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5月7日の 読売新聞を読みました。 |
政治のこと
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私はスポーツ選手が政治家になること、は悪いことではないと思います。
知名度を活かすことも、悪いことではないと思います。
政治とカネの問題も
私たちが政治に胡散臭さを感じてしまうのも、
政治家が選挙を勝ち抜かなければならないこと、
政治家であるために選挙活動に熱心でなければならないこと、
選挙に通るために、利益団体の支持を得なければいけないこと、
などが、政治に対する不信を作っている原因のひとつだと思います。
知名度を活かして、
カネに頼らず、
利益団体に頼らず、
選挙に通ることは、
政治家になった時、
政治活動を行なう時、
政治的な決断を下さなければならない時、
シガラミなく、行動できる。決断できる。
その大きな助けになると思います。
私たちは、そういう政治家を望んでいます。
ただ、そうであるならば、
既存の政党から選挙に出て欲しくないのです。
既存の政党に所属した、これまで多くのタレント議員は、
選挙の前は大事にされますが、
議員になったあとは、
ただの頭数の議員、
でしかなくなってしまっているような印象です。
私たちが望む、期待する
プロの政治家に対する不信からタレント議員を選出しているにもかかわらず、
それが、逆に出てしまっていることが、残念でなりません。
おそらく、現職の国会議員の誰よりも、
イチローや、北島康介、そして谷亮子の方が、
日本にいい影響を与えていると思います。
例えば、北欧の国に協力をお願いしたいときに、
鳩山総理大臣よりも、
荻原健二が権限を持って、お願いした方が、上手く気がします。
(そういうことができなくなるから、既存の政党から出て欲しくないのですが、)
例えば、フランスとかだったら、谷亮子だってそうだと思います。
イチローもそうだし、
北島も、
オランダなら、小野伸治
スコットランドには中村俊輔
きっと既存の政治家より、いい影響をもたらしてくれると思います。
選挙活動をしなくたっていいです。
スポーツは決断の連続です。
瞬間、瞬間に状況は変化し、
その中で、最良の選択をし続けてこれたから、
一流のスポーツ選手でありえるのです。
政治に求められる能力も、
時々刻々と変化する状況の中で
正しい判断を続けることが望まれるのです。
選手を続けることが、政治にも役に立つのです。
間違いありません。
私は、そういう能力に期待するのです。
けれど、既存の政党から出てしまうと、
それが、まったく役に立たなくなってしまうのです。
無所属で出れば良いのです。
選挙活動もしなくて良いのです。
選挙区だけで通用する価値観ではなく、
世界で通用する価値観をあなたたちは磨き続けているのですから、
そこで磨いた価値観を
政治に活かして欲しいのです。
無所属で出ろよ、
だったら、期待します。
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私は公務員とは、
誰もがやりたくはないけれど、
誰かがやらないと社会が機能しない。
だから責任感がある人などが就く仕事だと考えています。
また、私たちが税金を納めるその根本は
税金としてお金を納めることが最も効果的なお金の使い方だと納得している。
という前提の下に
私たちは、強制的に税金という形でお金を払うこと、奪われることに
なんとか合意しているのだと思います。
ということが、
私が、公務員の賃金を、最低賃金にするべき、
と主張する理由の一つです。
(他にも理由はいくつかあるのです。)
ですが、日本の現状を顧みると、
どうもそこから大きく離れてしまっているというのが、私の実感です。
金銭的には報われなくても、
社会にとって役に立つ、
そこに価値を見出し働こうと考える人だけに
私は公務員として働いて欲しいのです。
そういう人に公務員であって欲しいのです。
空港で働く私の同僚は
本当に安い賃金で、
それでも、安全と、定時制と、快適さを実現しながら、
言い方悪いけれど、決して報われていない賃金で働いています。
そんな同僚を尊敬しますし、誇りに思うのです。
ただ、残念ながら、彼らの(他人事じゃないのですが、)社会的地位は非常に低いです。
どうして、こんなに頑張ってる、こんなにカッコ良い、
オレの仲間は、どうしてこんなに給料が安いんだろう?
