|
マスターの髭面を、灯りが照らしだした。
村のオサは壁にもたれて、すわっている。
壁は濡れていた。
ひっきりなしに、天井からしずくが垂れている。
俺は何もいわずに、マスターに抱きついた。
「悪かったな。こんなことになって」
うっうっうっ。
押さえつけていた感情がふき上がってきた。
「これは俺の問題だ。お前には関係ない」
「そっ、それは、そうですけど」
涙が頬を流れるのがわかった。
「とにかく、もとの世界に帰ってくれ。これ以上、
危険にさらすことは出来ない」
「そうよ。もういいわ。何の関わりもないんですもの」
魔子も同じ考えだ。
しばらく、沈黙が支配した。
「三人だけですか。生き残ったのは」
俺は、元気よく訊ねた。
自分でも不思議なくらいだった。
「そうなんじゃ、夜中に襲撃してくるとは。不覚だった」
オサはそう言って、がっくり肩を落とした。
「まこ、その人を連れて行ってやれ」
「はい」
「ありがたかったよ、来てくれただけでも」
オサはすわったまま、右手を振った。
「気をつけてな」
魔子が俺の手をとった。
「さあ、行きましょ」
ろうそくの灯りが、魔子の顔を照らした。
渋谷の交差点でナンパした女だった。
男みたいに、力が強い。
女の格好をした男かと、思ったほどだった。
しっかりした足取りで、歩いて行く。
裾が気になるのか、右手で合わせ目をつかんでいる。
手が冷たかった。
「あなたの手。あたたかいのね」
俺は立ちどまった。
「魔子は、マスターの」
「娘よ。どうしたの。さあ、もうすぐ階段よ」
「おれ、いい」
「何が」
「魔子と、いっしょにいる」
「でも、あなたには・・・・・・」
「いいんだ。俺、魔子が」
「あたしが、どうしたの」
俺は、魔子の体を引き寄せた。
「あっだめ」と小さく言ったが、俺はぎゅっと抱きしめた。
魔子は、抵抗しなかった。
|
全体表示
[ リスト | 詳細 ]
|
ドサッ。ドサッ。
庭先で物音がした。
俺は、厠の窓からのぞいて見た。
闇夜である。
こちらの世界は、夜なのか。
ふううと、ため息がでた。
あちらは、一日が始まったばかりだったのに。
なんとも、判らないことばかりだ。
頭がおかしくなりそうで、もう考えるのはやめにしたいと思う。
はっきり見えないが、人が動いているようだ。
人影が塀を次々に乗りこえて来る。
庭の真ん中で、ひと塊りになった。
何やら、ささやいている。
ふいに、その中の一人が立ち上がった。
木槌を持っている。
閉じられた雨戸をドンドンたたきはじめた。
「よし、行くぞ」
「おお」
「逆らう者は、殺してもいい」
白刃がきらりと光る。
山賊だ、と直感した。
しかし、山賊がこれほど武装しているとは・・・・・・。
まるで落ち武者の集団だ。
俺のくちびるは、わなわな震えた。
雨戸が外れた場所から、あがりこんで行く。
怒号が飛びかう。
ぎゃ。助けてくれ。
悲鳴があがった。
俺は厠の中でうずくまって、耳をおさえていた。
何もかもまぼろしだ。
目を開ければ、元の風景が見える。
喫茶店の厨房の中だ。
そう思って、耐えていた。
どのくらいそうしていただろう。
かすかに聞こえていた物音がしなくなった。
そっと戸を開けた。
ギイと音を立てたので、俺は開けるのをやめた。
戸の外で、みゃああと鳴いた。
猫を胸にかかえると、しきりに手をなめる。
ごろごろと喉を鳴らした。
奴らは、もういない。
そう確信した俺は、座敷に行った。
中は、修羅場だった。
白い襖が血だらけだった。
もうだめだ。
俺は、危うく倒れそうになった。
幾人もが無残に殺されている。
血の匂いが漂う中を、俺はマスターと魔子を探した。
急に吐き気をおぼえ、猫を抱いたままうずくまった。
廊下の方で、ガタッと音がした。
男の人がうめいている。
「もしもし、しっかりしてください」
「おおう、おめえさん、大丈夫だったんだ」
「はい」
