過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

鬼火 その12

 H病院の白い壁にも、夕陽が当たっていた。
 淡い紅色に染まっている。
 哲夫の父、三郎は屋上にいる。
 未だに肩の包帯は取れないが、傷はかなり癒えてきていた。
 左腕を右肩から支えている。 
 金網越しに、沈みゆく太陽を妻の芳江と眺めている。
 「あなた、とってもきれいね」
 「そうだな」
 「あたし小さいころから不思議だったのだけど」
 「何がだい」
 「どうして山に沈むときは、昼間よりもお日様が大きいんだろうって」
 「そう云われればそうだな。俺だって理由はわからん。大きさは変わらないんだろうが。理科の先生にでも尋ねてみるか。それはそうと、哲夫と真理子は、うまくいっているのか」
 「ええ、まあ」
 「何か具合がわるいことでもあるのか。子供のことだ。かまわないから何だって話しなさい」
 「ちょっと真理子が」
 「真理子がどうしたんだ」
 芳江が、三郎の剣幕に少したじろいだ。
 「あっ、ごめんごめん。怒っているわけじゃない」
 「夜なかに外出するようなので、哲夫が心配で、お母さんに相談したらしいんです」
 「ばあちゃんにか」
 「はい」
 「ちょっとやっかいだな。ばあさまも嫁に来たばかりの頃に、いま、真理子が直面しているようなことを体験したらしいんだ。六十年も前の話だがな」
 「あたしは、何事もなかったんですけどねえ」
 「良かったな、お前は何事もなくて」
 「お母さんは、哲夫を励まされたようです。しっかり嫁をまもってやれと」
 「ううむ」
 「今日の夕方、街の占い師の所に立ち寄ると、お母さんには言ってでたようです」
 「芳江、俺は何だか胸騒ぎがしてならないんだ。父子は遠く離れていても、どこかで気持ちが繋がっている」
 「そうでしょうね。男同士ですもの」
 「どこの占い師だ」
 「なんでも祇園近くで、有名だそうですよ」
 「そうか。それだけ聞けば充分だ。京の母だ。よく当たるが、哲夫は事によると命がけになる」
 「ええ。命がけですって」
 芳江の顔色が変わった。
 
 階段に通じるドア付近で、声がした。
 「お父さん」
 娘の敏子だった。
 息をきらしている。
 「看護婦さんに聞いたら、ここだといわれたのよ」
 「仕事の帰りでしょ。今日は早く終わったのね」
 「早びけさせていただいたのよ。普段はめったにしないから、上司はすぐにОKしてくれたわ」
 「そう。良かったわね。芳江、悪いけど先に部屋に戻ってくれない」
 「ええ。今来たばかりなのに」
 「Тさんの奥さんが、お見舞いに来て下さったのよ。お花いただいたわ。花瓶の花を取り換えてほしいの」
 「わかった。まったくあたしがお邪魔みたいね」
 三郎が微笑んだ。
 「頼むよ、としちゃん」
 「はあい。おとうさま」
 「芳江。お前も子供のあしらい方がうまくなったな」
 「敏子に心配かけたくないから」
 「そうだな。急いで部屋にもどるぞ。やることがある」
 三郎は、一歩足を踏みだしたとたんに、雪駄のひもが音を立ててきれた。
 嫌な予感がした。
 「てつお。待っていろ。今行くぞ」
 裸足でかけだした。
 「あなた、ドアの所にスリッパがありますよ」
 エレベーター前は人であふれていた。
 ふたりは階段を降りることにした。
 危うく転げ落ちそうになった。
 
 部屋に戻った。
 敏子の姿はなかった。
 小さなテーブルの上に置手紙があった。
 「彼と約束があります」と、書かれてある。
 芳江がその手紙をにこにこしながら読んでいる。 
 三郎はベッドの上で、はあはあ言っている。
 看護婦さんが来た。
 「どうしたんですか」
 「ちょっと駆け下りたもので」
 「まあまあ元気なこと。血圧と体温を測ろうと思ったけど、これじゃちょっと無理だわね」
 「すみません」
 「奥さま、旦那さんを見張っていてくださいね。遊びに出歩かないように」
 看護婦が微笑みながらいった。
 「明日の朝来ます。お休みなさい」
 ドアを開けて出て行った。
 「芳江。俺は今から瞑想する。絶対に話しかけるな。意識がほかに飛んでいるからな。うわごとを言うようなことがあっても、かまうんじゃないぞ。哲夫を助ける」
 「わかりました」
 「俺と哲夫の無事を傍らで祈ってくれ。心配するな。必ず目覚める」
 三郎は、静かに両の目を閉じた。
 
