KEN's Blog

建築デザイナーの感じること

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現代においてデザインをする上で必需品と言えるものは、絵の具やサインペン等ではなくコンピュータであり、ソフトウェアであると多くの人は答えるだろう。
以前20代のデザイナーに「手描きの線をはたしてコンピュータで描けるのか?」という問いかけをしてみたことがあある。
そしてその答えは「はい、もちろんです。」というものだった。
予測と全く逆であったその答えに戸惑っている私を見て、「コンピュータに出来ない事はありません。」とそのデザイナーは続けて言い切った。

私にとって「手描きの線」とは唯一無二の線である。
人間の手で描く以上寸分違わず2度同じものが描けないという論理的な意味での唯一無二ではなく、その瞬間の自分の気持ち、感覚やイメージが表現された「線」であり、自分以外の人が描く事が出来ない唯一無二の「線」という意味合いであったから、それを機械であるコンピュータというフィルターを通しても再現出来るとは思っておらず、その返答には非常に戸惑ってしまったのだ。

手描きのスケッチでベースデザインを練り上げる私にとってはコンピュータを単なる仕上げのための道具として捉え、手描きの線を無機質な線にしてしまうフィルターのようなものと、いつしか考えるようになっていた。
要するに、手で描く時には感情を込め感覚的に描き、コンピュータ上では手描きのその情緒的な線を忠実になぞることで無機質な線とならないように描いていたのだ。

我々の世代に対してコンピュータ世代のデザイナーは始めからコンピュータを用いてデザインをしてるからか、コンピュータ上においても、十分に感情を込めて一本の線を描いていると言う事がわかった時、コンピュータ上でもその唯一無二の「線」は存在し得ると思えるようになったのです。
自分にとってコンピュータは身体の一部と感じられる程使いこなせていないから、ペンを手にもって描くことが一番表現しやすいことであり、コンピュータを身体の一部のように使いこなせるその世代ではペンタブレットやマウスで描くことが一番表現しやすいのかもしれない。

そしてそのコンピュータを持ち歩く事で、今や仕事はどこでもできる様になった。
移動中の飛行機の中で図面を描く事やデザイン画を描く事など、私がデザイナーになった頃には考えられなかったことである。
図面を描くには製図板、定規等が必要だし、デザイン画を描くには絵の具、筆等が無ければならなかったし、それらを持ち込んだとしても揺れる機内でオフィスに居る時の様に描く事はできないだろう。
現在それらの道具はラップトップコンピュータの中にソフトウェアとして収められ、図面だってデザイン画だって何だって出来てしまうのだ。
それに加え、同じソフトウェアであれば世界中の人と共有出来てしまうから、コンピュータが世界をボーダーレスに感じさせてくれる代表的なアイテムの1つと思ってよいだろう。

インターネット経由の情報やメールを使ってのコミュニケーションには国境が無い。
仕事だけでなく、趣味さえもコンピュータを使えば国の違いを考える必要は無い、というよりそういう事を忘れてしまう。
今の世代にとってコンピュータが可能にしてくれている事を特別な事とは思わないだろうが、私達の世代にとってそれらは子供時代に夢見た『未来』であり、「TV電話」や「インターネット」など、まさに『21世紀』と思っていたものがいくつか含まれている。
そしてコンピュータは未だ発展の途上であることを考えると、この先どのような新しい未来をもたらしてくれるのだろうかと思うと、若いデザイナーが自信をもって私に言った「コンピュータに出来ない事はありません。」という言葉の意味が解るような気がする。

コンピュータがデザインの世界に浸透してから、いかにもコンピュータによるデザイン、もしくはコンピュータを起源とする発想を感じるデザインが多くなったと思う。
コンピュータ上の3Dモデルで簡単にデザインチェックが可能となったデザイン、例えば平面でデザインしたものを立体に貼付けたデザインなど、コンピュータの無い時代では原寸大モデルか縮小モデルを実際に制作してデザインチェックをするという、時間も費用も必要とされていた為に敬遠されていたデザインが、現在ではあらゆるデザインで採用されている。
そういう点でコンピュータは人が考えるデザイン以外の「平面デザインを立体に貼付けたらどうなるのか?」という人の想像を超えたデザインを提供することの出来るツールとなりつつある。
1つのデザインをコンピュータ上のヴァーチャルリアリティーを利用して色々な加工やいくつかの実践をし、その『結果』を得る。そしてその『結果』が、デザインの完成形となるという『コンピュータによる偶然』とも言えるデザインが多くなってきていると感じることが多くなった。

