追放する。天女は嘆き、比治の里を彷徨った末に船木(現京丹後市弥栄町船木)の里に至り、「わが心なぐしく(慰め)なりぬ」とここに安住の居を構えたという。これにちなんでこの地を奈具と呼ぶようになった。そして村びとたちによって天女は豊宇賀能売命[とようかのめのみこと]として奈具神社に祀られた。豊宇賀能売命とは、伊勢神宮外宮に祀られる五穀豊饒の農耕神、豊受大神[とようけのおおかみ]のことである。その奈具神社の前には奈具遺跡と呼ばれる小高い丘が連なる。遺跡は広大で、弥生時代国内最大規模の水晶玉生産工房や、渡来の技術や文化を示す貴重な古代の生活の跡が認められている。
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比治の里にはもう一つの天女伝説が存在する。峰山町鱒留[ますどめ]の集落に古くから伝わる「さんねも・羽衣」の伝説だ。比治山に八人の天女が舞い降り、水浴びをしているところまでは同じだが、三右衛門[さんねも]という猟師が天女の衣を家に持ち帰る。「どうか羽衣を返してください」と天女が懇願しても「家宝にするのだ」と返さない。天女はとうとう諦め、さんねもの妻となり三人の娘をもうける。
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天女は美しいばかりでなく、蚕飼いや機織り、米づくりや酒造りを教え、村はみるみる豊かになり人々は幸せに暮らした。しかし、天女は天が恋しくてたまらず、ある日、隠してあった羽衣を見つけ三人の娘を残して天に舞い上がる。悲しむさんねもに「7日7日に会いましょう」と天女は言い残したが、ようすを窺っていた天邪鬼が「7月7日に会いましょう」とさんねもに教えた。それでも嘆き悲しむさんねもに、天女はゆうごう(夕顔)の種を渡す。種を蒔くと、つるはどんどん天に伸び、さんねもはつるを登った。そこは天上の世界、天女はせっかく来てくださったのだからと、「天の川に橋をかけてください」とさんねもに請う。「ただしその間、私のことを思い出さないでください。そうでないと一緒に暮らすことはできません」。さんねもは一生懸命に橋をつくり、もう少しで完成というとき、嬉しさのあまり、天女の姿を頭に思い浮かべてしまった。とたんに天の川は氾濫し、さんねもは下界に押し流されてしまった。
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この話は七夕の発祥とされる。谷あいの集落には天女の長女を祀る「乙女神社」があり、天女を嫁にしたさんねもの子孫の家もある。その安達家の家紋は「七夕」、屋号も「たなばた」で、現在の当主は「この家の庭から天女は天界に昇ったそうです」と教えてくれた。代々そうして語り継がれてきたのだろう。
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この天女羽衣伝説にも、天界と交流する神仙思想が底流にあると多くの伝承の研究者は指摘する。それ以上に、古代において丹後国に稲作や機織りの技術をもたらした大陸からの影響を想像せずにはいられない。時と世代を超えて受け継がれている多くの伝承は、丹後国の古代と現代とを今もつないでいる。
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里から遠望する比治山、現在は磯砂山[いさなごさん]と呼ばれている。この山の頂にある真奈井の井で八人の天女が水浴びをしていたとされる。
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乙女神社は天女を嫁にした猟師のさんねもの三人娘の長女を祭神としている。
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さんねもは猟師であった。その時のものかどうかは定かではないが、安達家には見事な細工をほどこした古い矢と矢筒が代々大切に残されている。
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天女を嫁としたと代々語り伝えられている安達家の家紋は「丸に七夕」。現在も安達家では七夕の前日、8月6日(旧暦7月6日)に、近在の人たちが集まり七夕祭が催される。
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天女が最後にたどり着いた船木の里にある天女を祀る奈具神社。
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安達家に残る七夕の図。牽牛と織姫が天界で出会うようすだが、なぜか牽牛と織姫の位置が普通とは逆に描かれている。
jyashin.net/evilshrine/gods/.../tsuchigumo_ancient_06.html - キャッシュ
丹後国風土記残欠」は、来歴のよく分からない文書で、五風土記や逸文などのように 学界から古風土記と認められているものではないが、古代の土蜘蛛について詳細に記し ているので取り上げた。ここに登場する土蜘蛛「陸耳御笠」自体は、古事記に丹波で 官軍 ...
www.dai3gen.net/tango.htm - キャッシュ
丹後風土記としては、岩波の日本古典文学大系の「風土記」に収録されている「逸文・ 丹後風土記」で「奈具社、天椅立、浦嶼子」の三条が載るものが有名です。 これとは ... 日本根子天津御代豊國成姫天皇』の御宇に、丹波国の五郡を割いて丹後国を作った。】
crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id... - キャッシュ
質問
(Question) 回答
(Answer) 回答プロセス
(Answering process) 事前調査事項
(Preliminary research) NDC 参考資料
(Reference materials)
『丹後国風土記』を探している。
下記の所蔵文献に収録されていた。

