「企画」参加作品

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闇鏡

 右手で手鏡を持って、Т子は自分の顔をのぞいた。
 眼差しが輝いている。
 今までは、心の憂いが表情に現れているかもしれない、と怖がっていた。
 今回は、危ういところで、大切な人を失くすところだった。
 自分の意識がとどかない心の闇は、つくづく恐ろしいものだと思った。
 考えすぎる自分の欠点を、М子の応援や祖母の言葉でクリアできた。
 
 Т子は、Sをずっと愛していた。
 Sも同じように、自分のことを想っていてくれるものと信じていた。
 五月の最初の日曜日だった。
 曇り空である。
 私鉄のL駅の上りホームに立っていた。
 D町のあるデパートで、衣料品のバーゲンセールを開催する。
 その初日であった。
 開店と同時に入りたかった。
 初夏向きのТシャツが、ほしかったのである。
 
 電車がホームに入ってきた。
 鎌倉方面に向かう客で混雑していた。
 昇降口の近くに立つことにした。
 次の駅で降りるからである。
 吊革につかまり、何気なく外を見た。
 向かいのホームにいる男が気になった。
 Sだった。
 そう思った。
 女と連れだっている。
 手をつないで歩いている。
 微笑みあっていた。 
 寄り添って、キスをかわした。 
 やっぱりそうなんだ。あたしの胸の内がざわつくと、いつも何かが起こる、とТ子は思った。
 心の中で、何かがバチンとはじけた。
 電車が動きだした。
 彼らの姿が視界から消えるまで、Т子はずっと見つめていた。
 
 翌週の月曜日。
 Т子は、お茶当番だった。
 早めに出社した。
 「おはよう、Т子。調子はどう」
 同期のМ子が気遣ってくれた。
 「おはよう」
 М子は営業部に所属している。
 Т子は総務部だった。
 М子は、いつも微笑んでいる。
 明るい性格のおかげで、得意先の受けが良かった。
 「どうしたのよ。さえない顔してるわ」
 「そおう」
 「そうよ。もうじき結婚するって人が、そんなんじゃね」
 「ううん」
 「彼とケンカでもしたの」
 やはり顔に出るんだ、とТ子は思った。
 「目は心の窓だよ。気をつけなさい」
 去年亡くなった祖母が言い残した。
 
 「ううん。別に」
 Т子が、間をおいて答えた。
 「煮え切らないのね。良かったら何でも言ってね。あたしは今まで、随分あなたに力を貸してもらったんだから。恩返しをしなきゃと思っているんだ」
 М子が励ます。
 「ありがとう。そう言ってくれるだけで嬉しいわ。でも、今回は自分で解決したいの」
 「それなら仕方ないけど。がんばってね」 
 Sは、М子と同じ部署であった。
 М子の上司である。
 「おはようございます、係長」
 「おはよう」
 「Т子にあいましたわ」
 「そう」
 「それだけですか」
 Sは、怪訝な表情を浮かべた。
 「それだけって、どういうこと」
 「Т子、元気なかったですよ。六月には、花嫁になるっていうのに」
 「どうしたんだろうね。あとで尋ねてみるよ」
 「それはそうと、今日の仕事の段取りはついたの」
 「はい。午前十時にA社のBさんとお会いすることになっています。午後は二時にC社に出向いて、新発売の事務用品の売り込みをする予定です」
 「がんばってくれたまえ」
 「はい」
 
 お昼休み。
 Т子とSは、屋上にいる。
 手すりによりかかって、海の方を眺めている。
 ふたり並んでいる。
 「元気ないんだって。М子が心配していたよ」
 「気になる。あたしのこと」
 「気になるさ。当たり前だろ」
 「そうかしら」
 「あなた、あたしのこと、本当に愛してくれているの」
 「俺が信じられないんだ」
 Т子は遠くを見た。
 「あたし、見ちゃったのよ。あなたを。L駅のホームで、女と仲良くしているところを」
 「ええ、そんな」
 「日曜の朝よ」
 「誰かと見間違えたんじゃないか。ずっと友だちのBとテニスをしていたんだから」
 「そうなんだ。テニスをね」
 人違いをするわけがない。
 彼の体の隅々まで知っているんだから、あたし。愛するって、そういうことだもの。
 Bに聞いても、ムダなことである。口裏を合わせているかもしれない。
 そう思った。
 
 Т子は、ひとりで海岸にいる。
 断崖に立っている。
 波が岩にくだけている。
 夕陽をじっと見つめている。
 風が出てきた。
 長い髪がなびいている。
 涙が頬をつたう。
 小指のエンゲージリングをぬきとった。
 
 左手に持っていたバッグの中で何かが、キラッと光った。
 愛用の手鏡だった。
 
 夕陽が当たった訳でもないし、何かのお告げかしら、と思った。
 ひょっとしたら、彼の事。あたしが見間違ったのかも知れない。
 あたしって、独りよがりなところが昔からある。
 結婚を控えて、ちょっとのことでも、とても感情的になっていた。
 「妄想するなかれって、お釈迦様がおっしゃっているよ」
 「何だって人を疑うからには、とことん納得するまで調べてからにしなさい」
 祖母は、色んなことを教えてくれた。
 「あたしが、幸せになれるかどうかの瀬戸際よ」
 そう声に出した。
 手鏡が、リングを投げるのを思いとどまらせてくれたんだ。
 バッグから取り出した。
 顔の前にかざす。
 あたしの顔が明るく見えた。
 「明るいのよ、あたしの前途は」
 「闇の向こうには、光の世界が広がっているんだ」 
 「あたしは幸せになるんだ」
 海に向かって、大声で叫んだ。
 鏡面が夕陽をあびて、キラキラ輝いていた。
  
 
 
 
 

閉じる コメント(5)

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そうですね。
いい男性を見つけてください。
正直な人がいいですよ。
少々粗削りでもね。

2011/5/3(火) 午後 10:10 [ けっさん ]

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企画参加心より感謝です>_</

今回の作品も綺麗な流れで、
何よりも言葉が素敵だと思いました。

しかし私の方が若く刺激的な文章に慣れすぎているからか、
最後まで読んで若干の物足りなさを感じました。
最初の電車の中から男を見つけた場面で、
爆発でもおこる超能力(?)的な話かと思い。
会社での場面で、
文章としてのトリックを使い、
実は同僚目線だったとかってオチに導かれるのかと、
何かしらの捻りを期待しました。

そういう意味では少しだけ残念でしたが、
昨夜一読して、今また再読させて頂くと、
やはり綺麗な文章故1編の物語として優秀だと感じました。

何気ない、世間に溢れる1場面の切り取り、
写真の様な30分ぐらいの映像ドラマを見させて頂いた思いです。

素敵な作品を有難う御座います。

2011/5/4(水) 午後 0:21 [ azazel ]

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こんにちは。
拙作で恐縮です。
ご丁寧に批評してくださり、まことにありがとうございます。
父けっさん

2011/5/5(木) 午後 4:39 [ けっさん ]

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情景がとても綺麗に映し出され、どのような風景の
中で人間が動いているのかがわかり易くて好きでした。

ただラストがT子1人が抱え込むというラスト。
綺麗だとは思いますが、腑に落ちないというか…
人間らしい後味がもうちょっとあってもいいかな
と思いました。

偉そうにすいませんでした。

2011/5/6(金) 午後 1:47 [ 竜次 ]

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こんにちは。わかりました。
ちょっと考えて、直してみます。
ご批評ありがとうございます。

2011/5/6(金) 午後 2:36 [ けっさん ]


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