絶対、間違っている。
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これは、新潟市のあるバス停の前の写真です。
私はこの風景を、まあ、悪くない景色だと思います。
バス停の前に、ある程度きれいに自転車が並べられている。
このバス停を利用する人が、自転車を利用し、
この自転車を利用する人が、バスを利用し、どこかへ向かう。
バスと自転車を組み合わせて利用することは、
環境の面でも、
公共交通の振興のためにも、
社会にとって良いことだと考えますし、
そのように利用されている、この姿を私は、
望ましい景色だと考えるのです。
ここでもう一枚の写真です。
警告
この自転車はこの場所に放置されているものと認められ、
他の利用者の迷惑になっています。
所有者は、速やかに撤去してください。
4月29日までに撤去されていない場合は、
「新潟市条例」にもとずき撤去いたします。
新潟市
上の写真の自転車は全て放置自転車として撤去されようとしているのです。
歩いていける範囲だけで、バスの路線、バス停、
また鉄道の路線、駅を整備することは困難です。
歩いてバス停、ないし、駅を利用する距離はおおむね 1kmまでだと思います。
それが自転車なら2kmから4kmくらいまで、私の住む新潟の人は利用します。
私はこの札は、そのバス停まで歩くことが困難?な
潜在的なバス利用者を排除してしまう行為だと思うのです。
バスの利用を増やしたいと考える人が、
やろうとする行為ではないと、
非常に、馬鹿げた行為だと思います。
歩道の幅が、足りないとは思いません。
車椅子の方が、通れない幅でも、状態でもありません。
駐輪場として、認めて、
止めることを、禁止するのではなく、奨励するべきだと思います。
バス停を作っておいて、駐輪場を整備しないことは、行政の不作為です。
自らの不作為を省みず、その不作為のために
何の罪もない自転車を放置自転車と勝手に名づけ、悪者にする。
そして、その自転車を権力を行使し撤去しようとすることは、間違っています。
さらに言えば、撤去する費用の方が、駐輪場の整備費よりも高くついているのです。
この写真は、本当に大バカの写真なのです。
バス停の周りに十分な駐輪場の用地が確保できないところだとしても、
少し離れた裏の通りなどに駐輪場を作ったって良いのです。
1km以内であれば、歩いてバス停を利用するのです。
もう一枚、写真。
同じ、新潟市のバス停の写真です。
ここでは、バス停と駐輪場が一緒に設置されているだけでなく、
スーパーの駐車場を利用して、
自動車とバス停も組み合わされているのです。
同じ市内、10km行けばこの光景があるのです。
撤去の札を貼る人は、
撤去をする人は、
その作業をしながら、何も感じないのでしょうか?
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昨日につづいて憲法の話です。
第二十七条
「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
児童は、これを酷使してはならない。」
国が国民に対し、勤労を義務としながら、
すべての国民に働く場所を与えていないとするならば、
イジワルだなーと私は思います。
この二十七条は勤労は、権利だけでなく、義務としてるので、
この文面通りに読めば、
障害を持つ人や、老人。
また、財産を持って働いていない人も、憲法に違反してしまうのですが、
そこには、今は、あえてふれません。
「私が失業率をゼロにする。」を繰り返しこのブログで記事にするのは、
国民に勤労の義務を負わせるのであれば、
国は、国民に勤労の権利を保障すること、
職場を保障しなければいけないと考えるからです。
昨日の記事で十二条にふれました。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」 私たちの社会は、すべての人に
安全で、健康で、安心して暮らせるだけの職場を提供できないほどに、
貧しい社会でしょうか?
少なくとも、私は
働いて、社会に貢献したいと望む人に、
そのような職場を用意できないほどに私たちの社会は貧しいとは思いませんし、
もしも、そうでないのならば、
それこそ、私たちの不断の努力によって、獲得しなければならないと思うのです。
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