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「商店街は終わってる。」
「大手には勝てない。」
私が寺子屋事業を始めるとき、
多くの人が、親切でこう言ってくれました。
他に出店候補地はありましたし、
(今、そこは大手の学習塾になっています。)
フランチャイズの選択もありました。
けれど、それでも私は商店街の空き店舗を
自分で改修して開業することを選びました。
料金を気にすることなく、
勉強したいだけ勉強できる教室を私は作りたかった。
フランチャイズに加入すれば、
看板も信用もあるし商売はやりやすいかもしれません。
けれど、それではその看板や信用の費用を
指導料に上乗せしなければならなくなります。
それでは、地元で回って欲しいお金が外に出ていくことになります。
そうしたくなかった。
もう一つは、こっちの方が本音だけれど、 「商店街は終わってる。」
「大手には勝てない。」
と言う、知った風な親切な人たちに
「そうじゃない。」と見せたいと思った。 補助金に頼る商店街活性化に、
「補助金なしでも、少ない投資で商売はできる。」
と見せたいと思った。
あんな「しょぼい店」でもできるんだから、
「オレもできるはず、」って思う、
そんなおちょこちょいが一人、二人と出てきてくれれば、
この終わってる商店街の、この終わってる空気も
私は変わると信じてるんですよ、バカだから、
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無題
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「商店街の活性化」と、どの政治家も言い続けているのに、
どうして、商店街はさびれつづけるのか?
私の経験の話をします。
2001年、「まきん家」という共同店舗に2坪借りて、
私はたこ焼き屋を始めました。1年で私はやめました。
「まきん家」という事業も、その1、2年後には終わったと思います。
出店にあたっての責任の範囲や店舗の内外装の改装費用、運営費用、
また運営しながら改善したい点など話し合いをするのですが、
会議では実際に現場で動いている私たち出店者よりも、
商工会、役場、経営コンサルタント、大学の講師、
NPOなどの声が大きいのです。
もちろん国や町の補助金を商工会が主体となって行っていた事業なので、
最終的な決定権と責任が商工会にあるのは理解します。
ただ、自分で商売をしたこともなく、
もちろん成功させたこともない。
自分のお金を出すこともなく、
結果に責任を負わない人たちと一緒に商売したら失敗する。
という経験をえました。
(この経験は私にとっては本当に良い経験でした。)
商店街でイベントがあります。お祭りがあります。
本来は商店街に来てもらって
各商店の魅力を知ってもらうためのイベントだと思うのですが、
そのイベントをするために商店主が店を休んでまで協力する。
結果、閉まった店をアピールしてしまっていることが多くあります。
これでも儲かる人(さっきあげたような人たち)がいるから
継続されているのだと思うのですが、
協力している商店主は人が良いにもほどがある。
って私は思うのです。
もっと、いやらしい言い方をすれば、
外から来た人にお金を使ってもらうのが目的ではなく、
イベントの経費を消費するのが目的
になってしまっているものが多くあり、
本来の目的を終えて、儲けは少なく、
負担が多いのにもかかわらず、一度始始めると、
惰性で続いてしまっているように私には思えます。
現状、補助金は多くありますが、
それは実際に商売をしている人、
これから始めようとする人からの
要望で作られたものではありません。
イベントもそうです。
現状に合っていないのです。
実際に商売をしたことがない、出す側、
それを消費する側の都合で作られている補助金が多いのです。
外から人に来てもらい、
お金を落としてもらうのが目的のはずですが、
商店街に関係ない人にお金が出ていってしまっているのです。
だからどんなに「商店街の活性化」と言っても
その声に反比例し商店街がさびれてしまうのだと私は考えます。
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「檸檬」と言えば、今は米津玄師なのだろうけれど、
「檸檬」と言えば、私にとっては梶井基次郎。
か福島のお土産(笑)
私は梶井基次郎の「檸檬」が好きだ。
本当に短い小説なので、繰り返し読む。
青空文庫にあったのでリンクを貼っておきます。
私はこうして文章を書くときや、
チラシを出すとき、
いつも世の中をびっくりさせたい。
いつもの日常を変えてしまいたい。
と思ってワクワクしながら書いている。
(実際には世の中は、なかなかびっくりしてはくれないけれど、)
梶井基次郎は「檸檬が爆弾だったら」と想像するのだが、
私は勤めていた球根の商社が倒産したとき、
水仙の球根を買えるだけ買って、空き地に埋めた。
ゴミだらけの誰の土地かわからない空き地に
ゴミを拾い、草を刈り、耕し、勝手に球根jを植えた。
「水仙の球根が爆弾だったら」と想像しながら、
もちろん水仙の球根は爆弾ではないので爆発はしなかったけれど、
それ以来、春になると毎年花を咲かせ、
ゴミと雑草の日常の風景を変えてくれる。
「ゴミみたいな日常を変える。」
テロリストの気分で、
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すみません。更新一週間お休みしました。
休みの間にいろいろな人と話ができました。
それに影響を受けて、記事の内容も予定と少し変更しました。
改めまして、
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
世間での(せいぜい西蒲くらいの)私に対するイメージは、
こんな感じでしょうか?
