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俺が好むような曲とは、まったく違う。
しっとりとした雰囲気のある曲だ。
名前は分からないが、クラッシックだ。
それくらいはわかる。
一階正面にスピーカーがある。
それを囲むようにして、吹き抜けが作られていた。
二階にいても、一階とあまり遜色のない音色が楽しめる。
「どうしたの、ずいぶん静かじゃないの」
まこが俺の目をのぞきこんだ。
「だってさ、これじゃバカやってらんないじゃん」と低い声で言い、
外人がよくやるように、両手を軽く上にあげた。
「こういうの、あまり聞かないの」
「ぜえんぜん。中学校以来さ」
テーブルをはさんで、すわっている。
低音が腹の中で響いた。
両手で耳をおさえ、目をつぶると、昔の記憶がよみがえって来た。
残念ながら、うれしいことじゃない。
悲しかった少年の日の思い出だ。
父方の祖母の死に顔が浮かんできて、叫びだしそうになった。
まこが立ち上がって、俺の肩に両手をおいた。
「ねえ、だいじょうぶ」
俺は返事をせずに、うつむいたままだ。
目がしらがうるんでいた。
涙なんか見せちゃ、かっこ悪くてしょうがないと思った。
コツンと小さく音がして、カップが置かれた。
顔をあげると、ウエートレスがいた。
何も言わずに、お辞儀をする。
トレイを小脇にかかえると、階段をくだって行った。
音楽が明るくなった。
それでも俺は下を向いたままだった。
ふううっとため息がでた。
指で涙をぬぐうと、まっすぐにまこを見た。
ようやく、話をする気分になった。
砂糖とミルクをどちらも好きなだけ入れ、
カップの耳をつまんで、コーヒーをすする。
ズルズル音をたてた。
まこは、ほほ笑みながら、右手の人差し指を口元に持って行った。
「案外、おセンチなのね」
「ほっといてよ、べつにいいだろ。それより、自分の着てる服さ」
「服がどうしたの」
「言ってもいいかい」
「どうぞ、あたし気にしないから」
「ちょっと地味」
「そうかしら。あたし、グリーンが好きなの」
「春なんだしさ。もうちょっと明るいのが、似合うと思うよ」
「気にしてくれるんだ、ありがと。ところでさあ、あなたね」
「なんだい」
「ここで、働く気はない」
「何だよ、やぶからぼうに」
「マスターが人手をほしがってるの」
「足りてるんじゃないの」
俺はあたりを見まわした。
「女は充分なんだけど。男手がほしいの」
「力仕事をやるわけでもないのに、一体どうしたわけだい」
さっき、ふたりで話していたことだろう。
俺は、ちょっと身がまえた。
喫茶店で働いたことがなかった。
まこは、どうしたことか、その先を話さない。
両手を膝の上において、組んだり放したりしている。
「むずかしい仕事なのかい」
「うううん。ぜんぜん。いやなら、いいわ。行きましょ」
注文票を持つと、立ち上がった。
さっさと階段をおりて行く。
支払いを済ますと、厨房に入って行った。
なかなか出て来ない。
俺はしびれを切らして、暖簾をあげた。
まこが丸い椅子に腰かけて、下を向いていた。
匂いが鼻をつく。
色んなものが混ざっているからな。
納得しながらも、何故かなじめない。
マスターが、奥で手招きした。
そばに寄ると、「山で芝を刈るんだ」と言って、笑った。
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先ずはお茶でも、とA子に誘われた。
飲食街が立ちならぶ大通りを曲がると、急にひっそりした。
「ずいぶん静かですね」
「いいところでしょ」
手をつないだままだ。
知らない人は、きっと恋人同士だと思うだろう。
俺は、さっと手をひっこめた。
「いいのよ」
「ええ、だって悪いからさあ」
「こんなふうに街を歩きたかったんでしょ」
「そりゃあ、夢だったさ」
「だったら」
A子は、俺の手を再びつかみ直した。
