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小さな彼

 いつもと同じ金曜日だと、Мは思った。
 何の前触れも感じられなかった。
 ネズミが天井を走らない。カラスが集団でどこかに飛びさる。ナマズが生け簀で騒ぐ。
 昔はそういう事を言ったものである。
 
 午後十一時半に昼食を済ませた。
 妻と二人でU市に出かけた。
 インテリアショップは、若い家族連れでにぎわっている。
 二階は家具類がうまく陳列されている。歩きやすい。
 照明が明るい。
 若い人の好みをよく研究しているなと、Мは感心している。
 
 従来の家具屋さんとはどこが違うのか。どうして人気があるのか。
 妻の意見を聞いてみる。
 「そうねえ。今の若い人に尋ねてみないと、分からないけど。値段が手ごろだということが一つの理由ね。それと機能性重視かな。持ち運びが簡単ね。軽いわ。折りたたみが出来る。それから色に気を配っている。今までの家具調度品のイメージに対する挑戦って感があるわね。重かったり色が地味だったりしたわ。きっと若者にアンケートをとったりしているのよ。売り出しに苦心しているに違いないわ」
 妻はさすがである。
 会社では、はりきっている亭主だが、こんな立派な意見は述べられない。
 「いや参りました。大したもんです。一家言お持ちですね」
 Мは、ぺこりと頭をさげた。
 
 台所用のテーブルと椅子がほしかった。
 妻が店員さんを呼び止めた。
 適当なテーブルが見つかったらしく熱心に彼の説明を聞いている。
 Мはショウルームへは入らずにいた。
 通路で腕を組んで立っている。
 
 ふいにズボンの裾が誰かに引っ張られた。
 そっとつままれたという感触だった。
 下を見る。
 二、三歳の男の子である。
 今度は、より強く引っ張った。
 Мを見てはいない。
 通路の奥を指差している。
 うん。うん。うん。
 お父さんと間違っているのだろうと、Мは思った。
 
 カタカタとわきの食器棚が軽く揺れている。
 しだいに強くなる。
 いつものことだ。すぐに収まる。Мはそう思った。
 「あなた、地震よ。どうしたらいい」
 「テーブルの下に」
 ガツンと何かが肩にぶつかった。
 とっさに子供を抱いた。転がるようにテーブルの下に入った。
 子供に蔽いかぶさった。
 泣きじゃくっている。
 
 数分間がとても長く感じられた。
 三度大きく揺さぶられた。
 秩序が一瞬で混とんに陥った。その表現がぴったりだ。
 整然と並んでいた家具が散乱している。
 女の人が叫んでいる。子供が泣いている。
 ケガをしている人がいる。
 子供を背負った。障害物の間をようやく抜け出した。
 外に出た。
 
 背中の子は無傷だった。
 何よりだ。さて、この子の親を探さないといけないぞ。
 辺りを見回す。
 妻と三人で駐車場付近を歩きまわる。
 恐怖のためかしゃがんでいる人が多い。
 顔が見えない。
 ひとりの五歳くらいの女の子が、駆け寄ってきた。
 背中の子に呼びかけている。
 Sちゃあん。Sちゃあん。
 男の子が足をばたばたしている。
 下におろした。
 
 ふたりは抱き合っている。頬ずりをしている。
 「仲の良いきょうだいね」
 妻が言った。
 若い夫婦がかけつけた。ふたりで丁寧にお礼を言ってくださった。
 「じゃあぼく、さよなら。元気でね。また会おう」
 姉としっかり手をつないで、車に乗り込んだ。
 
 「あたしたち、つき合っている時分、あんなだったかしら。お互いを必要とするって、ああいうことね。今の姉弟の絆が、うらやましいわ」
 「おれが君のことを、あの子が姉を慕うのと同じくらいに、大切に思っていたかなと考えさせられたよ」
 Мが妻の肩をそっと抱いた。
 「怖かったろう」
 「ええ、とっても」
 「まだ俺たちに出来ることがあるぞ」
 「そうね」
 もう一度店内に入った。
 

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