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巨人、CSファイナル広島に先勝(10/16)

コラム&エッセイ「もっこす雑感」

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【福島原発事故に思う】

 東日本地震とその津波が引き起こした福島原発事故の余震は今後予断を許さないもの
がある。産学官による原発の安全神話が「ずっとウソだった」ことを証明し、その後遺症
は計り知れない。
 佐賀県の玄海原発をはじめとして、今、原発の議論が姦しい。その議論は大きく二つに
分けられる。「原発反対」「原発止めろ」に対して「電気がなかったら生きていけない」
「原発がなくなったら今のような生活が維持できない」
 驚くのは被災者の中にも意見は両者に分かれるのだ。原発に生活を依存している人々も
多いのが実情なのだ。
 少なくともこれまでの安全神話を信じるものが少数になったとしても、直接被害に遭わ
なかった国民のなかでは原発支持、反対の比率は支持者のほうがかなりの多数になると容
易に想像できる。
 人間というのは勝手なものである。科学技術の恩恵に与りながら「今の生活」を維持せ
んがために、恐怖を味わい、水や空気が汚染され、放射能の恐怖に慄き、大量の原発難民
を生み出すというのが実態だが、それでも原発が必要だと叫ぶのは本末転倒でなくてなん
だろうと思う。
 原発と共存するということはそんな恐怖を未来永劫に持ち続けることにほかならない。
 今回の事故は、直接災害に遭わなかったわたしにとっては第三者的出来事に過ぎないが、
こういう原発にビクビクしながら暮らすくらいなら多少の不便には目をつぶった方がまし
だとしみじみ思う。自分の生活のあり方を少し変えればすむはずなのだから。
 我々は目の前に絶対安全神話だけを聞かされ、安易に国のエネルギー政策を信頼し、依
存し、便利な、快適な生活に依存しすぎてきたそのツケを支払わされているのであって、
東京都知事の発言は決して間違ってはいないのだと確信する。

 あるコラムを読んでいたら、「今回の原発事故は、原発という存在が必ず犠牲になる地
域、特定の誰かを必要としていることを白日のもとにさらした。」とあった。まさに同感
である。

 話は全く別だが、このコラムの記事を読みながら、一昨年来ニュースの中心にあった沖
縄の米軍基地問題も全くその構図は同じものだと考える。
 誰か、どこかを犠牲にして我々は自己の安全・安心を考えているのだということに誰が
反論できるだろうか。




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【加齢との戦い】

【加齢との戦い】

 人生の残りが少なくなるに従い、一日一日が貴重に思われてくる。人間として誰もが
共通する思いなのだろう。
 一日を無事に過ごし、浴槽で「ああ、良かった」と一日を振り返るのが幸せに思える。
 私にとってはどう生きるかは永遠の課題だが、少なくとも家族を含めて、ひと様に迷
惑をかけず、健康であることが最善であるとの思いがあるが・・・。

 体調が悪く家に籠もりがちの日が多くなる。外出が億劫になる。濡れ落ち葉状態が情
けない。たまにその気になって、ラフな服装で外出しようとすると「そんなみっともな
い格好で・・」。家の中で羽を伸ばしすぎると「男といえども、小奇麗なおじいさんに
ならなくちゃー」と厳しい一言が飛んでくる。
 「そんなことどうでも良いではない?」と言いかえしたくもなるが、「嫌なことを言
えるのは私だけでしょ!」と反論の余地もない。

 時間の過ぎるのが速い。早過ぎるくらいだ。
 何か実りのある一日にしたいと思う気はあるが、ボヤボヤして、無為に一日を消化し
てしまう日々もだんだん多くなる。
 しかし、一日の暮らしの中で、心を正し、人に迷惑をかけず、人に優しく、思いやり
と感謝の心を忘れず生きることができればそれで十分だと言い聞かせる。加えて今を悔
いなく精一杯生きなくちゃ・・。欲だけが深くなる。