あっと言う間に腕を組んだ。
「あっ、いいの」
前にも感じたが、腕っ節が強い。
毛が生えていたら、男だと言ってもおかしくない。
A子は返事をしない。
コツコツコツ。
ハイヒールを地面に打ちつけるようにして、歩いて行った。
曲がりなりにも、アベックで歩いている。
俺の胸はドキドキしてきた。
こんな美人と一緒だなんて。
「さあ、ここよ」
二階建ての古い建物だった。
軒先に看板が出ている。
真ん中に動物をかたどった絵が描いてある。
「なんだか古そうですね」
声がうわずった。
「ここのマスターとは、知り合いなの」
「へえ、すごいですねえ」
「ちょっと待って」
A子は携帯を取りだして、相手を呼びだしている。
もしもしから、ありがとうまで一分足らずの会話だった。
重そうなドアが開き、年輩の男の人が現われた。
白髪頭が素敵だ。
カジュアルな服装をしている。
どこかのおじさんって言うか、そんな感じの人だった。
「いらっしゃい、まこさん」
とてもいい笑顔で、出迎えた。
へえ、A子は、まこって言うんだ。
俺は、まこ、まこ、まこ、と心の中でくり返した。
「ご無沙汰していました」
驚くほど丁寧に頭をさげた。
「今日は、お友達と」
「ええ、勇ましい人です。有望ですわ」
「それは良かった」
「お力になれるといいんですが」
何のことやら、俺はチンプンカンプンだ。
友達は、俺のことだろうし、勇ましかったり有望だったりするのも、
俺のことに違いない。
なんでそうなるんや、俺は初めて来たんや。
どこかの漫才師みたいに、そう訊きたくなった。
ふたりして俺の顔を見ては、笑い合っていた。
店に入るなり、音楽に心をつかまれた。
こんな表現がふさわしいかどうか、わからない。
でも、ほかに言い方が思いつかない。
「二階がいいですか」
「空いていましたら、お願いします」
アンチークな装いをこらしている。
天井を見あげると、シャンデリアがぶらさがっていた。
俺の田舎には、こんな喫茶店はない。
建物からにじみ出て来るオーラもようなものに、頭がしびれた。
なんていうのか、いやでも歴史を感じさせられる。
ぽかんと口を開けたままでいると、
「ほら、かっこ悪いわよ」と、A子に指摘された。
「あ、うん」
先頭のマスターがふり返り、
「お気に召しましたか」と、笑顔を向けた。
俺は首をふって、それに応えた。
ほかにも客はいるが、みんな静かに音楽を聞いている。
ほとんど満員である。
俺は忍び足で階段をのぼった。
ひょうきんな俺の性格が、なりを潜めてしまった。
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気が変わってしまわないうちに、と早足になる。
手なんか振って、一体どういう料簡なんだろう。
一度も会ったこともないのにさ。
狐に化かされた気分だった。
俺なんぞ今まで、まともに女に相手にされたことがない。
それに、見たこともないような美人だ。
二十歳を少し越えたくらいだろう。
まあ、俺と同じ世代だ。
何かの間違いじゃないか、と思いながら、A子の消えた角をまがった。
ゆったりしたのぼり坂だった。
それほど息が切れない。
ふと大江戸線という言葉が浮かんだ。
一度も乗ったことがないが、良い名だな、と思う。
東京は昔、江戸といった。
誰だって、それくらい知ってるけどさ。
その頃、ここはどんな土地だったんだろう。
ちょっと調べてみたことがある。
山があり、川が流れていた。
人気のない所で、時々、山賊が出たらしい。
その親分が、道玄坂の由来らしい。
川の名前は、渋谷川。
しぶやの「や」は、谷か。
今は、まったく当時の面影はないが・・・・・・。
家康が治めるようになってから、治水に力を入れた。
八丁堀っていうものな。
うんうん、なるほど、とうなずきながら、ページをめくった。
「あんた、何か用なの」
突然、わきから声をかけられた。