風土記 / 植垣節也校注・訳 小学館 , 1997 (新編日本古典文学全集 ; 5) ISBN:4096580058
ジャパンナレッジ[JapanKnowledge](有料データベース)に収録

風土記 / 秋本吉郎校注 岩波書店 , 1958 (日本古典文學大系 ; 2)

丹後史料叢書 第1輯 / 永浜宇平編 名著出版 , 1972
日本古典籍総合目録で検索した。

著作ID 366187
統一書名 丹後国風土記 ( たんごのくにふどき ), K, 1
巻冊 一冊
別書名 [ 1 ] 丹後風土記( たんごふどき )
分類 地誌
国書所在
【写】国会(安政二写)(一冊)(残欠、天の橋立名歌百首の付),静嘉(三部),東洋岩崎(諸国風土記及図田帳の内),宮書(残欠、安永二写)(明治写)(一冊)(石見国風土記と合),東博(明治写),東大史料,東大本居(残欠),大阪府石崎,岩瀬(天真名井考を付す)(三部),金沢市加越能(松雲公採集遺編類纂四五),神宮(万延元今村広重写)(万延元写)(大正写),高木,多和,無窮神習(四部),旧彰考(二部)#なお日本総国風土記の内
【複】〔活〕丹後史料叢書一

風土記(ふどき) Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)] 
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98/  (2012/03/02確認)
参考文献
秋本吉郎校注『風土記』(『日本古典文学大系2』1958・岩波書店)
上田正昭編『日本古代文化の探究 風土記』(1975・社会思想社)
吉野裕著『風土記』(1969・平凡社)

ふどき 【風土記】 国史大辞典
・・・ 平安時代以来、古典注釈書・歌学書・神道書などに引用されて伝わった断片を「逸文」といい、『釈日本紀』所引『丹後国風土記』の浦島伝承など著名である。逸文は前述の五風土記以外の四十数ヵ国に及び、成立時期や伝来の信頼度に厚薄はあるというものの、相当な量にのぼる。これらの採集と整理は今井似閑・伴信友・栗田寛・秋本吉郎などの学者によって精力的に進められた。風土記の本文・注釈は栗田寛『標注古風土記』をはじめ、『日本古典全集』、『岩波文庫』、『日本古典文学大系』二、『日本古典全書』、『東洋文庫』一四五、『角川文庫』などに収められている。
参考文献:
栗田寛『古風土記逸文考証』
秋本吉郎『風土記の研究』
小島憲之『上代日本文学と中国文学』上
植垣節也『風土記の研究並びに漢字索引』
志田諄一『風土記の世界』(『歴史新書』二一)
日本史  (210 9版)
日本古典籍総合目録 国文学研究資料館
http://base1.nijl.ac.jp/~tkoten/about.html  (2012/03/02確認)
Yahoo!百科事典[日本大百科全書(小学館)]
http://100.yahoo.co.jp/  (2012/03/02確認)

転載元転載元: 歴史&環境&公徳心ツアー&地方創成&観光産業振興





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 吉河遺跡(敦賀市)は集落外に大規模な墓域を定め、方形周溝墓が築かれていて、集落跡と墓域があわせて発掘された代表的弥生時代の遺跡といえる。集落内の住居跡の規模に差があること、方形周溝墓と土壙墓が併存すること、これらの諸点から集落内に階層分化の進んだことが推測されよう。
 弥生時代にはムラがつくられ、水稲耕作が生活の基盤となってきた。坂井郡の竹田川・兵庫川などの自然堤防上には、弥生時代に居住地がつくられ、その下部の低湿地に稲田が営まれたらしい。それを推測させる土器・石器を出土した弥生時代の遺跡が発掘されている。

