|
何か食べるものでも、と勧める男とふたりで、
美樹は腰をふりふり、コンビニに入って行った。
上田まで一緒に行くことに美樹が同意したのが、
自称「初ナンパの三度傘」男は、よほど嬉しかったようだ。
数分後、美樹は男を従えてコンビニから出てきた。
男は両手にビニル袋を持っている。
品物がいっぱい入っているようで、ずいぶんふくらんでいる。
美樹の奴、またやったな、と竜夫は渋い顔になった。
それにしても、どうして見破れないのだろう、と竜夫は思う。
顔かたちは女装をしているが、美樹は男だ。
喉を見たり、腰つきを見たりすれば、すぐに正体がわかりそうなものである。
男は気づいているのかもしれない。
ひょっとしたら知っていて、美樹に合わせているのかもしれない。
だとすれば、いったい何のために美樹に近づくのだ。
ウブをよそおっているが・・・・・・。
竜夫の胸に、男に対する疑いの念が次々にわいてきた。
「えらいお待たせしまして」
笑顔を浮かべて、男は竜夫にぺこりと頭をさげた。
「こんなに買ってもらっちゃった」
美樹は舌をぺろりと出した。
「ばかやろう、人様に買ってもらう奴がいるか」
竜夫は右手でこぶしをつくり、本気で、美樹の頭をこづいた。
アスファルトに両手をついて、ドスンと転がった。
「いてえな、あんちゃん。何すんだよ」
「ええ、今なんて」
男は驚いて、ビニル袋を落とした。
ペットボトルやオレンジが地面をころがっていく。
竜夫が腰を曲げて拾いはじめた。
美樹は両ひざを曲げたまますわっていたが、立ちあがって歩きはじめた。
赤いオープンカーのドアを開けると、助手席にすわった。
「あの人のお兄さんなんで」
品物を拾っていて、男と向かい合わせになった。
ちょっと言いにくかったが、竜夫は
「そうさ、間違いねえ」
口のはじを曲げるようにして、田舎まわりの役者みたいな声をだした。
「俺は、てっきり恋人同士だとばっかり」
男は竜夫に顔を近づけて、うわずった声でいった。
男の眼の奥がきらりと光ったのを、竜夫は見逃さない。
「まあ、よっぽど気をつけることですな。変わり者の妹ですから」
と、忠告するように答えた。
男は、竜夫より十ばかり歳は上だろうか。
やあさんまがいな感じだが、根は素直に思えた。
だが、こういう人ほど本気で怒りだしたら、と竜夫は恐怖を覚える。
「ところで、失礼なことを訊くようですが」
竜夫は声を変えた。
「何です」
「あんた、ほんとに女とつき合いは」
「まったくないんです」
「ひょっとして、まだ女を知らない・・・・・・」
男の表情にちょっと赤みがさし、眉間に縦じわができた。
「おっと、これは失礼」
竜夫はすくっと立ちあがった。
男が運転席にすわった。
セルをまわし、エンジンをふかす。
美樹は男からサングラスを取りあげると、「ちょっと借りるわよ」と言った。
男はまぶしいのか眼をほそめた。
今風にいえば、男のいでたちはとてもダサイ。
四十がらみなのに、わざと若者きどりの服装だ。
腰のベルトにチェーンを結わえたり、痛かったろうに、鼻に小さな輪をとおしていた。
五センチくらいの刃物傷が縦に走っている。
上半身には肌着は身につけず、胸のあいた薄手の白いシャツを着ているだけだ。
金色のネックレスがきらきら輝いている。
坊主頭のちょび髭づらには、どうも似あわない。
「それじゃ、しっかりつかまっていて下さい」
ゆっくり駐車場を出ると、急にアクセルをふかした。
キキキッと、タイヤが悲鳴をあげた。
「ちょっとお、そんなに飛ばしたら、バイクが追いつけないわ」
男は前を向いたまま、
「くふふっ、いいんですよ。これで」
大きな丸い目をわざと薄目にして、口のはじで笑った。
「なによお、いいことないでしょ。何考えてるのよ。あやしい人ね」
大きく声をあげたものの、美樹は内心穏やかではない。
心臓がドキリとして、顔色がわるくなった。
|
全体表示
[ リスト | 詳細 ]
|
サングラスの男は、ヤニで黄ばんだ歯を見せ、
「こんにちは、どちらまで行かれるんですか」と、丁寧にしゃべりだした。
男が美樹に言いよって来るのは、初めてではない。