 加齢に伴う年相応のハンデキャップを日増しに実感させられる毎日のなかで、「美し
く老いるということは、単に容姿ではなく、心の内面が美しいということだ」というわ
たしにとっては非常に非現実的な言葉をかみしめる。

 年を取るということは、一面で、美しく優しい心で、少しでも誰かの役に立つための
人生の戦いなのかもしれない。しかし、この戦いは実に「言うは易く行うは難し」であ
る。

 戦い半ばにして一巻の終りになるのだろう。




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【インターネットカンニング】

 ひと昔では考えもしなかった事件が発生する。
 ひと言でいうと大学不正入試ということになるが、ネット時代ならでは・・の犯罪とい
える。
 ネット社会、携帯電話全盛の社会ならではの事件だが、こういう不正を働く知恵があ
れば、その知恵をもっと有効に働かせろよと言いたいのがやまやまだが・・。
 仙台の予備校生が逮捕されたが、こういう事件を予見し、未然に防止できなかったの
が悔やまれる。

 この事件でも首をかしげたくなる点がある。
 一つは試験監督責任が殆んど取り上げられないことだ。試験官たちの監視は充分だっ
たのだろうか。私にはどうしても理解できない。
 その昔、学生時代にアルバイトで模擬試験の試験官を経験したことがある。かなり大き
な試験場で数人の友人たちと試験の「監視」に当たった時、教室に受験者が何人いたか確
かな数はもう覚えていないが、恐らく100名近くの受験生がいた。シーンと静まった教
室の受験生の一挙手一投足が手に取るように見えたのには驚かされた。不自然な動きは丸
見えでこれではカンニングなどできっこないというのを今でも覚えている。監視が充分で
あれば、こういうカンニングは防げた筈だと確信している。
 今回の事件では犯人探しは相も変わらず賑やかだったが、それ以前の事件の本質につい
て議論は殆んど聴かれない。
 今朝の新聞を見ていると、二つ目に不思議に思うのは再発防止への取り組みに関して当
事者の意見が及び腰にしか映らないことだ。今回の不正の元になった携帯電話の試験場持
込について「手口が分からないと対策の立てようがない」「保護者との連絡などもあり、
もってくるなというわけにはいかない」「全面禁止は難しい」などと大学当事者の意見に
は笑ってしまう。
 不正が起きないように早急に対策を立てようという姿勢が全く見られない。携帯のない
時代に受験を経験したものにとっては笑止千万な話である。受験者を確保したい私学なら
ともかく公立大学までもが何で携帯電話の厳格に持ち込み禁止を謳えないのか。こういう
ことだから受験生の都合だけを考えすぎた挙句にいい加減な教育で碌でもない大学生を乱
造している・・と言いたくなる。受験生を甘やかす大学側の姿勢にも疑問を感じる

 それはともかく、大多数のまじめな受験生を守るためにも大学当局は毅然として不正が
起きないような受験環境を整備すべきだと思うがどうだろう。





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【ハゲの言い分】

【ハゲの言い分】

 世の中には「ハゲ」というと眉をひそめる傾向がある。特に若い女性に強い。そうい
う意味で余り公言したくないが、わたし自身もその部類に属する。

 ハゲには前方後退型と後方後退型があるのは周知の事実。わたしの場合は後者である。
簡単にいうと往年の喜劇王・大宮でんすけ状態。でんすけを知らない人には頭頂部に毛
髪が少なくなり下部にぐるりと毛髪が残っている状態と言えば理解してもらえるだろう。

