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 ある日の夕方。 
 Мさん夫婦が、台所で話している。
 妻は、包丁をせわしげに動かしている。
 夫は、椅子に腰かけて一枚の写真を見つめている。
 「光男のことだけどさ」
 「なあに」
 「もう三十歳をすぎたよね」
 「三十二だわ。あなた自分の子なのに」
 「なんだか亡くなった親父さんに似てきたね」
 「そうかしら」
 「両手を後ろに組んで歩いたり、寝る前に服をきちんとたたんだり、それにタバコの吸い方まで。そっくりなんだ」
 「どうしてでしょうね。教えたわけじゃないのに」
 「三代目に似た子が生まれるって、昔からよく言うけどね」
 「聞いたことがあるわ」
 「身体つきが似るのは、納得がいくんだ。几帳面な性格までそっくりさんだ」
 「不思議だわねえ」
 「心までそっくり。どうしてこうなるのって、神様に尋ねてみたいよ」
 妻はウフフッと笑った。
 
 カチャと、戸が開いた。
 光男が入って来た。
 「ごはん、できた」
 「もう少しよ。せっかく来たんだから手伝いなさい」
 両手を後ろに組んで、鍋の中を眺めている。
 「あと五分したら、火を止めてね。テーブルを拭いてちょうだい」
 「はい」
 縦横にきちんと、拭きはじめた。
 
 「光男、この写真を見てごらん」
 父が言った。
 「この男の人は、だれなの」
 「お前のじいちゃんだよ」
 「若いね」
 「結婚式に撮ったんだもの。よく似てると思わないかい。誰かさんに」
 怪訝な表情をしている。
 テーブルを拭き続けている。
 「ねえ、おじちゃん」
 夫が声をかけた。
 光男は、あたりを見回している。
 
 
 新婚旅行は、有馬にした。
 関西の奥座敷と呼ばれている。
 日本最古泉である。
 一番歴史のある旅館に宿泊した。
 「ほならごゆっくり。あとは奥さんにお任せします」
 仲居がお茶の用意をして、部屋から出て行った。
 
 ふたりは、それぞれの想いを胸に抱いている。
 緊張のあまり、言葉が出ない。
 久吉が切り出した。
 「どうやこの旅館の感想は。気にいってもろたやろか」
 「はい。たいそう気を遣ってもらいまして。いいとこへ連れてきてもらいました」
 「喜んでくれて、俺も嬉しい。幼馴染やったけど、こんな世の中や。話も碌にでけへんかったな」
 「小学校の裏で、えらい取っ組み合いのけんかしやはったり」
 「そんなこと、まだ覚えているの」
 「ええ、そら、評判になりましたもの。弱虫の久吉がケンカしとるって」
 「それは、いいっこなしや」
 
 百合子が、部屋から廊下に出た。
 景色を眺めている。
 久吉がそばに寄った。
 百合子の手をにぎった。
 「この旅館は、えらい古いですね」
 「そうや。太閤はんが来やはった時に、建ったそうやから」
 「へえ、そうですの。格式があると思いました」
 「家は、新婚旅行は代々ここに決めてるんや」
 「そうですか。たいそうなことで」
 「百合ちゃんとこだって、お父さんが裁判所で働いてはるやろ」
 「ええ。固いばっかりの父で困ります」
 「大したものや。なかなかそういうとこで勤められるもんやない」
 
 「寒なったな。もどろか」
 「はい」
 部屋に入った。
 百合子が、お茶を入れる準備をはじめた。
 一杯目は、ぬるめにした。
 「ああ、おいし。喉が乾いてたから、ちょうどいい熱さや」
 二番茶は、少し熱めにした。
 ほんのりと、新茶の香りがする。
 「香りがええ。味もええけど」
 三杯目は熱い。
 「宇治茶の一番いいのを使っているみたいです」
 「さすがやな。天下一品や」
 「俺には過ぎた嫁はんや。百合子は。お茶の注ぎ方で分かる」
 「名前、呼んでくれはって嬉しいです」
 久吉は、百合子の手をとった。
 引き寄せた。
 
 夕食の支度ができた。
 山や海の幸をふんだんに味わった。
 百合子は、久吉のコップにビールを注いだ。
 手が震えた。
 「百合は、可愛いな」
 ぽっと顔が赤くなった。
 「御馳走様でした」
 「うまかったか」
 「ええ」
 「休んだら、お風呂、先に入ってきてや。家族風呂を頼んどいた。分からへんかったら、仲居さんに尋ねて」
 「わかりました」
 「俺は、ちょっと調べものがあるんや」
 「まあ、新婚旅行やのに」
 久吉は、苦笑いしている。
 「悪いな。県の仕事やろ。入ったばかりで、なかなか納得できんことが多いんや」
 
 食用油が、工場で大量に造られるようになってきていた。
 油屋の商いが、苦境に立たされていた。
 久吉は、勤めにでることに決めた。
 「頼もしいお人ですこと。ほなら、先にいただいてきます」
 「どうぞ」
 久吉は、土木課に配属された。
 几帳面なところが認められた。
 業者の出入りが多い。
 接待されることがあるから、節度を守るようにと、上司から注意があった。
 金品は、絶対に受け取らぬようにしなさい。
 きついお達しがあった。
 先輩の中には、身を崩す人がいたようだ。
 業者連中が談合せぬように、監視する役目のいったんを担っている。
 重要な仕事であった。
 
 百合子が戻って来た。
 「すみません。お先です」
 「ああ、もう出てきたんか。早かったな」
 湯上りの百合子の体は、薄桃色になっている。
 甘い香りがした。
 うなじがきれいだ。
 久吉は思った。
 「それじゃ、湯につかってくるから」
 「いいお湯ですよ。ごゆっくり」
  百合子は、服をたたんでいる。
 初めての夜である。
 母の言いつけを思い出していた。
 半時間後。
 久吉が、部屋に戻った。
 布団がふたつ並んでいた。
 部屋の隅で、百合子が正座している。
 
 
 
 
 

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