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政治のこと

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指定管理者

私の利用するプールは指定管理者制度で運営されています。
 
以前の市の管理に比べ、
職員は専門的で、
挨拶なども以前より、親切で丁寧、
教室の内容も充実しました。
それでいて、運営費は以前よりも安くなっているというから、
良いこと尽くめです。
 
 
けれど、私は、そこに「ん?」と思ってしまうのです。
 
 
どうして、
専門的で、
親切で、丁寧で、
サービスが向上して、
それでいてなぜ費用が安くなるのでしょうか?
 
 
答えは結構簡単で、
以前の市の職員に比べ、今の管理者の人件費の方がずっと安いからです。
 
 
どうして、
専門的で、
親切で、丁寧で、
サービスが良い。
そんな職員の方が、賃金が安いのでしょう?
 
私はそこに納得がいきません。
どうして、優れている人が金銭的に正しく評価されないのでしょうか?
 
私たちが税金を納めるその合理性は、
税金を納めることが最も効率的で、コストがかからないから、
ということがその前提にあるはずです。
 
事実がどうだかは調べる必要がありますが、
私たちの実感として、
公は民間より、効率が悪く、コストがかかる。
とういうのが私たちの偽らざる認識なのではないでしょうか?
 
それではなぜ私たちは
税金を払うのでしょう?
 
 
この件での私の結論は
公はいらない、とか
市の職員はけしからん、とか
そういう結論ではまったくなく、
 
「行政こそが市民の生活をまもるために、効率が悪く、コストのかかる仕事をしなければならない。」
という結論になるのですが、
 
 
私は市の職員の給与こそが何よりの住民福祉なのだと考えるのです。
 
もちろん、先のプールの例では、プールの職員の方に高い賃金を払うように、
管理費を上げなきゃいけないと思います。
 
私は生活保護費を払うくらいならば、
市の職員として雇用して給与として払ったほうが100倍良いと考えます。
(100倍という数字に根拠はありませんが、)
ワークフェアという考え方に近いかもしれません。
(この話はまたどこかで、)
 
需要が低下しているときに需要を起こすことは民間には、なかなかできません。
効率が悪く、コストがかかるからです。
それは民間の役割の対極にあるからです。
そういうときのために、私たちは非効率的で、無駄だなーと感じながらも
税金を納めているのだと思うのです。
 
雇用がないとき、需要がないとき、景気が悪いとき、
そんなときに、民間はそんなに甘くないとか、
職員の数を減らしたり、公共投資を削減したりするのは
ものすごく、ばかげていると私は考えるのです。
 
逆もそうです。
雇用があるとき、需要があるとき、景気が良いとき、
そんなときに、民間もそうだから、
で職員を増やしたり、公共投資を増やしたりするのも
同様に、ばかげていると考えます。
 
今は、需要がないのだから、
たとえ、非効率に感じても
どんどん、職員を採用したって良いと思うのです。
 
 
少ないコストで、大きな便益をもたらす。
なんて優秀さは民間に任せてしまって良いのです。
 
たくさんお金をかけて、一見、非効率なことを行う。
それが公の役割で、
教育とか福祉とかってそういうことですよね、
 
 
 
介護職員が不足しているのならば、
市役所の職員が、介護施設に働きに行ったら良いと思う。
すぐに介護の仕事はできないけれど、
それでも、いくらかは、不足する人材を補えるでしょう。
 
公務員がなぜ必要か?
といえば、
「世の中には必要だけれども、利益が出にくく民間がやりたがらない仕事があるから」
というのが原則だと思います。
 
プロ野球の球団を誘致することよりも、
先にやらなきゃいけないことがあると思う。
 
無理やり需要をつくりだすことよりも、
今ある需要に応える方が、先だと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
昨日は、ものすごい風でしたね、
あたかも毎日更新しているような書き出しですが、
本当にお久しぶりです。
 
梅は咲き、クロッカスやスイセンは咲き始め、
もうすぐ桜が咲き、やがてチューリップも花を咲かせるでしょう。
 
そんな季節に人を誘ってサイクリングをしたい。って思っていました。
 
私の職場のある東区にはスイセンやチューリップの畑があり、
畑のスイセンやチューリップは、お庭や公園で見るそれらに比べ、
圧倒的な量で、本当に素晴らしい景色を私達に見せてくれます。
本当にきれいです。
そんなスイセンやチューリップの畑を自転車で周ろう、というサイクリングを企画しました。
 
 
私達は時々忘れてしまいますが、
私たちがふれる多くの自然、公園の木々も桜の並木も、どこかのお宅のお庭も
美しいと思う景観の、その多くは手付かずの自然ではなく、
多くの人の手によって守られている景観なのだと、時々思い出します。
 
毎年、花を咲かせるスイセン畑も、チューリップ畑も
もちろん、それを育てる人がいて、それを毎年買う人がいて初めて成立する景色なのだと、
 
 
スイセンやチューリップだけでなく、
春には水が入り、お日様の光でキラキラと輝く田んぼも、
夏には真っ青になり、秋には黄金色に輝く、
そして冬には、ただただ、まっすぐな、まったいらな、まっしろな世界を私達に見せてくれる。
 