   加戸下屋敷遺跡(三国町)からは、銅鐸の鋳型の未製品や大量の玉作関係の製品・工具また工房跡が発掘された。稲作とともに農耕祭祀が生まれて祭器として銅鐸が用いられた。越前は銅鐸分布の日本海側の北限であって、県下ではいろいろな型式の銅鐸が幕末以来七口出土している。畿内・東海地方出土の銅鐸とを比較して、それらの地域とのかかわりが考察されよう。なお弥生時代前期の文化の東限は伊勢湾と丹後半島をつなぐ線といわれてきたが、遠賀川式土器・木製品の出土した丸山河床遺跡(小浜市)の発見によって、日本海側の東限は小浜湾にまで及んでいることが察知されて現在ではこれが東限とされている。




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第一節 ふるさとのあけぼの
    一 はじめての福井人

      西下向遺跡
 遺跡は越前加賀国定公園内に所在し、米ケ脇から東尋坊に向かう荒磯遊歩道の途中の地点にある。加越台地が日本海に面した海岸段丘上に位置している。基本的な層序は、報告書によれば、1a層(表土)、1b層、2層、3層、4層、5層、6層、7層(砂礫層)に分かれている。旧石器は1b〜6層に包含され、そのなかで最も集中するのは3層上部と報告されている。
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T1/1-s010.jpg

写真10 西下向遺跡遠景

 旧石器と認定された石器類はいずれも輝石安山岩製のもので、ナイフ形石器・削器・二次加工の認められる剥片などであった。松村の採集した石器は、典型的なナイフ形石器で、それは比較的大型の長さ九・四センチメートル、幅三・七センチメートル、厚さ一・一センチメートルのものである。
  これまでは広く国府型ナイフ形石器とよばれていたもので、当初、その石器の剥片製作技法としては、これまで瀬戸内技法とよばれていた技法が想定されていたが、発掘資料を検討した結果、これまでの瀬戸内技法とは異なる新たな剥片製作方法であることが確認され、「三国技法」と命名された。


 前述の雄島遺跡(三国町)の石器は、やはり輝石安山岩製の削器である。また同じく、馬コロバシ遺跡(三国町)の石器は、チャート製のもので、切出形石器もしくは角錐状石器としている(『資料編』一三)。

  木橋遺跡(永平寺町)からは、安山岩製のナイフ形石器と石核が採集されている(前掲書)。このように越前の旧石器文化はわずかながら判明し、遺跡の数も増加しつつあるが、若狭地方では、今のところ確実に旧石器文化に属する遺跡はわかっていないのが現状である。
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T1/1-s011.jpg

写真11 西下向遺跡出土のナイフ形石器

 さて、西下向遺跡は、地層の綿密な観察や火山灰層序の検討などから、その時期は旧石器時代後期(ナイフ形石器文化)、すなわち、今から約一万数千年前の遺跡と考えられ、いわば「はじめての福井人」の明確な足跡をわたしたちに示してくれた。このはじめての福井人たちは、今日の福井県とはまったく異なった気候・地形・動物相・植物相の環境のなかで生活を営んでいたのである。

二 福井の縄文人の足跡
      草創期の遺跡
 土器編年の歴史のなかで、長らく草創期は「早期」の古い段階に位置づけられてきたが、研究の進むなかで二つの時期に区分された。この時期の遺跡として知られているのは、鳴鹿山鹿遺跡(永平寺町)と鳥浜貝塚である。とりわけ、鳴鹿山鹿遺跡はわが国の考古学史のなかでも、早くから注目され報告された遺跡として著名である。明治三十年(一八九七)大野延太郎が「大なる石鋒と精巧なる石鏃」(『東京人類学雑誌』一四〇)と題して報告している。

