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「消費税に賛成」というタイトルで記事を書きます。
私は同じ税額ならば、所得に応じて負担する所得税に比べ、
消費に応じて負担をする消費税の方が、優れて、理にかなっていると考えます。
例えば、環境税のように、税金とは
個々人の行動に対して負のインセンティブを与える効果があると私は考えます。
社会に財、サービスを供給する行為に対して課税しては、働く意欲、生産する意欲を削いでしまいます。
逆に、消費税は消費を抑制する効果があります。
もちろん、今の状況は生産が過剰で消費が過少であるためにデフレが生じているのですが、
それでも、豊な社会とは物が沢山あって、物やサービスの側が待機していてくれて、
いつでも欲しいときに、欲しいものが手に入る社会だと、私は考えます。
財やサービスの供給が少なく、並ばなければ物が手に入らないような社会は貧しい社会だと私は考えます。
そういう社会を私は望みません。
ですから私は同じ税額ならば、生産を奨励し、消費を抑制するために、
所得税を減税し、消費税を増税するべきだと考えるのです。
私は消費税に賛成します。
ただ、前提として私は「同じ税額ならば」という言葉を繰り返しています。
増税には反対なのです。
正直、はっきり言って、「税金を取られている」という感覚のうちは、誰だって増税には反対です。
自分たちの社会を良くするために税金を納め、納めた以上、同等の見返りを実感できない限りは
増税に賛成する人はいないのです。
増税に賛成するのが役人ばかりなのは当然です。
私は、税金を納めた同額、もしくはそれ以上の見返り実感できる社会を実現したいのです。
当たり前のことですが、
こういう、当たり前の話を当たり前にする人が、少ない気がしています。
例えば私は今、自宅を改装しています。
費用を抑えるために自分で、できるところは自分で改装していますが、
自分で、できないところは、お金を払って大工さんにお願いしています。
夕飯の材料を買うためにスーパーで買い物をします。
自分で野菜や肉や魚を生産し、またはそれらを生産者のところまで買いに行くことはわずらわしいし、
毎食の材料を限られた時間の中で手に入れるのはほとんど無理です。
数百円でそれらを手に入れることができるならば、だからこそ、
スーパーを利用し、(このように考えれば)私は喜んでスーパーにお金を払っているのです。
床屋や洋服、新聞や電気(ちょっと微妙?)など、まずほとんどの財、サービスに対して
私たちは払っているお金と同等、それ以上の効果を実感して、納得してお金を払っているのです。
そうでなければ継続して利用しません。
ここで主題に戻ります。
税金は払った額と同等、それ以上の効果を私たちにもたらしているのでしょうか?
「払った以上の効果、恩恵を受けている。」
この実感さえあれば、誰も増税に反対しないのです。
この実感を取り戻すことが政治家の仕事だと私は考えるのです。
ただ、忘れていけないのは、
公共サービスを提供しているのは政治家や公務員ではなく、
私たち自身ということです。
国民主権の社会です。
主権者の私たちに責任があるのです。
公務員は私たちの手足となり、労力を提供しているに過ぎないのです。
「公務員が無能だ、怠慢だ。だから国がダメなんだ。」と言っているのは
「従業員が無能で、怠慢だ。だから会社がダメなんだ。」と言っている社長と同じです。
それでは私たちは従業員を教育し、生産性を上げることを放棄している無能な社長と同じなのです。
私はそうありたくないし、
現況それができていないのは、反省しないといけないのだと思います。
言いっぱなしでは良くないので、
状況を少し改善するための私の提案は
「税制、社会保障をできるだけ簡潔にシンプルにすること」です。
現在、税制も社会保障も複雑になり過ぎています。
複雑になりすぎて、私たちの手の届かない、監視できないところまで来ています。
私はそれをできるだけ、わかりやすくすること、シンプルにすることで
少しずつ、主権者の実感を取り戻すことから、はじめたいと考えています。
目指すところは、「税制や社会保障を、負担と給付を自治会の会計レベルまで持って行くこと」です。
誰もが監視でき、また誰もが改善のための権限を所有していることを実感できるレベルまで持って行くことです。
具体的な案は以前の記事やこれからの記事で話したいと思っていますが、
今日は、決意って言うか、前文って言うか、序章って感じの記事になりましたが、
ご容赦ください。
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2012年05月14日
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