壁がしゃべったと、思い、驚いてふり向いたくらいだ。
女の声にしてはちょっと太いが、A子に間違いなかった
ちらと見ただけで、網膜に刻みつけられていた。
なにしろ、AKBの誰だっけか。まん中で歌っている女。
その人に似ていた。
俺はちょっとばかり驚いて、黙ったままでいた。
こっちへ、と手を引かれた。
けっこう強い力で、ビルとビルの間に連れこまれた。
「あんたさあ、赤の他人にこんなに付きまとって、どうしようっていうの」
A子の剣幕に圧倒される。
ひとまわり体が小さくなった気分だ。
ふふっと、A子が鼻の先で笑った。
「な、なんで笑う」
「案外、意気地がないのね」
「意気地なしだと」
「そうよ」
俺は腕を組んで、A子をにらみつけた。
「そうそう、その意気」
「てめえ、俺をバカにしてるな」
「こんなとこまで、あたしを追って来たんでしょ」
「ああ」
「用もないのに」
俺はうつむいて、
「渋谷で女の子をひっかけようと思ってたんだ」
「誰があんたなんかに」
「ひどい言い草だな」
「見れば分かるわ。あんた、地のものじゃないでしょ」
顔が赤く染まるのが、自分でもわかった。
「わかるわ、すぐに。野暮ったいもの。何なの、その頭。にわとりのトサカみたい」
自分では格好がいいと思っていたが、あまりに率直に言われたので、
急速に気力がなえて行く。
「根っから、悪い人じゃないみたいね。女がほしけりゃ、
もっと違う所で良いところを見せた方がいいわ」
A子はちょっと間をおいて、
「ところで、あんた、時間ある」
俺は、「ああ」と生返事をした。
「折角だから、一緒に来て」
A子は俺の手をとって、歩きだした。
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果敢にアタックするところは、いい。
でも、今までに十戦十敗だ。
声をかけたとたんに、じろっとにらまれた。
それで、 ジ エンド。
きれいな子ばかり相手にするからさ。
てめえのつらをよく見ろ。
高嶺の花ばかり相手にするんじゃねえ。
奴らは男にちやほやされて、わがままになっている。
俺は、頭の中で、しゃべりまくっていた。
朝のラッシュみたいに混みあう中を、無理に通りぬけて行く。
ぐにゅっとやわらかいものを踏んだ。
「なんだよ、てめえ」
突然、男の声がした。
やたらと背が高い。
百七十しかない俺だ。
そいつはスカイツリ―みたいに、俺を見下ろしている。
バンッ。
わき腹に鋭いパンチをあびた。
体をひねり、うっと唸りたくなるのを我慢した。
「わ、わるい」
「ちぇ、意気地がねえな、かかってこいよ」
そりゃ、何も用がなけりゃそうしたいさ。だけど、今は暇がないんだ。
また、前進しはじめた。
やたらと人にぶつかる。
「誰よ、お尻、さわんないで」
中年女が声をあげた。
バカ野郎、おめえのケツなんか誰がさわるか。
歯ぎしりしながら、ようやく彼女にたどりついた。
名前が分からない。当たり前だ。
仮に、A子と名付けよう。
A子はいい匂いがした。
俺はくさい。首筋やひたいが汗まみれだった。
A子は背が高い。
ビルの谷間を通りすぎる風に、黒髪をなびかせている。
ほっそりした美人だった。
それだけで、俺の心はくじけそうになった。
どうせ断られるだろう。
A子は、もう感ずいている筈だった。
きっと今、俺のツラを見ている。
右頬が彼女の視線をあびて、ジンジンした。
信号が青になって、人だかりが動きだした。
見失ってはしょうがない。
俺は顔をあげた。
A子は、いなかった。
おかしい。そんな筈はない。今いたのに。
何度も飛び上がったが、それらしき姿がなかった。
横断歩道をわたり終えると、俺はぐったりして、建物の壁に体をもたせかけた。
このあたりじゃ、一度見失うと、二度と見つからない。
それに、知ってのとおり、やたらと厳しい決まりがある。
ストーカーだの、何だのとうるさい。
