過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

鬼火 その7

 暗い闇の中に、足音が響いている。
 若い男が竹林の小路を走っている。
 駆けだしてから、およそ十分たっている。
 それほど汗が出ていない。
 ほとんど贅肉が付いていない体である。
 マラソンランナーだ。
 独身である。
 最近、Т橋近くのアパートに市街から移り住んだ。
 この辺りは、走るのに都合がいい。
 街を少し外れると、車が少ない。
 そう思って、選んだ。
 
 不意に街灯の下に、人影が見えた。
 午後十時前だ。
 今頃誰だろう。俺のようなモノ好きは、どこにでもいるだろうが、と不審に思った。
 男は走るのをやめた。
 歩きはじめた。
 あっと言った。
 若い女だったからである。
 女ひとりで散歩でもないだろう。犬を連れている訳でもない。
 世の中には変わった人がいるものだ、と思った。
 
 マフラーをしている。
 頭からかぶっているので、顔はよく見えない。
 近づいて行く。
 女が手招きをして、後ずさって行く。
 竹藪の中に誘っている。
 何だ、変な奴だな、と思う。
 好奇心が打ち勝った。
 女が言った。
 「あたし、とってもさびしいのよ。慰めてちょうだい」
 随分はっきりと、モノを言うもんだと思う。
 男も独り身である。
 キツネに化かされているかもしれないが、応じることにした。
 幽霊ではなさそうだ。足が付いている。
 男は少年時代を想い出していた。
 川沿いの葦の茂みの中に、隠れ家を作ってあそんだ。
 女も藪の中に、大人がふたりくらい入れる大きさの隠れ家を持っていた。
 外からは、そこに人がいるとは分からない。
 竹の葉がマットの役目をしていた。
 その上で愛し合った。
 最中に、女がうわごとを言った。
 「嬉しい。いとしい、いとしい貴方様に、ようやく巡り合うことができました」
 男は二度、三度と抱いた。
 女は眠ってしまった。
 
 男は藪から出た。
 キツネじゃなく人間だった。やれやれ助かった、と思った。
 衣服に付いた枯れ葉をはらった。
 歩いてもとの小路にもどる。
 振り返った。
 藪の上に、光玉のような物が尾を引いて浮かんでいる。
 男は、さては、と思ったが、
 「まあ、いいか。お互いに慰め合ったのだから」
 と、若者らしいドライな気持ちで言った。
 「さあ、もうすぐゴールだぞ」
 自分に言い聞かせた。

闇鏡

 右手で手鏡を持って、Т子は自分の顔をのぞいた。
 眼差しが輝いている。
 今までは、心の憂いが表情に現れているかもしれない、と怖がっていた。
 今回は、危ういところで、大切な人を失くすところだった。
 自分の意識がとどかない心の闇は、つくづく恐ろしいものだと思った。
 考えすぎる自分の欠点を、М子の応援や祖母の言葉でクリアできた。
 
 Т子は、Sをずっと愛していた。
 Sも同じように、自分のことを想っていてくれるものと信じていた。
 五月の最初の日曜日だった。
 曇り空である。
 私鉄のL駅の上りホームに立っていた。
 D町のあるデパートで、衣料品のバーゲンセールを開催する。
 その初日であった。
 開店と同時に入りたかった。
 初夏向きのТシャツが、ほしかったのである。
 
 電車がホームに入ってきた。
 鎌倉方面に向かう客で混雑していた。
 昇降口の近くに立つことにした。
 次の駅で降りるからである。
 吊革につかまり、何気なく外を見た。
 向かいのホームにいる男が気になった。
 Sだった。
 そう思った。
 女と連れだっている。
 手をつないで歩いている。
 微笑みあっていた。 
 寄り添って、キスをかわした。 
 やっぱりそうなんだ。あたしの胸の内がざわつくと、いつも何かが起こる、とТ子は思った。
 心の中で、何かがバチンとはじけた。
 電車が動きだした。
 彼らの姿が視界から消えるまで、Т子はずっと見つめていた。
 