デザイナーは自然や音、色や物の形など、色々なアイテムからインスピレーションのヒントを求めるが、今やコンピュータもそのアイテムの1つとなっている。
そして、コンピュータが「新しいデザイン」や「ボーダーレス」を実現するツールであり、「未来」を実現可能にする重要なツールであることに間違いはないだろう。
その重要なツールを今や世界中の人々が持つことを考えると、新しい未来が生まれるポテンシャルは計り知れないし、明日何かの技術革新が起こっても不思議ではないと思う。
そして何より嬉しいのは、そのツールを使えば私にも新しい未来が作れるかもしれないことである。

篠塚 憲二

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インテリアは私が仕事としてデザインするジャンルのひとつです。
住宅のインテリアをデザインする場合、大抵はそのオーナーが”どのような雰囲気のインテリアにしたいか”の具体的ビジョンを持っていないため、それを引き出すことから始めることになりますが、仕事としてこの部分がもっとも難しくて経験の必要な所と言えるかもしれません。

”インテリアの好み”というとても優柔不断な嗜好を”具体的ビジョン”として持つことなどなかなか簡単とは言えませんし、具体的なビジョンを持っていたとしてもそれを的確に伝える事自体が難しいのですからデザインする上で試行錯誤が必要なのは仕方がありません。
我々職業デザイナーはそれまでの経験や鍛えられた感性とを駆使してクライアントの好みをまず2〜3パターン程度に絞り込みます。
その具体的なデザインを見てクライアントが自分の好みに近いものを選び出しますが、その後好みとの「ずれ」を感じる部分についてさらに掘り下げていく作業を繰り返し、最終的なデザインを完成するのです。
しかしクライアントがその好みを的確に伝えられない場合、私達デザイナーはほんのささいな事からヒントを探し、それを基にクライアントへのインタビューを続け、様々な形のヒントを得るのです。

時にそれは「1つの椅子」であったり「好きな絵」、「好きなお店」であることもあります。
その小さなヒントから全体のインテリアイメージを想像する場合、具体的な「物体」がヒントであれば思ったほどの苦労はありませんが、例えばそれが「音楽」、「香り」などの抽象的なものの場合は具体的なイメージを創造するのに四苦八苦することもあり、最初のミーティングではあらゆる感覚(五感)を鋭敏にして、可能な限りささいなヒントも見逃さずに感じて収集し、ミーティングを終える事を心がけます。
その結果ことばとして表す事が難しいものが、具体的な形となってデザインされたインテリアはそのクライアントのイメージを的確に表現し、目にした人にそのイメージを伝えます。
そしてそのイメージを受け取った人はことばとして表す事の出来ない感覚をその印象として感じることになるのですからデザインはとても大事なファクターと言えます。

すべてのデザインされた「物」はそれ自体がイメージという形で目的を持ったメッセージを伝えており、それを見て感じることで長々とカタログを読む必要もなく一瞬にしてそのメッセージを理解することが可能と言えるのです。
例えば優しいシェイプ(輪郭)をもつ商品があれば人々は一般的に女性的=女性用と一瞬の内に理解することが出来たりするなど、世の中を非常に便利にしているのです。
エレガントなドレスは女性をエレガントにし、暖かいイメージは人の心を温め、そして美味しそうなイメージは人々にその「もの」をより美味しく感じさせます。

「もの」がデザインをされることでその「もの」はその機能を最大限発揮していることを考えると、デザインが世の中、我々の暮らしをとてもわかりやすく、豊かなものにしていることに気づきます。
そして我々の住む世界の重要な要素の1つである『デザイン』をもっと感じ、大切にしたいと思ってしまいます。

篠塚 憲二

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手紙をあける瞬間のワクワクした気持ち、手紙を書きながら相手のことを考え心が温かくなるような感じ、その両方に関わるペン&ペーパーナイフに私は良いイメージを持っている。
手紙を書くことや手紙を開ける行為に、学生の頃好きな人とラブレターを交わした良い思い出や、思わぬ人から送られた手紙を開ける時の嬉しさなど、経験してきたことのイメージなのかは判らないがとにかく悪いイメージは持っていない、というか、とにかく良いイメージなのである。

