多幸の湯番台日記PART

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西遊記掘2008年四国ぶらり旅日記)第22日目「54番:延命寺」(愛媛県今治市)

撮影日時:平成20年5月28日 場所:愛媛県今治市阿方甲 記事:四国八十八ヶ所霊場第54番札所:近見山 延命寺(ちかみざん えんめいじ)。53番円明寺から54番延命寺までは38kmほどあり車で1時間余の行程だ。斎灘の景観を見ながら国道196号線で今治市に入る。松山市内程ではないが今治市内にも6ヶ寺の札所と観音霊場が2ヶ所、全部で8つのお寺を回る。手始めに回ったこの寺は境内は狭いがそれでも土産物屋が店を開いていた。そこでソバ茶の接待を受ける。大師堂は本堂より小高い所に建っていた。

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 ̄簗浸の仁王門。駐車場はこの仁王門の奥にある。向こうに見えるのが山門と本堂の屋根。

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単層で簡素な山門(右)。左は四国お遍路の水彩画「第54番:延命寺の山門」(安藤翠峰氏画)(合成写真)。

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鐘楼。宝永元年(1704)の梵鐘は住職の私財で鋳造したもので寺宝になっているとか。

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に榮押ご本尊は行基菩薩作と伝えられる不動明王。

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ヂ膸嫺押

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参拝時は静かだった本堂も、大師堂で声明を上げ下りて来たら、団体参拝客で混み合っていた。

延命寺:真言宗豊山派。本尊は不動明王。 寺の創建は行基菩薩が不動明王を刻んで本尊として安置したのにはじまり、後に嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が再興し、近見山 円明寺と号した。百坊が谷々にあり、信仰と学問の中心であった。しかし、再三戦争で焼かれて境内を移転し、享保12年に現在の地に移転した。鎌倉時代には著書の多きこと日本一で学問は内外に通じ、深く後宇多天皇の尊崇を受け、生前に国師の号を賜ったほどの大学僧示観国師凝然がこの寺の西谷の坊で八宗綱要を著したことは有名である。明治の頃、53番札所須賀山 円明寺との混同を避けるため、通称の延命寺を寺号とした。境内には馬酔木の木がたくさんあって、春の彼岸のころから美しい花をつける。つつじも多く植栽され、花の寺としても知られている。(フリー百科辞典「Wikipedia」公式HPより引用)

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ここは全く記憶がないのです。どうしてなんだろう。

2008/11/7(金) 午後 10:50 houzan 返信する

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houzanさん>松山を離れ今治に来て初めての札所ですが境内も狭く、これと言って特筆すべき物がありませんから記憶の彼方へ行ってしまったかも・・・

2008/11/8(土) 午後 5:38 lingmu9216 返信する

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