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「大学生の就職難は大学のせいか?」
なんてタイトルで記事を書きます。
 
私は、菅首相の
「最小不幸社会」や
「社会保障で雇用」というスローガンがそんなに嫌いではありません。
(本気でやろうよ!って記事です。)
 
社会保障は社会にとってコストであるし、
社会保障が成長産業でないことは理解しています。
 
けれど、企業も営業だけで、お金を稼げるわけじゃないのと同じように、
社会保障が充実していなければ、安心してお金を稼ぐことも難しいと考えるのです。
 
 
就職の受け皿を、
医療や介護、保育、環境
私はそこに健康、教育、そして行政を加えますが、
そのような分野に求めようとするならば、
人材を教育しなければいけないと考えるのです。
 
 
私の実感として医療系の大学や専門学校のニーズは高まっている気がします。
政府の方針にあまり関係なく、
定員も増えているのかもしれません。
(なんとか調べますね、もしくは知っている人聞かせて下さい。)
 
 
またイメージで話しますね、(すみません)
就職難の大学や専門学校は経済学部や経営学部、文学部とかじゃないのかな?
なんとなく、医療系の大学や専門学校の卒業生の就職難とかイメージしないのです。
 
 
 
上手くかけない気がしてきました。
結論言います。
「看護科や介護科や保育科の高校をもっと増やしたら?」
と考えるのです。
ニーズあると思います。
 
 
私は実業高校に優秀な生徒を送らなくなったこと、
実業高校を減らして普通高校を増やしたことが、
経済を停滞させてる原因だと思っています。
 
確かに、工業高校や商業高校を志願する生徒が少ないのは事実です。
けれどそれは、工業高校や商業高校の授業に魅力がないだけで、
工業高校や商業高校が悪いわけじゃない。
魅力のない授業しかできない学校が悪いのだと考えます。
実業高校から就職できないのではなくて、
実業高校が優秀な生徒を育てられないことが問題であって、
 
ひょっとして工業高校や商業高校の役割は終わったかもしれない。
だったら、普通科じゃなくて、
先にあげた、看護科や介護科、保育科(「りょう」と読まないで下さい、笑)
といった学科へ変えるのが良いんじゃないかなー?
 
本当にニーズあると思います。
公立看護高校、公立介護高校、公立福祉高校、公立保育高校。
高校なら、授業料無料だし、
高校までなら、って親もお金出すでしょう。
(幸田案では、中学100点取らせるだから、好きな高校に入れますし、)
地元の子供が地元の高校で地元に就職する。
そして、子供を生み育て、そして死んでいく。
そういうのが、地域を豊かにするんだと考えます。
そういうのを、本気でやりたいんです。
 
わざわざ、お金をかけて県外に優秀な人間を送って
どんどん子供が減っていくていうのはバカバカしい。
 
そういうのを留めるのにも、
実業高校の復権って言うのが大事だと、
強く考えるのです。
 
 
高校がサボって、大学に問題を先送りしてるのが
就職難の一つの原因だと私は考えているのです。
高校が大学以上に罪作りだと私は考えています。
 
 
世間の目が高校に甘いから、高校が良くならない。
 
 
 

同じゼロサムでも、

一連の記事は、
「公の役割とは何だろう?」
という問いから発している気がしています。(自分のことなのに、)
無駄、無駄、無駄と無駄を削って最後に残ったものがきっと
公の役割の最も濃いものとなるのでしょう。
 
けれど、近年の無駄削減の流れの中で、
私にとって、公が最も担わなければいけない役割の方が
削減されてしまっている気がしているのです。
 
 
これにはいくつか原因があると思います。
私も簡単に「無駄」と書きましたが、
無駄を削ることに反対する人は少ないです。
けれど、私にとっての無駄と誰かにとっての無駄は同一ではありません。
私は音楽が好きです。
好きなバンドのCDを買ったり、コンサートに行きます。
音楽でお腹は膨れませんし、
好きでない人にとっては、無駄でしかないのです。
けれど、私は彼らの音楽から何かを得、
それに価値を見出しているからいくらかお金を負担しているのだと思います。
(普段はそんなことも考えず、欲しいから買うだけなのですが、)
そして、私がCDを買ったりコンサートのチケットを買うことで
そのバンドのお腹が膨れ、
結果、活動や、創作に役立っているのだと思います。
見方を変えれば、大袈裟に言って、
私の無駄遣いが芸術活動を支えているのです。
 
 
私たちは無駄を削減するときに、
「自らが無駄である」ということをなかなかに想像できません。
ですから、「無駄を削る」というときには
私たちは勝手に自分にあまり係わりのない無駄を想像してしまうのではないでしょうか?
 
これは「格差を無くそう」とか
「政権交代」とか
「yes we can」 「we can change」とか
も同じだと思います。
 
私たちが今、政治に失望してしまっているのは、
きっと、この私たちの期待、
削るべき無駄が、
なくすべき格差が、
交代するべき何かが、
変えるべき何かが、
期待したものと異なってしまっているからだと考えます。
(そして私が多くの人が政治に係わることを望むのもここに理由があります。)
 
ですから、私は自分への戒めとして、
上のような具体性を持たない言葉を使わないように心がけています。
(無自覚に使ってしまうことがあるほどに染込んでいるかもしれませんが、)
 
 
無駄を削る。
格差を無くす。
変える。
という発想からは
何かが何かにとって変わるだけ、
富が今あるところから、違うどこかに移動するだけ、
幸せを実感する人と、不幸せを実感する人、両方いるのです。
 
それを納得させることことこそが、
政治家の役割です。
だとすれば、政治家は具体的に何を何に変えるのか?
を事前に(選挙で)明らかにしなければいけないのです。
 
 
私は、現在の富は
過去に対しての報酬としてでなく、未来への投資として使いたい。
より具体的に言えば、
生活保護ではなく公による雇用、教育。
雇用より、起業。
死なないための医療ではなく、健康なままに死ぬための予防。
 
そうすることが、持続的に社会を維持することにつながると考えるし、
ゼロサムかもしれませんが、
過去に使うのではなく、未来に対して使うことが、
少しでも、富の総体を増やすのだと考えるのです。
 
 
 
 
 
 

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