背中を切られているが、大した傷ではなさそうだ。
「お前の連れは逃げたぞ」と、床の間を指さした。
「手当てを」
「お、おれはいいから、行け」
「すみません」
掛け軸をあげると、壁に穴があいていた。
地下に通じる暗い階段をおりて行く。
足もとがおぼつかない。
壁を、手で探りながら歩いた。
遠くに灯りが見えた。
まわりで、何人かが動いている。
俺は立ちどまり、様子をうかがった。
「誰なの」と、女の声がした。
魔子だった。
「おれっ」と、うわずった声をだした。
|
|
淡い光が掛け軸のかかった床の間を照らしている。
十畳の座敷にむずかしい顔をした男たちがいならぶ。
腕を組んだり、顎に手をやったりしている。
頭髪がなんとも昔風だ。
部屋の隅に、行燈が置かれていた。
スイッチを押せば明るくなる生活が、なんて便利なものかと思う。
俺はマスターの後に続いて、座敷に入った。
みなの視線が一斉に集まる。
なんて場違いなところに、来てしまったんだろう。
いくら後悔しても、もう遅い。
末席につらなることにした。
先ほどのオサが、上座にすわりなおした。
着物の裾を右手でポンとたたいて、座布団にすわった。
「それじゃ、みなさん。お待たせいたしました」
挨拶がはじまった。
やっぱり、おとぎ話だ、山へ芝刈りだと、俺の心はきゅっと痛んだ。
「お気づきのことと思いますが、末席にすわったのは、私の末裔なんじゃ」
へえっ、と全員が感嘆の声をあげた。
「村の存続、ひいては子孫の安否にかかわることじゃから、こうして遠い所から、
足を運んでもらった」
村の男が手をあげて、
「で、だんな、変わった人たちですのう。どのくらい先の子孫でございますか」
と、訊いた。
「そうだな、四百年くらいかのう、まことや」
「はい」と、マスターが会釈をした。
皆がどよめいた。
「よくそんなことが出来るもんですのう」
「これは、我が家の秘密でな」
と、オサは声をひそめた。
「さて、本題に入ることにしよう」
一同の者が襟をただした。
「このままじゃ、田植えもできねえ」
「大川の土手で、奴らは見張っているからな」
「言うことをきかないと、暴れるからな」
「村へ来ては、やりたい放題だ」
村人が口々に叫ぶように訴えた。
マスターが手をあげて、口をはさんだ。
「取り締まる連中がいないのでしょうか」
「いるにはいるんじゃがな。のう、皆の衆」
オサが話をおぎなう。
全員うなずいたり、相槌を打った。
「どこから、寄り集まったか知らないが、荒くれ者ばかりじゃ。
手に手に武器を持っている。みんな奴らに殺されたんじゃ」
一瞬、座が静まりかえった。
「それでな、わしは考えたんじゃが、今着いたばかりの二人に、
ちょっと骨折ってもらおうと思ってな」
俺は、ぶるっと体が震えた。
冗談じゃない。そんな危険なことに関わるわけにはいかない。
「すみません。ちょっと」と言って、立ちあがった。
障子をがらりと開けて、廊下にでた。
「かわやかね、厠はあっちの方じゃ」
オサが笑顔でゆびさした。
「はっ、はい。ありがとうございます」
静かに障子を閉めた。
頭が真っ白になっている。
俺はふり返り、じっとしたままで、転がり落ちてきたドアを探した。
見当がつかず、イライラが募るばかりだ。
パニック寸前だった。
廊下の向こうから、着物姿の若い女が歩いて来た。
盆をかかえている。
俺の顔を見るなり、くすっと笑った。
髪の形がまったく違うが、顔は忘れもしない。
「まこ」
俺は、そう口走った
近寄って、必死に目で助けを求めた。
「ご苦労様。ちょっと待っていて」
魔子は落ち着いている。
あの世界の人間がもうひとりいた。
俺はとてもうれしくなった。
右手をだして彼女の腕をつかもうとしたが、急に廊下にすわりこんだ。
両手で障子を開けると、中に入って行った。
俺はトイレに行き、用を足した。
下をのぞくと、暗い闇があった。