竜夫は美樹と顔を見合わせると、ウインクしてみせた。
バイクスタンドを立てると、竜夫は皮ジャンの胸のジッパーを
へそのあたりまでさげ、コンビニへと歩いて行く。
「いいんですかい」
男が不思議そうに訊いた。
「ええ、いつもあの調子なのよ」
「あんたみたいなシャンを、ひとりで放っておくんですかい」
メットを胸にかかえたまま、美樹は機嫌良く、
「ところで、何か用なの」
と、サングラスの目の奥をのぞきこむようにして訊いた。
「お、おれとドライブしませんか」
男のからだが急に委縮したように思えた。
ひたいに汗がふきだしている。
美樹はぷっとふきだした。
「な、なにか可笑しいですかい」
「ああ、可笑しいわよ」
男は軽く首をひねった。
「だって、あたしと彼、どうやってた」
「仲良くバイクに・・・・・・」
「でしょ、どう見たって、恋人同士でしょうが」
「まあ、そうでしょうが」
美樹は、たたみかける。
「だったら、さようなら」
くるりと体の向きを変え、歩きだそうとした。
ふいに男が美樹の左腕をつかんだ。
何もいわずに車に引っぱって行く。
「あんた、ずいぶんむちゃなことするのね」
美樹をかかえあげると、助手席にどさりと落とした。
「あんた、女のくせにけっこう重いね」
「バカいわないでよ」
ジーンズをはいた脚を長くのばして、美樹はドアをまたいだ。
男は、美樹の脚を両手でつかむと、車の中におしもどす。
「よお、勝手なことをやってくれるじゃねえか」
竜夫がかけつけてきて、大声をあげた。
まわりに人が集まって来た。
竜夫が、タバコの煙を、男の顔面にふううとあびせかけた。
男は、ゴホンと一回セキをして、
「まあまあ、にいさん。ちょっと話をしましょうや」と、怒りもせずに言った。
竜夫はペットボトルに入ったコーラを美樹に手渡した。
「お前はそっちへ行ってろ」
男の方に向きなおって、
「そうかい、そっちが下手にでるんなら」
竜夫は群衆にむかって、
「皆さん、見世物じゃないんですから」と、頭をさげた。
「ちょっとこっちへ」
男といっしょに、駐車場のフェンスによりかかった。
爽やかな風が顔にあたる。
ちょっと目を上に向ければ、すぐにいい気分になれた。
「今日はまったくいい天気ですな」
「へい、そのとおりで」
「お互い、思うように行かない世間に住んでる者同士」
「まったく」
「お宅も、あんな良い車に乗ってるのに、女が一緒じゃないなんて」
竜夫は言いたいことをズバッと言った。
それでも、男は顔色を変えない。
へへっと笑った。
竜夫の耳もとに顔を寄せると、
「俺、ナンパしたのは初めてでやんす」と、真面目な表情でいった。
「へえ、そうかい。とてもそうは見えないけどな」
男は、自分の首に右手をあてると、
「どうも失礼しました。なんだか一目ぼれしたようで」
「あれに、一目ぼれ」
「はい」
「あんなの、どこがいいんだろ」
「そりゃ、だんなが一番わかってらっしゃるでしょ」
「そりゃ、そうだが」
「あんな美人、わたしゃ見たことないですから」
「ほんとにそう思うかい」
「あんたがうらやましいです」
竜夫は笑いをこらえるように、うつむいて目を閉じた。
「これから、あんたどこへ行くんだい」
顔をあげて訊いた。
「上田まで。久しぶりにお袋の顔を見に行きますんで」
「それじゃ、いっしょに行こうじゃねえか」
竜夫の言葉が次第にあらくなってくる。
「いいんですかい」
「俺たちも今から行くところだから」
竜夫は右手をあげると、
「おい、みきっぺ」
二本目のコーラボトルのボトムを逆さにして、ごくごく飲んでいる弟を呼んだ。
|
|
鳥居峠を越えた。
しばらく急なくだり坂がつづく。
竜夫は奥歯をかみしめた。
曲がり角がこわいとわかっているから、
スピードをうんとゆるめてまわる。
乗用車とならんだ時は、なおさら注意が必要だ。
きゃあきゃあ騒いでいた美樹が静かになっている。
朝食をたらふく食べたうえに、車にゆすられた。
竜夫の背中に胸をおっつけたまま、眠っているようだ。
妹みたいな弟のあつかいに、竜夫は困っている。
しかし、弟はかわいい。
