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久吉は、М尋常小学校の四年生である。
翌日、月曜日の放課後。
秋篠川の土手にいる。
ソメイヨシノが等間隔に植えられている。
八分咲きになっている。
久吉は、勇気を奮い起した。
Мを呼びだした。
「おい、М」
「なに、おめえ、いま何て言った。もう一度いってみろ」
尻込みしそうになる自分を、やっとの思いでささえた。
「放課後、裏の土手に来い。話がある」
「おおっ、いい度胸や。よしわかった」
言えたのは、父のおかげである。
桜の木の枝に腰かけた。
見晴らしがいい。
校庭から甲高い声が聞こえてくる。
Мが歩いてくるのが見えた。
子分をふたり連れている。
卑怯なやろうだ。
一対一だぞ、といっておいた。
土手に上がって来た。
久吉がすわる枝の下を通りかかる。
「あのやろう、俺を呼びだしておいて、どこにもいないぞ」
「こわくてにげたんやろ」
「そうや。そうにちがいないで」
久吉はМの上にとびおりた。
土手を転がる。
川のほとりまで、組み合ったまま落ちた。
「お前たちはそこにいろ」
Мが子分に命令した。
叩きあいになった。
足でけり合っている。
「おめえやるじゃねえか」
Мが叫ぶ。
「おう。俺はいまから変わるんだ。もう言うこときかねえからな」
「なに、このやろう」
「やるか」
土手の上に、教練の先生が現れた。
「こらっ、お前たち、やめんか」
女の子がそばにいる。
先生に知らせたらしい。
同じ学年のA子だ。
「こっちへ上がって来い」
ふたりで先生の前に立った。
はあはあ言っている。
服が泥だらけだ。
「何でけんかしたんだ。いってみろ」
「言えません」
久吉が答えた。
「職員室まで来い」
巡査と同様に、先生は怖かった。
廊下に立たされた。
バケツを持っている。
Мが久吉をほめた。
「おめえのこと、見直したで。俺に向かってくるなんて。おらびっくりしたぞ」
「父ちゃんに銭盗ったとこ、見つかったんだ」
「そうやったんか」
「真っ暗な土蔵におしこまれた」
「へええ、こわかったろう」
「こわかねえや」
「重いなあ。落としてしまいそうや」
Мが弱音を吐いた。
手を放した。
ばしゃあん。
廊下に水がこぼれた。
「おい、逃げよう」
「あかん、逃げたら。あとが大変や」
職員室に行った。
久吉が言う。
「先生」
「何だ」
「水こぼしました」
「雑巾を持っていけ。よくふいとけ」
「はい」
「終えたら帰ってもいいぞ。もうケンカするな。親が心配するぞ」
「はあい」
ふたりは顔を見合わせた。
「なっ、正直に言うてよかったやろ」
「うん。お前の言うとおりや。あとで釣りにいくんやけど一緒にいこか」
「うん。いこいこ」
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2011年04月10日
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週末になると樹里はカメラを片手に郊外に出かける。
近い所だと自転車だ。
ペダルを踏むと心地良い。
体の芯があたたまった。
うつうつとした気分が晴れた。
「A町の淡墨桜が見ごろよ」
会社の同僚の利香が教えてくれた。
「あなたも一緒に行かない」
「あたしはちょっと約束があるの」
「あらそう。残念」
自転車じゃ行けない。遠いわ。
車で半時間くらいかかりそうだわ。
明日早速行ってみよう。
花が散る前に撮らなくちゃ。
朝から雨が降っている。
春の雨だ。
ひとしきり強く降った。
止んだ。
まるであたしのヒステリーのようだわ。
カーッとくるけどすぐに収まる。
Fがいなくなってから、症状がひどい。
五年も付き合ったんだもの。
忘れられない。
夢でいいから、出てきてくれないかな。
RV車で向かった。
お寺の裏に休耕田がある。
そこに車を止めた。
ワゴンが一台あった。
年輩の夫婦が三脚を後ろから取り出している。
「こんにちは。雨が上がって良かったですね」
「こんにちは。晴れないのが残念だけど、それなりにいいのが撮れるわね」
「はい、私もがんばります」
同じ趣味を持つ人は、だれでも友だちである。
桜の木の下に向かった。
中年の男とすれちがった。
Fに似ている、と感じた。
あたしは、ふっと笑顔になった。
男は怪訝な表情を浮かべた。
あたしってだめね。気をつけなくっちゃ。
まだFのことを、あたしは。
木の根元に立った。
古木である。
根元に大きな空洞があった。
こんなになっても、いっぱい花をさかせようと頑張っている。
いとおしく感じた。
かあって、内側が燃えるのかしら。
人間なら赤くなるのは分かるわ。
血が赤いから。
木を切ると、赤い樹液が出るのかしらね。
ほんとに不思議。
こんなに淡い紅色の花を咲かせるなんて。
幹に耳を当ててみる。
かすかにサラサラと、音がしたように思った。
樹里は、体の芯がほてってきている。
「こんにちは。いい写真が撮れましたか」
突然男の声がした。
先ほど道で逢った人だ。
「これから撮るんです。今木に挨拶をしていました」
「ええっ挨拶ですか」
「ええ、被写体になってくれてありがとうって」
「なるほど」
男は納得したような顔をした。
「きれいですねえ」
男は手を幹に触れた。
さすっている。
生きているんだよなあ。
男でもこんな人がいるんだ。
樹里は思う。
男が樹里の顔を見ないでいった。
「桜が話したら、どうでしょうね。なんて言うかな」
「どう。お気に召しましたか、って」
樹里は思わず笑った。
男も、声をあげて笑った。
「初めて逢った人に変な話をするんだけどね」
「ええ、なんですか」
男は迷っている。
「どうぞ。何でも言ってください」
「真夜中に、この桜の木の下で女の人が手を振っているのを見た人がいるんだ」
「ええっ、怖いお話ですね」
「うわさだけどね。ほら、あれ。お墓があるでしょ」
「火のない所に煙は立たないって、いいますよ」
男が十メートルくらい先を指差した。
「本当。気付きませんでしたわ」
角柱の石で囲まれた大きな墓地がある。
「怖いけど、なんだか素敵なお話ですね。未練があるから、そうやって出て来られるんでしょう」
「そうだろうね。男の幽霊が手を振ったって騒がれないだろうけど」
「色気がないわね」
ふたりはいつのまにか、気持ちが通じあっている。
あたしだって、彼に逢いたいわ。
手を振って招いてくれるんだったら。
一緒にあの世に行くのは、いやだけど。
ゴーストって映画を見たわ。
素敵だった。
ハートがじんじんしたわ。
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