どこでもいい。どこからでもいい。
ここをぬけ出せるんなら、トイレの闇の中へでも飛び込みたいと思った。
少なくとも、座敷には戻りたくなかった。
このままずっと、この狭い空間にいたかった。
とにかく、ひとりになりたかった。
アパートがむしょうに恋しくなり、涙があふれて頬をつたった。
|
|
昔、トランプをしていた時だったかな。
俺が高校生だったから、そんなに前じゃない。
盛んに、英語を口にする同級生がいた。
ダウとか、なんとか、言ってたな。
この野郎、きざな野郎だな。日本人だろ。
日本語をしゃべれ。
俺はむかむかしてきた。
何を偉そうにって、言ってやった。
そしたら、そいつは、
きみ、ゲームだよ、ゲ―ム。知らないのかって、鼻先で笑いやがった。
テーブルに、裏返しにまいてあるカードを、俺は麻雀パイを混ぜるように
ごちゃごちゃにしてやった。
その後は、大ゲンカさ。
これと、このお話と何の関係があるんだよって。
それは、懸命な読者におまかせしよう。
お話を続けます。
このマスター、何を言ってるんだろう。
冗談めかして、本心を語らない。
トランプのプレイじゃないけど、ほんと口先だけだ。
本心は何なんだと、疑ってしまう。
俺みたいなのには、ちゃんと言ってくれないと。
だって、そうじゃないか。
どんなドアか知らないが、ドアはドアだ。
どこか外に出られるように、作ってあるはずだ。
ドアを開けて、びっくりだったら、ドラえもんさんに訊いた方が早いかも。
喫茶店わきは、さっき来る時に見たけど、細い露地になっていた。
人ひとり、通れるくらいだった。
きっとそこに出る。そうに決まっている。
何をもったいぶってと、俺は腹の中で笑った。
少し開けて、すき間の出来た扉を、思い切って全開にした。
とたんに、ガガガッと音がして、あたりが真っ暗になった。
体がぐらっとして、耳がキーンと鳴りだした。
何も聞こえない。
四角い空間は、曇りガラスのようにぼやけている。
指で押すと、くにゃくにゃした。
「山へ、芝刈りに」
後ろにいたマスターが、気に入らねえ言葉をくり返した。
これじゃ、「開け、ゴマ」だ。
まるで経を読むような調子だ。
ほんと、うるさいんだよな。
でも、今度はまじな顔つきだった。
本音をいうと、俺はこわかった。
だってそうだろ、初めての事だ。
俺がためらっていると、
「よし、俺が行くから、後に続け」
と、腰を落として、白髪頭を突っこんだ。
首だけ下が、こちらに残った。
体も、すぐに、ずいっと吸いこまれて、見えなくなった。
あっけにとられていると、マスターの手首が現われた、
人差し指で、俺をまねいた。
右手で彼の手首をつかむと、ぐいっと引っぱられた。
ずぼっと吸いこまれ、マスターと一緒に固い物の上にころがった。
廊下だった。
「だいじょうぶかい」
「いったい、これは・・・・・・」
目をこすりながら、俺はあたりを見まわした。
古い家の中のようだ。
オーケー、オーケーと言うように、マスターは、首を何度も縦にふる。
板の上、・・・・・・。
これは廊下だ。
俺は、こぶしで何度もたたいてみた。
「お疲れ様。こちらにおいでなさい」
ふいに聞き慣れない男の声がして、右側の部屋から、
和服で身をつつんだ男が顔をのぞかせた。
きちんとした身なりをしている。
格式のある家のオサって、感じだ。
時代劇でもやってるのか、ここは、スタジオなんかよ。
俺はのんきなことを、考えてしまった。
|
|
渋谷駅まで、魔子は俺を送ってくれた。
魔子。すげえ名前だよな。
悪魔、魔女。魔界。
ずらずら気味わるい言葉が浮かんでくる。
本名は、麻子なんだけど。
「こっちの方が、お気に入りよ。通り名にしてるの」って。
俺がしつこく書き方を訊くものだから、ようやく教えてくれた。
いい気分になった俺は、すっかり打ちとけて、
「俺さあ、鳶やってるし、毎日手伝うってわけにいかないけどお」
