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タイトルだけ決めて記事を書きます。
「本音と建前」というありふれたタイトルの記事を書こうと思います。
ありふれているだけに、自分の独自の良い(これを自分に期待してここうとするから、)
記事が書けたらいいなと思っています。
(鶴の「本音の本音」を聞きながら記事を書いています。鶴の中でも好きな歌です。)
お盆の期間、飲みながら人と話す機会がありました。
その中で、自分の考えが整理されたり、また影響を受けたりしました。
人と話せることって、嬉しいことです。
市の職員とお話をしました。
私は選挙公報とポスターに
「市の職員の給与を最低賃金にします。」と書いたので、
おそらく?たいていの市の職員には嫌われているのです。
ただ、断っておきたいのは職員の給与を最低賃金することが目的ではないのです。
同じ広報、ポスターにも前提として
「年齢、性別、傷害の有無にかかわらず、すべての人を雇用します。」
「小中学校では100点取れるまで勉強を教えます。」
この目的を達成するための手段としての最低賃金なのです。
タイトルに戻ります。
この国には生存権
「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
という建前があります。
正直、私の「年齢、性別、障害の有無にかかわらず、すべての人を雇用します。」
も建前です。
けれど、たとえ本音が、
「働く能力が低い、お金を稼ぐ能力が低い人に仕事がないのは当たり前。
社会にそいつらを養う余裕などない。それは自己責任だ。」
だったとしても、
その本音よりも
「働こうとする、社会に貢献しようという意思のある人には必ず仕事が与えられ、
結果、生活が保障される」という建前の方が美しく思えるのです。
本音という、社会を程度の低いものに合わせることが政治の役割ではなく、
建前だとしても、より美しい社会を実現することが政治の役割だと本気で思っています。
それに私は働く意思がない。社会に貢献しようとする意思がない人にまで
社会のほうが手を貸す必要はないと思っています。
あくまでも、働こうとする意思がある人を最低賃金で雇用します。といったに過ぎません。
それすら実現できていないというのが私たちの暮らす残念な社会だと
私には思えるのです。
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現実だけを尊重し、ありのままをそのまま受け止めるだけだと、社会に進歩はありませんよね。
一方、現実離れした理想だけを追いかけていても、物事の実際は変わりません。
社会を良くしていくには、現実を出来る範囲で少しずつ理想に近づけていく忍耐強さが求められそうです。
(^^)
2012/9/9(日) 午後 0:49 [ suu*uu*h*i ]