つけまわすことも出来ない。
恋愛も満足にできないじゃねえか。このお。
俺は、この世をのろう。
やいっ、どこのどなたか知らないが。
てめえらは金の力で、何だって出来るだろう。
だけど、俺たちゃ・・・・・・。
そこまで考えて、やめた。
そんなにいきがる事もないからさ。俺らしくもねえ。
それもこれも・・・・・・。
暴力を使っても、ものにしようなんて、ふてえ野郎がいるからだ。
甘やかされて育ったから、わがままだし、すぐに切れる。
俺たちゃ真面目に恋愛するんだ。
ふと右手を見ると、道玄坂が見えた。
遠くに緑色の服が目に入った。
こちらを向いて、手をふっている。
俺はふううと息を吐いた。
足が自然に動きだした。
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ここは、どこだと思う。
デパート付きのでっかい駅が目の前だ。
その前にワンちゃんの銅像が立っている。
生前は長い間主人を待っていたらしい。
犬のくせに銅像を建ててもらえるなんて。
すごい。えらい奴だ。
俺は逆立ちしたって、そんな事にはなるまい。
とにかく、いつ来たって、ここは人がいっぱいで、年中お祭りのようだ。
信号が青になると、道路の真ん中で人がぶつかる騒ぎだ。
お目当ては109らしい。
そりゃあ、俺だってたまには入ってみる。
話の種にはなるからな。
まあ、この程度だからな。あんまり好きじゃない。
根っからのひねくれものさ。
人が良いというものは、一応疑ってみる。
俺はモヒカン。
ええ、驚いたって。
良かった。
へへへ、もちろん本名じゃねえ。あだ名だ。
このあたりじゃ、ちょっとは知られている。
野良犬みたいにうろついている。
ダチはいない。
群れるのは嫌いだからだ。
もともとこのあたりの人間じゃなく、田舎から出てきた。
三男坊だし、跡継げだのと言われることもない。
高校はどうにか出ている。
普通高校だ。
兄貴が良くできたからさ。
ビリで入学したから、授業について行くのがやっと。
入ったばかりは真面目に勉強したが、進級するにつれて面白くなくなった。
女の子の顔ばかり見ていた。
特に、数学の授業。
教科書を机に立てて、よそ見をしていた。
おい、しんいち。
先生の声が聞こえて、立ち上がる。
分かりません。
くすくすと女が笑う。
俺の顔は、真っ赤になった。
出来ないのが分かっていて、指名する。
その根性が気にくわなかった。
卒業式の日に呼びだして、思い切り文句を言ってやった。
色々あったが、絶対に暴力はふるわなかった。
自分の負けだからだ。
札付きのワルになるのに、時間はかからなかった。
なんだか嬉しい気分だった。
ざまあみろ、と思った。
鳶の仕事をしている。
けっこう金になるからだ。
仕事にあぶれた時は、ここに来る。
ここと言うけど、もうわかっただろ。
そう。し、ぶ、や。
ちょくちょく来ては、ハチ公の前に立つ。
あたりを見まわす。
分かりやすいだけに、待ち合わせをしている人が多い。
俺は、ぼんやりしているだけ。これといった目的はない。
知ってのとおり、若者の街だ。
思い思いのいでたちをした連中が闊歩する。
さてと、今日はどんな奴が現われるか。
信号が赤になり、人だかりができた。
その中に気になる奴がひとりいた。
若い女だ。
うわべはそう見える。
服装は、上下とも緑色で統一している。
パンツじゃない、スカートだ。
春なんだから、もうちょっとルンルンしたら、と思う。
もっと明るい感じの色を選べばいいのに、と言ってやりたくなった。
ピンクとか、赤とか。
やたらと、化粧が濃い。
俺のアンテナが、ピピピッと鳴った。
近頃は男か女か、表面だけでは分からない。
こいつは俺の好みかも。
面白そうだ。
声をかけてみようと、歩きだした。
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