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シャワーを浴びてきたものの、汗の匂いが胸元から立ちのぼってくるのを感じた。
作業着が汚れていた。
哲夫は、占い師に気をつかった。
「すみません。仕事帰りに立ち寄ったもので」
彼女は無言で、じっと水晶玉を見つめている。
お香が焚かれているんだから、気づかいは無用だったか、と思った。
哲夫の緊張度が増した。
手に汗をかいている。
しょうがないなあ、俺は女の人の前では、いつもこうだ。
気楽にいられないんだからと、しきりに反省している。
「気を鎮めなさい。水晶玉を見つめなさい」
占い師がおごそかに言った。
蝋燭の炎だけが、水晶玉の中で揺らめいている。
女と男の顔がゆがんで見えた。
女は、目を細めたり丸くしたりしている。
時折呪文をとなえている。
両手を摺り合わせている。
哲夫の気持ちが落ち着いて来た。
心の「池の水面」がないできた。
鏡面のような状態になった。
興奮がおさまった。
「いよいよです。これから、真理子さんに憑依している霊が現れます」
「その霊に、あなたの思いのたけをぶつけてください」
「はい」
「私はあなたを助けることは出来ません。祈ることが出来るだけです」
「わかりました」
「尋常な相手ではありません。覚悟して闘いにのぞんでください」
「あなたの想いが天に届くことを願っています」
哲夫は胸の鼓動が高まって来た。
恐れよりも勇気が上回っている。
妻をいつくしむ気持ちが強いからであった。
呪文が大きくなってくる。
水晶玉の中の風景が、嵐に巻き込まれているようだ。
走馬灯のように回りだしている。
混沌としている。
哲夫は、心地よい香りに浸っている。
自分の意識が、すうっと水晶の中に入って行くように思えた。
「生きすだま」が体から抜け出していった。
混沌のなかへ入って行く。
哲夫の体だけが、空しく、椅子に腰かけている。
占い師と受付の女性が、そばにあったベッドに彼の体を横たえた。
いつか哲夫の脳裏に浮かんだ黒雲が目の前にあった。
彼の生きすだまは、光を放っている。
真理子に対する想いが、強ければ強いほど輝くのだ。
それが哲夫の唯一の武器であった。
積乱雲に近づいて行く。
黒雲が光を受けて、ちぎれ飛ぶ。
強い風が突然、哲夫に向かって吹いた。
夜叉が吹きかけている。
哲夫はそう感じた。
雲の奥から、遂に姿をあらわした。
十二単衣を羽織った姫様であった。
「おまえは、わたしの邪魔をしようというのかえ」
哲夫は言った。
「あなたですか。私の妻にとりついているのは。お願いです。どうか、出ていってください」
光にはばまれて、夜叉は、哲夫にそれ以上近づくことができないでいる。
長い黒髪を振りみだしはじめた。
重ね着をした衣が風にあおられている。
顔が、鬼面に変わっている。
「だめじゃ。六十年、待ったんだ。わしはこの世にいるときに愛しい方がおってのう。添い遂げることが出来なかかったんじゃ。その想いが強すぎたせいで、こうして千年たっても成仏できずにおる。苦しくてたまらん。男と交われば、一時でも心が安らぐのじゃ」
「真理子は嫁にきたばかりでございます。どうぞ許してやってくださいませ」
「ええい。ならぬものはならん。ようやく乗り移れる魂を見つけたのじゃ」
夜叉は、懐刀を右手で取りだした。
鞘をはらう。
キラリと光った。
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