田んぼアートとかいって
色の異なる稲を植えたり、刈り取って作った絵などではなく、
稲作が行われている、その水田そのものが、
生産者(と消費者)と太陽による何よりの芸術作品だと私は思うのです。
 
少しだけ触れますが、大雨や洪水などで住宅に被害が少ないのも農地があるおかげです。
(今は、かつての農地をポンプで水を吸い出しつづけたところに家がたくさんあるのですが、)
 
多くを私達に与えてくれている農地、農地がある景観、
そんな自慢したくなる景色を、
暖かい春の日を浴び、風を受けながら、季節のにおいを感じながら、
一緒に自転車で周りましょうって企画です。
 
来年も球根を栽培してもらうために、生産者を応援するために、本当に微力ですが、
参加費に球根代を含めさせてもらいました。秋に送ります。
 
参加費に見合う喜びを発見を持って帰ってもらえるか?
という自分で上げてしまったハードルにビビってしまっていますが、
 
 
これが上手くいったら、いかなくても、
次は柿の畑、桃、梨、杉林、水田と、そして来年も、どんどんやります。
 
そしてもしもそれらを見て、誰かが、それぞれの地元でオレのまねをしてくれたら、
(きっとオレがオリジナルではないと思いますが)
最高にオレは嬉しい。
 
 
 
 

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自転車の話

自転車の話

私の参加する自転車の会議が今日、新聞に載りました。
報道では、「駐輪場の有料化」のみ触れられていましたが、
駐輪場の有料化だけでなく、
多くの課題が未だ消化不足のままに
進んでいるような気がします。


市の用意した「自転車利用環境計画」の素案は
良くできている?気がします。
私が市の職員でも、きっと同じような素案を作るような気がします。


自転車に乗る私たちは、自転車に快適に乗りたい。速く走りたい。
遅い自転車と速い自転車は分けて欲しい。

歩行者は、自転車が歩道を走るのは危ない、やめて欲しい。

バスや車は車道を走る自転車を「危ない」=「目障り」と感じ、

JRや市は放置自転車に悩まされる。


そういう利害が対立する人たちの意見をひとつに集約しようとすれば、
ああいう案にしかならないだろうな、
と私はかなり同情しながら、残念な案ですが、しかたないかな?
とか思ってしまいます。


新潟では車なしに社会生活を営むことは大袈裟でなく困難です。
最初は「あると便利」というレベルであった車ですが、
今は生活のために「なくてはならない」というものに車はなってしまっています。
私は車を「あると便利」というレベルにもどしたいのです。
(これはちょっとわかりづらいけれど、本音です。)


私はマイカーから自転車に乗り換えること、
公共交通機関に乗り換えること、
歩くこと
は社会にとって望ましいことだと考えます。
ですから、政策はそれに沿ったものであるべきだと考えます。

自転車のイメージとして「エコ」と思い浮かべる人も多くいます。
私もそう思います。
私はそこに自転車は経済的で合理的ということをもっと強調したいのです。

自転車はまず軽いです。そして小さいです。
人一人同じ距離運ぶとして、
マイカーは1tくらい自重がありますか?
自転車は10〜18kgと体重。
場所もとりません。

ということは、
道路の舗装も維持も管理経費も圧倒的に少なく済むのです。
一般的な車道の幅であれば、自転車なら車の10倍は走れるのです。
止める場所だって同じです。
だから郊外店に取られて寂れている中心商店街だって賑わいを取り戻します。
社会のインフラを整備するのであれば、
車より自転車に投資した方が効果が高いのです。
(自動車メーカーには悪いですが、)

健康だってそうです。
現代の医療費は運動不足によるものが大半を占めています。
車は日常から運動を奪い、自転車は運動を与えます。
自転車に乗り換えることは個人の健康だけでなく、
医療費の抑制という社会へも利益をもたらします。

財政が厳しくなると予想される今後、
高齢化社会において健康と財政両方に良い影響を与えるものです。
自転車を奨励することは社会としても取り組むべきことだと私は考えます。


自転車の計画は
今の自転車をどう捌くか?
ではなく、
どうやったら自動車から乗り換えることができるのか?
という視点で考えるべきだと考えるのです。

この連休は引越しでした。
まだ、きっちりと終わったわけではないですが、
来週末には明け渡しということなので、
それまでに、なんとか運び出したいと思ってます。


この前の文の最後に
物価が下がるのは良いけれど、
みたいなことを書きました。


グローバル化で労働者の賃金が
最低のところに引っ張られてしまっている。
ということは最近、よく言われます。

最低のところに、引っ張られて低くなっている。
のではなく、
最低のところが、引っ張り上げられている。
という風に私たちが実感できたら良いなー、と思うのですが、
(この話しは、現時点で話すにはちょっと大きすぎる気がします。)


もっと、ちっちゃい話し、
私は最低賃金の引き上げではなくて、
全ての職を求める人に仕事を与えることから始め、
結果として最低賃金が上がったら良いなーという考え方なのですが、

最低賃金の引き上げの結果、失業者を増やしてしまっては、
少ない職に対して労働者が増えてしまうので、
賃金の引き下げの方に、力が加わってしまうのではないか?
と考えるので、
労働需要を作り出し、失業者を無くすことから始めたい。と考えるのです。
その結果として、最低賃金が上がったら良いなーと考えるのです。


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