 それによれば、遺物は明治元年前後の用水工事の際に発見され、その出土状況は、石核二点の上に大なる石鋒を横たえ、その下に三〇余点の精巧なる石鏃が納められていたという。現存する遺物は、有舌尖頭器二三点、大野のいう「大なる石鋒」の大型打製石器一点、石核二点があり、そののちに付近から地元民によって局部磨製石斧一点が発見されている。
  とりわけ、「精巧なる石鏃」と表現された有舌尖頭器は、柳葉型を呈する華麗で精巧なつくりである(図1)。大型のものではその長さが一五センチメートル前後もあり、石材はチャートや流紋岩系、中型のものは長さ一〇センチメートル前後で、石材は安山岩系が中心で、砂岩系も少数混在するらしい。小型のものは、七センチメートル前後のものと、それより短いものがあり、ずんぐりとした形態で石材は安山岩とされる(『資料編』一三)。
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T1/1-z001.jpg

図1 鳴鹿山鹿遺跡出土石器の実測図

 鳴鹿山鹿遺跡の有舌尖頭器を中心とする遺物群は、全国的な研究成果から推して、草創期の古い方の時期の所産と考えられ、越前地方の縄文文化の始まりを示すものとして重要である。つまり、縄文文化が開始された段階を示す石器群であるといえよう。大型のものは旧石器文化の石槍の流れを残し、小型のものは、縄文文化の石鏃の流れを示していると思われる。なお、県内での有舌尖頭器の出土は、王山二五号墳(鯖江市)より一点、姥ケ谷古墳(三国町)より一点、岩の鼻遺跡(名田庄村)から一点ときわめて少ない。そういう意味からも鳴鹿山鹿遺跡の出土例は、珍しいものであり、廃棄されたというより、意識的に埋納されたものと思われ、一括埋納(デポ)ともいうべき性格のものといえよう。

       より具体的に、草創期を物語る遺跡としては鳥浜貝塚があげられよう(以下、本節における鳥浜貝塚の叙述は、おもに森川昌和「縄文人の知恵と生活」『日本の古代』四による)。昭和四十七年の第三次調査で、最下層から多縄文系と称する土器がまとまって出土してその存在が明らかになった。さらに、石器や木製品・繊維製品、それに動物骨や種子をはじめ木などの有機質の人工・自然遺物が豊富に出土した。放射性炭素の年代測定では一〇二七〇±四五BPとされ、今から約一万年前の生活を物語る膨大な資料がその姿を現わしたのである。
  調査の過程で、爪形文・押圧文土器が検出され、ついに隆起線文土器とほぼ縄文文化の開始を告げる時期にさかのぼる所までたどりついた。同様な年代測定でも、前者の土器は一〇七七〇±一六〇BP、後者の土器は一一八三〇±五五BPの測定値がだされた。この両者の土器にともなって、石器類や木製品、植物性自然遺物も出土している。

       さて、鳥浜貝塚で検出された県内で最も古い隆起線文土器は、土器の口縁部に二条の細い粘土紐をめぐらし、その上に上下から斜めに刻みを入れている。土器の底部は丸みをおびた平底である。土器としては、高さ約二〇センチメートルの小形のものである。
   一例だけであるが、この隆起線文土器にともなって、土器のほぼ全体を復元することが可能な珍しいものが出土している(写真12)。この時期の土器としては多彩な文様構成で、口縁に沿って円形の刺突文をつけ、その下に斜格子文を沈線でつけ、その下に三条のD字形の爪形文を構成している質のいい土器である。隆
   起線文土器は、九州から東北地方にかけて各地で発見され、その広範囲な分布に特色がある。この土器が出土する遺跡の規模は一般に小さく、遺物の量も多くない。それらのことから、隆起線文土器の段階は、居住期間が短いといわれている。
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T1/1-s012.jpg

写真12 鳥浜貝塚出土の斜格子文土器

 しかしながら、多縄文系土器の段階になると、この様相は激変する。どうやら、三方湖畔に本格的な定住生活が開始されると思われる。それは、石器・木製品が豊富に検出されることや自然遺物のなかにヒョウタンの果皮があることなど、とにかく大量の遺物が得られている。
 草創期は、先述したとおり、鳥浜貝塚の花粉分析などの成果によって福井県の当時の気候や植生が明確にわかっていることについてもふれておきたい。


