花シリーズ

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桜子 その25

 奥の席で様子を見ていたKが、突然立ち
あがった。
 にこにこ笑いながら、歩いて行く。
 カウンターで息巻いている男に近づいた。
 男は、まるでザリガニが大きな前足を大き
く広げたようだった。
 放った言葉を、戻すに戻せない。
 こわばった顔つきのままで、桜子の反応を
うかがっていた。
 どうせすぐに弱腰になるだろう。
 あとひと押しだ。
 「どうなんだい」
 口をへの字に曲げた。
 「よお、たっちゃん」
 と、道で知りあいを見かけたように、Kは、気
安く男に声をかけた。
 誰だ、俺の名前を気安く呼びやがって。
 男は、ぎろっと、Kをにらんだ。
 うん、あれは、確か。
 この間の料亭で、親分と酒を酌み交わしてい
た人だ。
 Kさんって、親分が呼んでいたな。
 これは、まずいことになった。
 ある人に嫌がらせを頼まれてやって来たが、
これ以上は無理だ。
 男は、Kの顔を見るなり、態度をあらためた。
 「なんで、Kさんじゃありませんか。この店と
お知り合いなんで」
 「ああ、ここのママとは、古くからのつき合い
なんだ」
 「そりゃ、まったく失礼いたしました」
 「今日は、めでたい席なんだ。気に入らない
こともあるだろうが、ぼくに免じてかんべんして
もらえないだろうか」
 「そりゃもう。作家先生は、うちの親分の
お気に入りなんですもの」
 たっちゃんは、両手をこすり合わせている。
 「そうしてくれますか。ありがたい。どうです。
向こうで、ぼくといっぱいやりませんか」
 「折角ですから、それじゃ一杯だけ」
 サングラスの男は、身なりを整えると、Kに
従った。
 「あなたもどうぞ」
 Kは、若い衆も招いた。
 「いや、あいつは、よろしいですので」
 辰は、遠慮した。
 「かずさん、何か好きな物をうかがってく
ださい」 
 「はい」
 「すみやせん」
 若者は、恐縮して、頭をさげた。
 差し向かいで、Kと辰はすわった。
 桜子が、おしぼりをひとつ持って、テーブ
ルに行った。
 「何がよろしいんで」
 Kに、たずねた。
 「たっちゃん、何飲む」
 「じゃあ、水割を一杯」
 「わかりました」
 辰は、ひたいに汗をかいている。
 おしぼりを広げて、ふいた。
 「どうです。商売の方は」
 「これからは、秋祭りがあちこちであるん
で、結構いそがしくなります」
 「それは、それは。結構な実入りになりますね」
 「まあ。ぼちぼちですがね」
 「よかったら、連絡ください。私もご一緒します」
 「先生が、何の用事なんでしょうね」
 「今僕はね、各地の神社の祭りを調べているん
ですよ」
 「お仕事と関係があるんで」
 「もちろんそうです」
 「わかりました。連絡いたしやす」
 「じゃあ、ここへお願いします」
 Kは、ペンで数字をすらすらと書くと、手帳を
引きちぎった。
 たっちゃんは、それを受け取ると、
 「先生、ちょっと用事がありますんで。今日の
所は、この辺で失礼します」
 「そうですか。それは、残念ですね」
 Kは、上着の内ポケットから札入れを取り
だした。
 一万円札を二枚つまむと、たっちゃんの手に
握らせた。
 「あっ、先生。こんなこと、いいんですよ。親分に
叱られますから」
 「黙っていれば、分からないですよ。何かうまい
ものでも食べて帰ってください」
 たっちゃんは、手下に、
 「おいっ」
 と、呼びかけた。
 桜子の方に向きなおると、
 「どうもすみませんでした」
 と、消え入りそうな声で言った。

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