世間での(日本での)政治家に対するイメージは、
こんな感じでしょうか?
現職の政治家に対する私のイメージも大体同じです。
けれど、私はこれが理解できないのです。
私たちは政治家を選挙で選んでいます。(選挙権のない子供は別ですが、)
私たちは望んで、「金に汚く、せこくて、他人に厳しく自分に甘い。」
そういう政治家を私たち自らが、自らの代表として選んでいるのです。
これ私には本当に理解ができないのです。
時代が良く、
「社会を豊かにするために政治家が汚れ役になる。(気になっている)」なら、
100歩譲って許せますが、
「金が無いから原発、金が無いから合併、金が無いから〜〜廃止。」という現状は
「支援するごく限られた人だけを豊かにする政治家」によって社会全体が貧しくなっているためです。
こういう時代の政治家は「金にきれいで、他人には寛容で自分を厳しく律する」
そういう人に自分たちの代表であって欲しいのです。
「この間に金が無いから自分の給与を減らします。」って言った人いたでしょうか?
「この間に金が無いから議員にかかる経費を減らします。」って言った人いたでしょうか?
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前回の記事は、
行政は生活を守ることが役割。お金を稼ぐのは民間の役割。
財政悪化の原因は、原則とは全く逆の、「行政がお金を稼ごうとし、民間は公をうたい補助金に依存している」こと。それぞれが本来の役割に戻ることが重要。という話でした。
今回は話をもう少し進めます。
どうしてお金がなくなったのか?
「合併を機に施設を作ったから、新潟駅を整備したから」というのは、もちろんですが、
なにより、働いてお金を稼ぐ人口が減り、年老いて医療や介護にお金がかかる人が増えたからだと私は考えます。
かつてのように人口が増え続けている状況であれば、施設は不足していたし、利用者が少ないという問題もなかった。施設を作ることで住民も地域の業者も潤った。補助金があれば、あるだけ使い、施設を作り、事業を増やすことが正義でした。
けれどそれは、人口が増えていた時の正義です。
人口も税収も増えていたときと同じ考え方でお金を使っていれば、状況が悪くなるのは当然です。
この問題は今、初めて私たちの目の前に現れたのではなく、「金がないから原発」「金がないから合併」そう言っていたときから、すでに存在していた問題です。けれど、私たちはこの問題を「原発や合併の問題」として、問題の本質を見ないまま今まで来てしまいました。その結果が、私たちの目の前にある現実の姿です。この姿は10年前、20年前に私たちが望んだ姿でしょうか?このままで、10年後、20年後に希望はあるのでしょうか?
このことは、誰もが、気づいていながら、考えないようにしていたのかもしれません。
誰もが、わかっていることを、わかっていても、変えられない現状を若造に言われるのは、面白くないかもしれません。
人口が増えていたときの、かつての成功体験が、問題解決の邪魔をしています。
生まれる子供も、地元で暮らしたいと思う家族も減り続けています。それは私たちが暮らしているこの地域の魅力が減り続けているということです。
原発も合併も基金もみんな無くなりました。次は水道でも売るのでしょうか?その次は橋でしょうか?道路でしょうか?そういうのはもう終わりにしましょう。
節約すること、我慢することでお金を作るしかない状況になりました。
どうせ節約するのならば、どうせ我慢するのなら、魅力が減り続ける現状を維持するための節約でなく、ここで子供を産みたい、育てたい、暮らしたい。そういう地域を作るために私と一緒に節約や我慢をして欲しいのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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