 散髪屋の主に聞いた話だが、この型は女性ホルモン不足なのだそうである。毛髪が少
ない分整髪料を割引してもらいたいが、そうもいかない。いずれにせよ、女性ホルモン
云々は分かったようで分からない話だが、医学的にはそういうことになるらしい。六十
路のロートルにとってそういうことはどうでもいいことだが、女性にハゲが少ないのも
頷けるし、どうせ年を取ればハゲになるか白髪になるかのどちらかだし、白髪の人間が
ハゲを見下しても人格云々に影響することでもない。
 しかしながら、何故かハゲは世の中で肩身の狭さを強制されているような気がしてな
らない。あの男性用カツラなるのがもてはやされるのがいささか不愉快。何故そんなに
までしてハゲを隠そうとするのか。
 ハゲはデブとは違う。
 ハゲはデブと違って自己管理を怠った結果では決してない。むしろ、ハゲは人類の歴
史から言えばむしろ進化した部類なのではないか。自己管理を怠ったデブはダイエット
を心がければ容易にスマートになれるが、ハゲは日々苦労・精進の結果の所産であるゆ
え、今更強い意思をもってどうにかしようとしても永久にハゲなのである。
 今盛んに喧伝する毛生えクスリなんて効果はないのだ。

 それにしても、いまどきの若い女性が、白髪の初老の男性を必要以上に美化し、ハゲ
が醜いものだと決め付けるのは一種の偏見に他ならない。その理由は明白。自分の恋人
にハゲはいないのだ。数からいえば、若ハゲなんて取るに足りない。自分の周囲にいる
若者にはハゲがいないのだ。ハゲは年寄りだけのもの。
 しかし、彼女たちが“今は”髪の毛ふさふさの恋人がいずれはハゲるのだということ
に気付いていない、想像できない、ただそれだけのこと。彼女たちは愚かなのだ・・・。

 新年早々だが、やり場のない憤りと肩身の狭い思いをしている一部のハゲ族の声なき
声を代弁させてもらった。(11.01.13)




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【遊びと仕事】

 【遊びと仕事】

 三連休が終わった。
 テレビニュースは、相変わらず人出で混雑する行楽地、高速道の様子を報じていた。
 「世のお父さんお母さんも大変だなあ!」
と思う。
 せっかくの休日なのに仕事で、育児で疲れた体を癒したいだろうに、寒いにもかか
わらず休みも子どもの遊びにお付き合い。本来は楽しく過ごす筈の休日も疲れて、明
日から仕事が待っている。「遊びと仕事を両立させている今どきの若いお父さん、お
母さんは偉い」と思ったりもする。
 子どもを育てたころが懐かしい半面で、「遊びとは何ぞや」、「仕事は何ぞや」と
考える。

 ひと昔前、日本人は働きすぎだといわれ、”時短のすすめ“なるキャンペーンに違
和感を覚えた記憶もある。かのチャップリンはロボットにたとえて流れ作業の中で酷
使される労働者の姿を戯画化したが、世界は、遊びを知らない日本人を「働きすぎだ」
と批判し、遊びを勧めた。確かに、遊びは人間にとって欠かせないもの。しかし、一
方で仕事すること、働くことも生きるために必要なこと。言い換えれば、車の両輪。
どっちも大事なのだが・・・。稼ぐために苦痛を感じながら働かざるを得ないと考え
る人間がいる一方で、仕事の中に楽しみを見出す人間もいる。人間が仕事を苦痛と感
じるのは,企業が働くことを強制するだけで楽しむゆとりを与えない社会構造の仕組
みにあるともいえる。だが、人が好きな仕事と思う限り、時間を忘れ、寝食も忘れて
没頭することもできる。それが人間だ。
 労働は一般的には好きでもないことを無理にやらされるという意味合いが強い。
 人は遊び、戯れ、のん気に生きているように見えても、人間も含めて生き物は働き
ながら生きている。遊んでいるように見えても実は働いている。「生存ということが
既に激しい戦いであり労働なのだ」という人もいる。働くにも遊ぶにも疲れるのが現
実だ。
 いずれにせよ、仕事の中に楽しみを見出すことができれば辛いと思う仕事も少しは
楽になる。苦の中に楽を見出した方が得だ。そういう知恵を持ちたいものだ。

 若い頃、「稼ぐために働くのだ。家族を養うために働くのだ」としみじみ考えたこ
ともあった。その頃はただ考えるだけで精一杯でそこから先に進むことはなかった。
仕方ないから働かねばならないというのが結論だった。

 しかし、年金生活者になった今、働く意味を少しだけ深く考えられるようになった
気もする。

 

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