兄が行くところには、どこへでもついて来たがる。
それは幼いころから変わらない。
いい加減、異性の友達を見つければいいのに、と思うが、
本人が興味を示さないのだから手の打ちようがない。
最近は両親もあきらめたようだ。
自分の人生なんだから好きに生きれば、という。
その代わり近所の手前もあるから、と家を追い出された。
ひとまず、渋川にある兄のアパートに転がりこんでいる。
美樹は美形といえる顔立ちだ。
ハンサムと言うと、本人は真っ赤になって怒るから、
竜夫は、ほかの言い方を考えた。
きれいだね、今日は可愛いよ、なんて言うと、にっこり笑う。
末っ子の美樹は、小さい頃から女の子みたいに育てられた。
男ばかり三人で、女の子がひとりほしいという親の願いはかなわなかった。
マルコメ頭の美樹にスカートをはかせたりした。
本人はかなり困惑したようだが、幼いながら気をつかった。
思春期は、大過なく通りすぎた。
しかし、それ以後が大変だった。
身体は男性だが、心は女性だと竜夫に訴えた。
竜夫はなんとなくわかるような気がした。
美樹は鼻筋がとおり、切れ長の目をしている。
肌は白く、きめがこまかい。
薄い口びるに真っ赤なベニをぬっている。
口からほほにかけてきれいに髭はそっている。
青くなった地肌はなかなか隠せないから、
気のすむまでファンデ―ションを入念にほどこす。
今朝アパートを出る前もずいぶん化粧に時間がかかった。
竜夫はあせっていたが、美樹は知らん顔で鏡の前にいた。
五時起きなんて、まったく失礼しちゃうわ。
ブウブウ文句を言った。
初夏の日差しが照りつけている。
長い髪の毛がヘルの中で窮屈にちじこまり、
顔じゅう汗まみれになっている筈だった。
そろそろ一休みしようと、竜夫は、
「おい」と呼びかけた。
返事がない。
「こら、美樹っぺ。寝るんじゃない」
竜夫が上半身をゆする。
「もうなによ、せっかくいい気持ちでいるのに」
と、おかんむりである。
「おめえな、もうちょっと離れろよ」
「いいじゃないの、たったん」
舌足らずの物言いをした。
「離れろっ、つうの」
竜夫は上半身をゆすった。
美樹はそれでもしがみついてくる。
「気持ちわるいんだっての」
「だって、あんちゃんこと、大好きなんだもの」
ゴムまりがブラの中から下に落ちそうになっている。
「コンビニがある。あそこで一服だ」
竜夫は左に重心を移した。
「よお、おねえちゃん、乗ってかないか。こっちの方が楽だぜ」
ふいに男が声をかけてきた。
赤いオープンカーが、駐車場に入って行くバイクに寄り添ってくる。
竜夫のバイクのとなりに停まった。
運転していたサングラスの男が美樹に近づいて来る。
この野郎、今に吠えづらかくな。
竜夫は、ちょっと様子を見ることにした。
美樹がヘルをとって、大きく頭をふった。
|
|
峠まであと一息だ。
あたりは新緑におおわれている。
「ミキっぺ、いいか。しっかりつかまってろ」
竜夫のボデーにまわした美樹の両腕に、ぐっと力がこもる。
両側の景色が、急速に後ろに流れはじめた。
「すごい、すごい。もう最高」
美樹の甲高い声が、フルフェイスの中でくぐもって聞こえる。
気持ちがいいんだろな、ミキっぺ。
もちろん、竜夫にも、すごい快感であったが・・・・・・。
五歳年下の美樹のほうが、グレートだ。
まるでセックスのクライマックスにいるようだわ。
身体がふわりと飛んじゃう。
そう、何度も、野太い声でのたまった。
感極まって失神してしまわないか、と竜夫は恐れる。
ちょっとおおげさな奴だと判っているから、
うるさいほど声をかける。
苦い体験がある。
後ろに乗っていた女が両手を放したのだ。
ヘルをかぶらずに同乗していた。
いくら言っても、訊かなかった。
スイカのようにヘッドが割れた。
五年前のことだ。
すぐに、プンとふくれるところが可愛かった。
好きな女だっただけに、なかなか忘れられないでいる。
男の方が、女よりもずっと想いを引きずる。
バイクを乗りはじめて、十年。
今、二十八歳だ。
ちょっと遅すぎた感はあるが、仕方がない。
家族の反対にあったからだった。
十四、五歳で事故リ、帰らぬ竹馬の友がいる。