私は2本の気に入ったペンを持っているが、どちらも人から貰ったものであり、大切な手紙への返事やお礼状などの大切なものを書く時には必ず使う。
一本はとても大切な人から頂いたものでもう一本は母がヨーロッパのお土産として私にくれたものだ。
ペーパーナイフは折りたたみのもので、やはり母がイタリアにいった時、たくさんの土産を買って来た中から好きなものを私に選ばせてくれたもので、そのデザインが大変気に入っている。

その2本のペンは両方太めの線が描けるという点で同じで、インクの色が青と黒で違う。どちらのペンを使うかは、どの色がこれから書く手紙の内容に合っているのか?またはどの色を使いたいか?それだけである。
大切な手紙を書く時に普段使いのペンやボールペンを使わないのは「言葉を選び」、「文章を考え」そして「文字を書く」ことを普段より丁寧にしたいからで、普段使いのペンで書くとついつい普段どおりのスピードで文字を書き、文章を組み立ててしまうからだ。
普段と違う太さ、重さや感触を感じながら相手のことを想いながら手紙を書いていると、その人に関して知っていることが次々と頭をよぎり、本当に伝えたい気持ちや言葉が文章となって的確に表現され、手紙の行数も多くなっていくのだ。
静かな夜にそんな手紙を書いていると、昔の人たちがどんな想いで手紙をしたためていたのかが少し解ったような気になったりする。

現在は仕事、プライベートに関わらず、メールを利用したコミュニケーションが中心で手紙を書く機会は本当に少なくなったが、それだけ手紙を書く意味合いは増して来ているように思える。
メールと手紙、家の電話と携帯電話等々…現代のコミュニケーション手段は多種多様である。
電話もなく、あいさつですら”手紙”という手段しか持ち得なかった時代と比べて、現代のコミュニケーション手段は数えきれないほどで、そして現在も増え続けているのだ。数十年前の”テレビ電話”が「未来」であったなんて、まるで笑い話である。
そして今、それぞれの手段がそれぞれの違った意味を持つようになってきたのである。

昔の手段を切り捨てるのではなく、的確な状況において使うことで、現代の他の手段と違う意味を持たせるなど、自分が本当に表現したい気持ちを伝えることが可能となったと言えるのではないだろうか。

Kenzi Shinozuka.

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パフューム、あの人気ユニットではなくてオードトワレ、コロン、香りの強さなどによって呼び方に色々ある様ですが、この「香り」に私は敏感なようです。
一歩街に出ると沢山の人とすれ違ったり、仕事での打ち合わせで合うことで、大変多くの種類の香りがあることや、ファションと同様にこの「香り」にも流行があることを感じます。
パフュームを売っているショップには香りのサンプルを各商品と共に置いている場合が多く、私はこの”試し嗅ぎ”が好きなのです。
あれこれ”試し嗅ぎ”をしていると今年の流行の傾向や自分が好きな香りを発見出来ますし、「この香りは○○○の場合に着けたい…」や「あのジャケットに合いそう…」などと具体的な想像を巡らせることで「香り」に関する感性が広がり、より楽しめるような気がします。

人に対して持つ「印象」に「香り」も含まれるとすれば、同じジャケットやシャツを着ていても「香り」が変われば違った印象になると考えられ、ファッションのバリエーションを演出するアイテムとしてネクタイなどと同じものとしてとらえる事も出来そうです。
人の感性・感覚は個々によるもので様々ですから自分が相手に与えたい印象を「香り」で演出することはとても難しいことで不可能だと思いますが「香り」によって自分の気持ちが変わるのであれば、相手に対する印象は必然的に変わっているはずです。
つまり、自分が「楽しくなる」香りであれば「楽しそう」な印象が、「シャキっとする」香りなら「しまった」印象が伝わるはずで、私はそういった自分の気持ちを”演出”することを心がけています。

そしてスポーツの時は汗をかくので「爽やかな」印象、仕事の時には「落ち着いた」印象、遊びで出掛ける時には色々な香りを試しに着けてみたりして楽しんでいます。
時々それに気づいてくれる人が居て、「この間と違う香水ですか?」とか「香水変えましたか?」などと言われることがありますし、「これの方が好きな香りです」などと言われると嬉しくなってしまいます。
また流行の「香り」もありますから、時代遅れにならない様に気をつけなくてはなりませんが、逆に「懐かしい香り」を「昔流行ったファッション」と合わせたりすれば気の利いた演出だと気づいてくれる人が居るかもしれません。

