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子供手当ての財源として
相続税の増税が検討されていると言います。
子供手当ての財源としては、扶養控除の廃止が筋だと思いますが、
「介護、医療、年金の財源として、相続税の増税」は有効だと考えます。
老後のお金の不安とは、
自分がいつまで生きるか分からない。
言い方悪いけれど、生きつづけるリスクに対する不安だと思います。
生きているうちは、財産が必要(主に土地、家屋を想定していますが、)
望む人には、
自分が亡くなった後に、その財産を政府が処分し相続税として納税する。
年金などから、生きつづけるためのお金を徴収するよりも、
合意を得れるのではないか?と私は考えるのです。
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政治のこと
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塾の講師の職に就きました。
お金をもらって、
正直、勉強ができない子に
勉強の仕方を教えています。
例えば、
学校の公立の勉強では物足りなくて、塾に来る。
のであれば、
公の基準以上のサービスを望むのだから、
塾の先生にお金を払うのは「あり」だと思う。
ただ、残念ながら、私が彼らに教えていることは、
ノートの取り方、
勉強のやり方、
そして学校の補習です。
今はそれを、
お金を払って、得なければいけないことになっているのでしょうか?
決して安くないお金を負担してもらっています。
そして、そのおかげで私はお給料をいただけているのですが、
ただ、私が今、教えていることは学校では得れないことなのでしょうか?
公教育で保障する基準以上のことを私はサービスしているのでしょうか?
正直言います。
学校の先生に、「ここが分からないから教えて下さい。」
その言葉さえあれば、私にお金を払う必要はないのです。
先生が忙しいのかもしれません。
(妹も弟も公立の小中学校の先生なので、それなりに知っているのですが、)
けれど、
勉強ができない子、
家が裕福でなくて、塾に行けない子が、その家庭が
不利益をこうむるような社会は間違っている。
少なくとも、中学校の学習内容までは、
公で負担しなきゃいけない。
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コメントいただいて、
少し、補足、
この10年くらいの間、
政治家の失敗を拾い上げて、
失職させるということが続いています。
大臣を消費し、
自民党がダメだと、政権をも消費し、
今、民主党も消費しようとしています。
次は、みんなの党でしょうか?
今のままでは、きっと、そのみんなの党も、
私たちは消費し切り捨てることになると思います。
確かに、これまでの失言と言われるものは、誉められるものではないと思います。
そこは否定しません。
政治家には、潔癖で高潔で、公正であって欲しい。
私もそう思います。
けれど、私自身も、そうではないのです。
私は、自分ができないことを、やりたくもないことを、
他人に望み、強いることは恥ずかしいことと思います。
すべての行動を監視され、
なにか失敗しないか?という目で見られれば、
なにもない人はいないのだと思います。
切り捨てることを、消費することを前提に始まっている気がします。
もう、そんな余裕無いのです。
私はなんか、馬鹿げた想像をしてしまうのです。
サッカーなどの日本代表を選ぶとして、
ミスをした人を切り捨てていったら、
Jリーガーダメ、
社会人ダメ、
大学生ダメ、
高校生ダメ、
そうやって行ったら、
そのうち、小学生が日本代表になっちゃいます。
サッカーだけじゃなく、
絶対に人はミスをします。
ミスをしたら切り捨てるんじゃなくて、
どうしたらミスをしないのか?
どうしたら、上手くいくのか?
ということを提示して、見本を見せることで、
成長し、だんだん上手くなっていくのだと思うのです。
そういう未熟な人を大臣や首相に選出しなければいけないことは、
非常に残念だけれど、
それでも、現状がそうなんだから、
そこから始めて、なんとか、少しでも上手くいくようにしていかなきゃいけないのだと思うのです。
私は、テレビに出て批判している人に問いたい。
あなたはできるのか?と、
あなたが選挙に出、大臣になり、首相になり、見本を見せてあげれば良い。
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民主党政権の何割かは、
自民党政権の失言によって成立したのだから、
今は、その返済をせまられているのだと思う。
失言によって、政権を得たのであれば、
失言によって政権を失うのは仕方ないことかもしれません。
森政権の頃から強くなったと思うのですが、
政治家の発言を失言として拾い上げ、謝罪させ、辞任させる。
それを政権への攻撃材料に使い
政権を弱めるという行為が繰り返されてきた気がします。
政治の本質から遠いところでの議論ばかりがクローズアップされてしまっている気がします。
そのことで、私たちは多くの物を失っています。
本当に多くの物を失ってしまっています。
政治家には誠実で潔癖で崇高であって欲しい。
それは正しいことです。
私だってそう願います。
けれど、自分自身を見てみれば、
もちろん誠実で、潔癖で、崇高でありたいし、そうあるように心がけてもいます。
けれど、すべての状況で、常にそう振舞えているかといえば、
そうではない。
と、言わざるを得ません。
政治家の役割とはなんでしょう?
「国民の生命と財産を守ること」
「社会の富を効率的に集め、それを効率的に分配することで、社会を発展させること。」
街頭調査などで政治家に期待することは?
という質問に対しての「景気対策」そのものなのです。
政治家に政治家としての役割と同時に、
国民のモラルを代表することを、望むのは、
かなり酷なことだと思うのです。
そういうのは天皇や、同列に並べて失礼かもしれないが、
イチローや石川遼、早稲田の斉藤とかに任せて良いんじゃないでしょうか?
(失言を探す目で彼らを見れば、彼らから失言を得ることも可能でしょうが、)
とりあえず、政治家の発言がどうとかには、多少目をつぶりましょう。
それは、政治家の仕事の本来の仕事ではないのだから、
注目すべきポイントを変えましょう。
私たちは政治家に「景気対策」を期待しているのです。
だとすれば、そこに焦点をあて、議論を見守りましょう。
そうすることが、「景気対策」の近道です。
イチローのヒットを評価するように、
石川遼のショットを評価するように、
政治家の政策を評価する目を持つことができれば、
変わるのです。
残念ながら、私たちは政治家を失言レベルでしか評価する目を持っていないのだと思う。
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国家とは暴力装置であり、
国家の機関である自衛隊ももちろん暴力装置だと私は考えます。
国家は、税金という形で、強制的にお金を奪い、
刑務所に入れて自由を奪ったり、死刑といって命さえ奪います。
暴力の独占を国家に認めることで、私たちは秩序を維持しています。
権力を持つものが、暴力装置であることを自認しながら、権力を行使することは
権力者のあり方として正しいと私は考えます。
国民主権を謳っているこの国の最大の権力者は私たち一人一人の国民です。
暴力装置という決して穏やかでない言葉で自らを定義することが不快でないはずがありませんが、
そこから目をそむけることのほうが、危険な行為だと私は考えます。
包丁も、自動車も人を幸せにします。
けれど、包丁で、自動車で人を殺すことも出来るのです。
その危険性を知らないままに、その力を利用することは危険なことです。 包丁を自動車を自衛隊を権力をどう使うか?
は常に私たちに問われているのです。
その上で、
自衛隊が結成以来、他国に侵略したこともなく、
自国民に対して暴力を行使したことがないことを
私たちは誇って良いと思います。
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