 翌週の月曜日。
 Т子は、お茶当番だった。
 早めに出社した。
 「おはよう、Т子。調子はどう」
 同期のМ子が気遣ってくれた。
 「おはよう」
 М子は営業部に所属している。
 Т子は総務部だった。
 М子は、いつも微笑んでいる。
 明るい性格のおかげで、得意先の受けが良かった。
 「どうしたのよ。さえない顔してるわ」
 「そおう」
 「そうよ。もうじき結婚するって人が、そんなんじゃね」
 「ううん」
 「彼とケンカでもしたの」
 やはり顔に出るんだ、とТ子は思った。
 「目は心の窓だよ。気をつけなさい」
 去年亡くなった祖母が言い残した。
 
 「ううん。別に」
 Т子が、間をおいて答えた。
 「煮え切らないのね。良かったら何でも言ってね。あたしは今まで、随分あなたに力を貸してもらったんだから。恩返しをしなきゃと思っているんだ」
 М子が励ます。
 「ありがとう。そう言ってくれるだけで嬉しいわ。でも、今回は自分で解決したいの」
 「それなら仕方ないけど。がんばってね」 
 Sは、М子と同じ部署であった。
 М子の上司である。
 「おはようございます、係長」
 「おはよう」
 「Т子にあいましたわ」
 「そう」
 「それだけですか」
 Sは、怪訝な表情を浮かべた。
 「それだけって、どういうこと」
 「Т子、元気なかったですよ。六月には、花嫁になるっていうのに」
 「どうしたんだろうね。あとで尋ねてみるよ」
 「それはそうと、今日の仕事の段取りはついたの」
 「はい。午前十時にA社のBさんとお会いすることになっています。午後は二時にC社に出向いて、新発売の事務用品の売り込みをする予定です」
 「がんばってくれたまえ」
 「はい」
 
 お昼休み。
 Т子とSは、屋上にいる。
 手すりによりかかって、海の方を眺めている。
 ふたり並んでいる。
 「元気ないんだって。М子が心配していたよ」
 「気になる。あたしのこと」
 「気になるさ。当たり前だろ」
 「そうかしら」
 「あなた、あたしのこと、本当に愛してくれているの」
 「俺が信じられないんだ」
 Т子は遠くを見た。
 「あたし、見ちゃったのよ。あなたを。L駅のホームで、女と仲良くしているところを」
 「ええ、そんな」
 「日曜の朝よ」
 「誰かと見間違えたんじゃないか。ずっと友だちのBとテニスをしていたんだから」
 「そうなんだ。テニスをね」
 人違いをするわけがない。
 彼の体の隅々まで知っているんだから、あたし。愛するって、そういうことだもの。
 Bに聞いても、ムダなことである。口裏を合わせているかもしれない。
 そう思った。
 
 Т子は、ひとりで海岸にいる。
 断崖に立っている。
 波が岩にくだけている。
 夕陽をじっと見つめている。
 風が出てきた。
 長い髪がなびいている。
 涙が頬をつたう。
 小指のエンゲージリングをぬきとった。
 
 左手に持っていたバッグの中で何かが、キラッと光った。
 愛用の手鏡だった。
 
 夕陽が当たった訳でもないし、何かのお告げかしら、と思った。
 ひょっとしたら、彼の事。あたしが見間違ったのかも知れない。
 あたしって、独りよがりなところが昔からある。
 結婚を控えて、ちょっとのことでも、とても感情的になっていた。
 「妄想するなかれって、お釈迦様がおっしゃっているよ」
 「何だって人を疑うからには、とことん納得するまで調べてからにしなさい」
 祖母は、色んなことを教えてくれた。
 「あたしが、幸せになれるかどうかの瀬戸際よ」
 そう声に出した。
 手鏡が、リングを投げるのを思いとどまらせてくれたんだ。
 バッグから取り出した。
 顔の前にかざす。
 あたしの顔が明るく見えた。
 「明るいのよ、あたしの前途は」
 「闇の向こうには、光の世界が広がっているんだ」 
 「あたしは幸せになるんだ」
 海に向かって、大声で叫んだ。
 鏡面が夕陽をあびて、キラキラ輝いていた。
  
 
 
 
 

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事