渋川から信州上田まで行く途中である。
もう二時間くらい走ったろうか。
長野原は過ぎた。
山道は、右に左にゆるやかに曲がりくねっている。
ひとつひとつのカーブを、竜夫は巧みなハンドルさばきで走りぬけていく。
時折、はるかかなたに浅間山の赤黒い山肌を見ることができる。
ここでハンドルを右に切らなけりゃ、即、鳥になっちゃうな。
左側にはガードレールがないし・・・・・・。
ずいぶん危ない場所だが、バイクドライバーにとっては腕試しに持ってこいである。
竜夫はぐっと歯をくいしばって、上半身を右に倒した。
バイクと路面が鋭角をつくった。
「美樹、じっとしてろな」
くどいほど注意する。
「うん、わかったわよ、ほら」
と、両手で後ろのパイプをつかんだ。
「このお、死んでもしらねえから」
ベアハッグをかけるように、美樹は竜夫のボデーを両手でつかんだ。
ゴムまりの胸が、竜夫の背中で押しつぶされた。
|
|
姪の夫が気づいて、
「ほら、おばさんが何か言いたそうだよ」
右手をあげて、F子にうながした。
F子はあわててそばにかけより、
「どうしたの」
M子の手を両手でにぎりしめた。
失いかけた意識がようやくもどった。
M子はほっとため息をついた。
本当は、体調の良くないのをF子に訴えたかった。
でも、せっかく来てくれているのに。
遠慮が強く働いた。
残っている奥歯をぐっとかみあわせて、弱気をこらえる。
「いや、なんでもないんだ」
といって、手をふった。
あちこち車いすで動き回るのは、無理だったんだと思う。
かろうじて、ポンプの役割を果たしてくれている自分の心臓を
いとおしく感じた。
私は九十数年間、生かされてきたんだ。
小じわがいっぱいの目から、涙があふれてこぼれそうになる。
「泣いてるの、おばさん」
F子に気づかれて、
「うれしくってさ」
と、苦しいウソをついた。
息苦しくてどうしようもないというほどではないが、その一歩手前であった。
人様にあまり迷惑をかけたくない。
たとえ親戚であってもだ。
それがM子の信条だった。
施設でも、ずっとアネゴ肌でとおしてきた。
年下の面倒をよくみてきたおかげで、みんなに慕われた。
一方、目上の者にも一目おかれた。
自分が間違っていないと思えば、どんな偉い人とでも毅然として話をした。
若い頃から、M子は気持ちが強かった。
紡績工場の上司と恋愛結婚した。
当時としてはめずらしく、まわりの同僚たちにうらやましがられた。
でも、幸せは長くはつづかなった。
言いたいことをずけずけいうM子は、義理の母や女きょうだいと
うまくいかず、娘をふたりを嫁ぎ先に残したまま、実家にもどった。
五年足らずの夫婦生活であった。
M子は、今さっき自分の窮状に気づいてくれた、姪の夫に感謝していた。
昼間でも仕事の都合がつくのか、よく施設に足を運んでくれた。
三十数年間ずっとだ。
まるで自分の息子のようであった。
彼の実家は遠い。
俺は箱根の山を越えて来たんだ、と言ったものだ。
実の親にはなかなか会えない。
その分、お年寄りに親切にしているらしい。
少し足が遠のくと、M子は、
「あたしの彼氏、近頃見えないわ」
と、若い介護人を笑わせた。
あれやこれやと、昔の記憶が脳裏に浮かんでは消えていく。
お迎えが近いことを、M子は悟っていた。
姪の家族三人にも、今は、それを知られたくない。
みんなが帰るまでは、と必死で隠しとおそうとした。
不整脈がひんぱんに起きるのか、時折息切れがひどくなる。
真夏にもこんなふうになったことがある。
その時は、もう駄目かな、とベッドの上で両手を合わせた。
そのことは、姪の夫に話してある。
今は、その時よりずっとひどい。
ひとりふたりと、広場から人が去って行く。
ああ、またひとりだ。
ひょっとして、今晩、旅立つ・・・・・・。
M子は、言い知れぬ寂しさを感じた。
「F子も、もう帰らないとね」
心とは裏腹な言葉を吐く自分がうらめしい。
「今日は、どうもありがとう」
これが最後の挨拶とばかりに、大きく口を開けていうと、
M子は顔じゅうしわだらけにして笑った。
了
|


