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母は、門口を出て、道に立っていた。
顔色が良くない。
何事かあったに違いない。
「遅かったじゃないの」
低い声でつぶやいた。
「ごめん。タロウが」
「タロウが、どうしたの」
声をあらげた。
「つまずいて、ころんだとたんに、鎖が手から離れてしまったんだ」
少年は、うそをついた。
初めての嘘だった。
嘘をつくな、と幼いころから言われ続け、
正直がほとんどに身についていた。
心臓の鼓動が聞こえた。
どくんどくんと、打った。
どうかなってしまうんじゃないかと思った。
嘘をつくな、と身体が訴えていた。
「探していたんだ。今まで。大変だったね。それならいいよ」
母は、おだやかな表情になった。
「何かあったの」
「さっき、おまわりさんが来てね。事件があったんだって」
「へえ、どんな」
「女の人が抱きつかれたんだって。犯人は、犬を連れた男の子だって言うんだよ」
ちくりと針で刺されたような痛みを胸に感じた。
さっと、顔から血の気が引くのがわかった。
母に悟られまいとして、うつむいた。
「お前もタロウを連れて行っただろ。ほんと心配したよ。おまわりさんには、
お前のことは何も言わなかったけどね」
「そうなんだ。ああ、お腹すいた」
少年は、話題を変えた。
わざと明るい表情で言った。
「早く手を洗って。仕度ができてるからね」
玄関は南側にある。
家の角を曲がり、チェーンを杭につないだ。
「やれやれ、やっと着いた。きょうのことは内緒だぞ、タロウ。絶対にな」
言葉を解さない犬に、少年は話しかける。
そうやって、自分自身を納得させた。
数週間、少年はびくびくしながら過ごした。
女は被害届を取り下げたらしい。
二度と、警官が訪れることはなかった。
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逃げるシリーズ
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