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見える。 その9 

 一週間たつが、早苗からは何の連絡もない。
 早苗が出て行った日。
 すぐに携帯電話にコールしてみたが、つながらなかった。
 それは当り前のことだと判るのに、一夫は時間がかかった。
 こうなりゃ、早苗が頭を冷やすのを待つしかない、と覚悟を決めた。
 今さら、ああだのこうだのいっても、言いわけにしか聞こえまいと思う。
 実家にでも帰っているのだろう。
 七十歳になる母親が、S市の田舎でひとり暮らしをしていた。
 早苗がいなくなったのはチャンスとばかりに、
女はかいがいしく一夫の身のまわりの世話をはじめた。
 すっかり、体調が回復しているようで、血色がいい。
 ある日の夕刻。
 テーブルを真ん中にして、ふたりが台所にいる。
 「ねえ」
 「なんだい、女店員さん」
 「何なの、その言いかた」
 ぷんと怒った表情をして、首を横にふった。
 「だって、きみは、その・・・・・・」
 一夫はしどろもどろになった。
 「きちんと名前を呼んでほしいわ」
 「名前って。持ってるのか」
 一夫の声が大きくなった。
 「そりゃあ、あるわよ。今まで遠慮して教えなかっただけよ」
 一夫は、自分の頭をポンとはたいて、
 「それは失礼しました」と答えた。
 女は嬉しそうに、
 「セラヴィっていうのよ」と胸を張った。
 「セラヴィか。変な名だな」
 「まあ、失礼ね」
 「ごめん、ごめん。へええ、セラヴィか。フランス人みたいだね」
 セラヴィはくくっと笑った。
 「どうしたの。何かおかしいのかい」
 「う、うん。思いだし笑いだから気にしないで。でも、かずお。よく知ってるのね」
 セラヴィはふいに細い腕を組んで、天井を見あげた。
 両眼を閉じる。
 そういえば、横顔が外人っぽい。
 「あのさあ、どんなこと思いだしてるのか、興味があるなあ」
 強い視線を感じたのか、セラヴィは目を開けて、
 「聞きたいですか」と、一夫に顔を向けた。
 一夫は、こくりとうなずいた。
 「セラヴィってね。フランス人はしょっちゅう口にする言葉なの」
 「ふううん」
 「いいことでも、わるいことでもセラヴィ、セラヴィってね」
 「どういう意味なんだろ」
 「これがあたしの人生さ、ってこと」
 「自分の身に起きることをすべて受け入れるってことだ」
 「そう、あたしだって。生前は・・・・・・」
 「なに、生前がどうしたって」
 やかんの口から湯気が出はじめ、すぐにピーピー鳴りはじめた。
 セラヴィは立ち上がって、ガスの火を止めた。
 ポットにお湯を注ぐ。
 インスタントコーヒーを入れ、カップを一夫の前においた。
 手が痛むのか蛇口をひねり、水で冷やしている。
 なかなか人様と同様と言う訳にはいかない。
 やけどをしやすいのだろう、と一夫は思った。
 「熱いから、気をつけてね」
 「やさしいんだね」
 「そうでもないわ。あたしね、実は、生きてる時はフランスにいたのよ」
 突飛なことを言いだしたので、一夫は目を丸くした。
 「前世はフランス人だってことかい」
 「まあ、そうなるわね」
 「だったら、どうして眼鏡屋さんなんかに」
 「向こうの勤め口がそうだったからかな。でもよくわかんない」
 「飛行機で半日以上かかる日本まで、よくおいでだね」
 「それも判らないわ。すべて神様の思し召しだから」
 セラヴィは胸の前で十字を切った。
 頭上がパアッと明るくなり、光の輪ができた。
 一夫は見間違いではないか、と目をこすった。
 次第に光の輪が淡くなり、そのうち消えてしまった。
 「魂って、あるんだね」
 一夫が重々しい声でいった。
 「そうよ、フランス人は、みんな信じてるの」
 セラヴィは当然といった表情をした。
 「あっ、それはそうとね」
 「どうした。何かあったか」
 「今朝ね。洗濯ものを干してたらね」
 「うんうん、それで」
 「生垣の外に男の人がうろうろしてたの」
 「どんな奴だ」
 「紺のスーツを着て・・・・・・。鞄を持ってたかな」
 一夫は思わず身を乗りだしていた。
  

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