 約一万二〇〇〇年前の福井県は、今より冷涼で、現在の青森県ぐらいの気温といわれる。平野部でもブナの木が繁茂していたようで、鳥浜貝塚では草創期の層から、膨大な量のブナの実が出土している。ブナ・ミズナラなどの冷温帯落葉広葉樹林が拡大していたのである。

   ところが、今から約一万年前になると、温暖化が進みナラ・クリなどを中心とした暖温帯落葉広葉樹が拡大するようになる。この段階が、先に述べた多縄文系の段階で、木の実を豊富にもたらす森の誕生でもある。鳥浜貝塚からは、この時期の土器のほか木器・石器や動物骨なども出土している。





丹後の先史時代
     ・旧石器遺跡未発見
     ・1万年程前 有舌尖頭器発見
     ・8千年前 (早期) 裏陰遺跡 押型文土器
     ・6千年前 (前期) 松ヶ崎遺跡 貝殻文土器 魚類骨(ハタ・タイ・ヒラメ)・植物種子(栃・栗・胡桃・エゴマ・瓢箪)

     ・前期〜晩期(3千年間) 平遺跡 
     ・中期    約5千年前 平式土器(渦巻文などで加飾された土器)
     ・後期 (3〜4千年前)  浜詰遺跡 最盛期(4千年前) 竪穴住居跡 貝塚から海産貝(蜆・蛤・牡蠣・アサリ・鮑・サザエ) 魚骨(ボラ・フグ・鯉・黒鯛・スズキ・鮪)
                                                  獣骨(イルカ・鯨・猪・鹿・狸・猿)




丹後半島の歴史
先史・縄文時代

  丹後半島にも先史時代から人々が住み着いていたことは明らかであるが、確認されている遺跡としては縄文時代の草創期からである。 舞鶴湾の小さな入り江に「浦入(うらにゅう)遺跡」がある。入り江には 5000 年前の縄文海進でできた砂嘴が沖に伸びている。
   砂嘴 の起点近くで、5300年前の丸木船が発見された。スギ材をくり貫いて作られており、全長8mと推測できる。近くからイカリと思われ る石と杭が見つかり、日本で最古の「船着き場」と話題を呼んだ。日本の船と港の歴史上、画期的な発見だった。 最古の丸木船という言い方は、福井県小浜市の「鳥浜貝塚」から出土した丸木舟に対してもしばしば形容される。いずれも縄文前期 と判定されただけで、「XX 年製造」と書いてあるわけではないので、いずれが最古かは断じられないが、両遺跡とも、ほぼ同じような 状況にあったことは容易に想像できる。 
    浦入遺跡からは、各地の縄文前期の土器が多数発見されており、当時相当広い範囲に渡って交流があった事が窺える。またここから発 見された「快状耳飾」と呼ばれる大型の土製耳飾りは、直径6.5cmもあり我が国最古級のもので、これは中国江南の、「中国・河 姆渡(かぼと)遺跡」から出土したモノに酷似していて、遠く大陸との交流の可能性も取りざたされている。

  沖あいを対馬海流が流れる丹後半島では、相当早くから大陸と密接な交流があったことが考えられる。今日この地方は、近代日本の発 展からは置いて行かれたような鄙びた半島というイメージが強いが、弥生・古墳時代の遺跡を通じて見られる「鉄」と「ガラス」製品 の夥しい数、およびそれらの製造に関する先進性は、この地方が大和政権に完全に組み込まれるまで、独自の文化を持ち、大陸・半島 と相当密度の濃い交流をしていたことが考えられる。

  或いは、これらの技術をもたらしたのは、対馬海流に乗って、大陸・半島から渡 来してきた人々そのものである可能性もあるのだ。峰山町「途中ヶ丘遺跡」出土の有舌尖頭器は、縄文時代の草創期に人々が狩りに明 け暮れていたことを示しているし、網野町「浜詰遺跡」から出土した動物の骨を見ると、クジラなど共同作業でしか穫れないような獲 物も多い。
   久美浜の「函石浜遺跡」は縄文時代の居住跡であるが、約2千年前の中国の貨幣「貨泉」が出土していて(「新」、西暦8 〜23年)、弥生時代に入ってからも大陸との交流が行われていたことを示している。





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転載元転載元: 歴史&環境&公徳心ツアー&地方創成&観光産業振興

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