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「学歴で人を判断することは正しいか?」
 
この問いへの私の答えは、
「正しいときもあるし、そうでないときもある。」
というひどくつまらない答えになってしまう。
(すみません)
 
「では、正しいときはどんなときか?」
について考えてみたいと思います。
 
正直、私の塾には勉強ができない子の方が来ています。
だけど、彼らが人として良い子か?悪い子か?といえば、
彼らは結構、良い子です。
教えてくれって意欲を持ってますもん。
そういう子は私の塾にとってはすごく良い子です。
成績は良いけれど、学ぶ意欲がない、という子は
私の塾の基準からすれば、全然ダメでしょう。
 
 
けれど、逆に、たとえば、私が会社の経営者だとして
事務的な業務をする人を複数の候補者から選ぶことがあったとしたら、
そのとき、学歴というものを選考の参考にするでしょう。
 
学歴はかなり大雑把に言って、
学校の授業という平等なインプットで良いスコアを出した結果なので、
インプットとアウトプットを繰り返す作業では
学歴は参考にして良いデータだと考えます。
 
人を学歴で判断するのは間違いだけれど、
「人を判断する材料として学歴は信頼に足る」
 
これが事実だとして、話をもう少し進めると、
このことが学歴、それを得る手段としての「勉強」の不幸だと思うのです。
 
学ぶこと、知らないことを知ること、知ろうとすることは本来楽しいことのはずです。
本を読むのも楽しいし、人と話をするのも楽しい。
ウィキペディアも見はじめたらエンドレスです。
新しいことを知ること、知っていることを確認すること、知っていることを共有することって楽しいことです。
 
けれど、残念ながら、優越感を感じられるから、という理由以外で
勉強を楽しめている中高生は少ない。ほとんどいない。
 
 
社会が人を判断する材料として学歴を利用するとき、
学校の授業、インプットは一定であったほうが望ましい。
できる子にもできない子にも一定の授業をし、点数で選別する。
学歴というモノサシをより精確にするには一定が望ましいのです。
学校の教育が一定になればなるほど、学歴というモノサシが精度を増す。
 
 
できない子に補習をするとか、宿題を余計に出すとか、
できる子に飛び級させるとか、課題を出すとか、しない。それを望まない。
 
社会は教育に子供の能力を引き上げることよりも、
選別の精確さを期待しているように私には思える。
だから子供も勉強をしたがらない。
 
内田樹のいつもの話だが、
みんなが勉強しなければしないほど、最高の結果が得られる。
だから勉強しない。
 
勉強して能力を高めた子供を評価しようとして
勉強の結果としての学歴を評価の基準にしてしまった結果、(下手な文章ですね)
勉強して自分の能力を伸ばそうとしない子供、集団をつくってしまった。
そんな気がする。
 
 
 
うちに来る子は本当に勉強ができない。自信がない。
でも良いじゃない。
勉強ができない自分を知った、それだけで成長なんだよ、
できない自分を責めなくて良い。
勉強ができない自分を知ろうとしない自分をこそ恥じろ。
 
 
答えを写したって成長しない。
間違って、間違って、間違って成長するんだよ。
毎日、毎日、一問、一問テストをする。
自分が知らないことを知ること、
それが勉強すること。

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