私はその日の気分で「香り」を変える事もあり、またパフュームのボトルの色や形を目にした時にどれを着けるか決まるときもあります。
店頭で隅々まで見て見ると、そのボトル達は”可愛さ”、”高貴さ”や”奇抜さ”などを表現した個性的なシェイプをしていて、その中身の「香り」とマッチしている事が多いと感じます。

出会う人達は決して知ることのない私が着けているパフュームのその液体の色や個性的なボトルの形…。
そして「香り」という、どう相手を印象づけるのか判らないものがもしかしたら私をちょっと素敵に見せる…
なんて考えるとパフューム売り場がますます楽しくなってしまいそうです。

Kenzi Shinozuka.

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我が家では焼き魚を夕食のおかずとして食べることが多いのだが”焼きサンマ”をたべる時にはその細長い
魚体により大皿で食卓に並んでいた。
というのも我が家のほとんどの皿が丸い形であったからで、四角い形の皿もあるのだがサンマとなると
その長い体長が収まらない。
結局その長さが収まるサイズの丸皿、つまり丸い大皿となっていたのである。
大皿にサンマがのっていると使っていない部分が多く見えて無駄な感じがするし、大皿がテーブル上に
あることでとにかく邪魔だった。
そして「焼きサンマ用の皿」探しが始まったのだ。

実際に探して見るとどこの食器売り場に行っても、いかにも焼きサンマ用の細長い皿が数種類あるではないか。
おそらく我々と同じ様に丸い皿サンマを乗せることがとても無駄に感じる人がたくさんいて焼きサンマ用の皿がこの世の中に必要なのだろう。
角のあたりにちょっとした出っ張りにより囲われた小さな”窪み”みたいなものが形成されており
そこに大根おろしを入れてくれと言う感じで焼きサンマ皿を確信させてくれるものなど、色々あったが
実際には尻尾がはみ出てしまいそうな長さであったり、その和風調の柄が我が家にはそぐわない感じの
ものが多かったのだ。
”焼きサンマ”がのった皿を想像してみて欲しい。
ほとんどの人が日本の「○○焼」や「××焼」もしくは「△△焼」といった素焼き風や和風柄の長四角の
ものを想像したかも知れない。
まさにそんな感じの皿が今ひとつで、しばらく購入に踏み切れずにいて2年ほど経ってしまった。

ある日、毎日通うスーパーの食器売り場を期待もせずにチェックすると、かなり細長い楕円形の白い皿が
目に入った。
しかもセール品として割引価格で割と安い値段で売られていた。
とりあえずサイズなど確認して見ると、サンマの頭から尻尾まできちんと収まる様な長さがあり、取り除
いた背骨と頭などを除けておくのに丁度いい幅の皿だったのだ。

早速試しに2枚購入し、早速”焼きサンマ”をのせて見るとピッタリ、そのプレーンな白さから「○○焼」
のような純和風なイメージは無い。
また洋風なイメージが過ぎると”焼きサンマ”では変に見えてしまうかもしれないが洋風な柄がある訳では
ないのでそんな違和感も無い。
まさに私が望んでいた「焼きサンマ用の皿」であり、これに巡り会えた喜びに浸りながらの夕食を終えた
後、その食器を洗っている時にふと裏をみるとそこには見た事のあるロゴがあった…そしてそれは”ジノリ”、
あの”リチャード・ジノリ”だったのだ。
”ジノリ”と言えばデミタスカップ1脚が¥20,000-するものがあるなど、高級ブランドとして代表的なイタリアのメーカーである。
しかしその有名ブランドの皿が焼きサンマ用にピッタリとは考えもしなかったし、そんなに高価ではなかったのだ。
だからその皿が”ジノリ”とは想像するはずも無かったのだった。
実際サンマを食するか私は知らないが、イタリア人も魚をよく食べるようだからサンマのような魚料理を乗せるのに都合が良い皿があっても不思議ではないし、サンマにピッタリのそのサイズはむしろ当然と言えるのかもしれない。

その後、我が家で「焼きサンマ」が乗っている”ジノリ”を見るたびに、日本とイタリアは自分が思っているほど離れていないと感じるようになった。

いつかイタリアに行くことがあったら、イタリア人にその話をして「イタリアと日本が近くなった気がしないか?」と聞いてみたい。

Kenzi Shinozuka.

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