腕を組んでいた魔子が、ふいに俺の肩に頭をのせ、
「それって、オーケーっていうことなの」
「うううん、まあな」
「うれしいっ」と、俺の体に抱きついてきた。
くちびるをとがらせ、俺の頬にふれた。
道玄坂下の交差点で、信号待ちである。
彼女の行為は、まわりの連中の視線をあつめた。
ちょっとやそっとの若者の醜態には驚かないが、突飛な魔子の行動に
唖然とする年輩が多かった。
「でもさ、山に芝刈りにって、なんだかおとぎ話みたいだぜ」
と、ハンカチで赤い口紅をふきとりながら、訊ねてみた。
魔子は、俺の体をはなすと、
「まあ、それは冗談だけどさ・・・・・・」と答えて、下を向いた。
「それで、何だよ。もったいぶらずに言ってくれよ」
「言っても、信じないだろうし」
「やっぱりおとぎ話なんだ」
魔子の身に付けている緑色の服が、ふいに生々しく感じられて、俺はぎょっとした。
服というよりも、皮膚に近い。
カメレオンみたいなひとつの生き物に感じられた。
美人と歩いているルンルン気分が、すっ飛んでしまった。
しかし、それは一瞬のことだった。
俺は、右手で目をこすった。
何も変わったところはない。
魔子が歩いているだけだった。
とりあえず、土日に喫茶店の仕事をすることにした。
泊まり込みでたのむ、とマスターは連絡してきた。
直近の土曜日、俺は朝早くアパートを出発した。
あたりはうす暗い。
住んでいるところは、墨田区だ。
田舎育ちの俺は、小さい頃からこの街が気に入っていた。
東武浅草駅まで徒歩で行き、地下鉄東西線に乗りかえた。
電車は揺れっぱなしだった。
大きな音を立てて、モグラのように進んで行く。
渋谷駅でドアが開いた。
シュー。
よいしょと声をかけて、俺は飛び降りた。
あたりを見まわすが、それほど降りる人がいない。
足取りが次第に重くなってくる。
ええい、しょうがない、乗りかかった船だ。
くそっ、俺は男だ。
あがったり、くだったりしながら、ようやく地上に出た。
ハチ公前に立った。
いつだって、まずはここに来る。
面と向かって、ハチ公に頭をさげ、両手を合わせていた。
俺は、運動靴をはいている。
歩くたびに、きゅっきゅっと音がした。
あれやこれやと、妄想がわいてくる。
何やら、背中がぞくぞくしてきた
都会は、夜も昼もない。
車がひんぱんに往来している。
ちょうど青だったので、横断歩道を走ってわたった。
道玄坂をのぼっていく。
人通りは少ない。
腕時計を見ると、約束の時刻が迫っていた。
午前六時だ。
最後は駆け足になって、ドアを開けた。
店内は、薄暗い。
「おはようございます」
勇気を奮いおこすようにして、奥に声をかけた。
黒い影が近づいてくる。
怪物か。
影になっていて、顔が見えない。
どきっとして、思わず胸をおさえた。
どうもいけない。これじゃ心臓にわるい。
先だっても、魔子が化け物に見えたし。
カチッ。
スイッチが入る音がして、あたりが明るくなった。
マスターがにこにこ笑っていた。
ふいに顔がぐにゃりと曲がり、鼻がするすると伸びた。
俺は、思わず目をつぶった。
まただ。また、幻覚だ。もういやだ。
「悪かったな、無理言って」
マスター自身の顔が、まじかにあった。
「いいえ、大丈夫です」
「時給は、はずむからさ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、こっちへ来てくれ。ちょっと説明するから」
厨房で話を聞いた。
いくら聞いても、やはりこの仕事。
チンプンカンプンだった。
江戸時代がどうの、山賊がどうのって。
まったくわけがわからなかった。
厨房わきに小さなドアがあった。
それを開けてみろと、言われた。
「俺もお前に続く。外に出てからだ。仕事の話をするのは」
おそるおそる俺は、油の付いた黒っぽいドアを開けた。
ひんやりした空気が流れこんできた。
|