 
 
 
 

鬼火 その11

 シャワーを浴びてきたものの、汗の匂いが胸元から立ちのぼってくるのを感じた。
 作業着が汚れていた。 
 哲夫は、占い師に気をつかった。
 「すみません。仕事帰りに立ち寄ったもので」
 彼女は無言で、じっと水晶玉を見つめている。
 お香が焚かれているんだから、気づかいは無用だったか、と思った。
 哲夫の緊張度が増した。
 手に汗をかいている。
 しょうがないなあ、俺は女の人の前では、いつもこうだ。
 気楽にいられないんだからと、しきりに反省している。 
 
 「気を鎮めなさい。水晶玉を見つめなさい」
 占い師がおごそかに言った。
 蝋燭の炎だけが、水晶玉の中で揺らめいている。
 女と男の顔がゆがんで見えた。
 女は、目を細めたり丸くしたりしている。
 時折呪文をとなえている。
 両手を摺り合わせている。  
 哲夫の気持ちが落ち着いて来た。
 心の「池の水面」がないできた。
 鏡面のような状態になった。
 興奮がおさまった。
 「いよいよです。これから、真理子さんに憑依している霊が現れます」
 「その霊に、あなたの思いのたけをぶつけてください」
 「はい」
 「私はあなたを助けることは出来ません。祈ることが出来るだけです」
 「わかりました」
 「尋常な相手ではありません。覚悟して闘いにのぞんでください」
 「あなたの想いが天に届くことを願っています」
 哲夫は胸の鼓動が高まって来た。
 恐れよりも勇気が上回っている。
 妻をいつくしむ気持ちが強いからであった。
 呪文が大きくなってくる。
 水晶玉の中の風景が、嵐に巻き込まれているようだ。
 走馬灯のように回りだしている。
 混沌としている。
 哲夫は、心地よい香りに浸っている。
 自分の意識が、すうっと水晶の中に入って行くように思えた。
 「生きすだま」が体から抜け出していった。
 混沌のなかへ入って行く。 
 
 哲夫の体だけが、空しく、椅子に腰かけている。
 占い師と受付の女性が、そばにあったベッドに彼の体を横たえた。
 いつか哲夫の脳裏に浮かんだ黒雲が目の前にあった。
 彼の生きすだまは、光を放っている。
 真理子に対する想いが、強ければ強いほど輝くのだ。
 それが哲夫の唯一の武器であった。
 積乱雲に近づいて行く。
 黒雲が光を受けて、ちぎれ飛ぶ。
 強い風が突然、哲夫に向かって吹いた。
 夜叉が吹きかけている。
 哲夫はそう感じた。
 雲の奥から、遂に姿をあらわした。
 十二単衣を羽織った姫様であった。
 「おまえは、わたしの邪魔をしようというのかえ」
 哲夫は言った。
 「あなたですか。私の妻にとりついているのは。お願いです。どうか、出ていってください」
 光にはばまれて、夜叉は、哲夫にそれ以上近づくことができないでいる。
 長い黒髪を振りみだしはじめた。
 重ね着をした衣が風にあおられている。
 顔が、鬼面に変わっている。
 「だめじゃ。六十年、待ったんだ。わしはこの世にいるときに愛しい方がおってのう。添い遂げることが出来なかかったんじゃ。その想いが強すぎたせいで、こうして千年たっても成仏できずにおる。苦しくてたまらん。男と交われば、一時でも心が安らぐのじゃ」
 「真理子は嫁にきたばかりでございます。どうぞ許してやってくださいませ」
 「ええい。ならぬものはならん。ようやく乗り移れる魂を見つけたのじゃ」
 夜叉は、懐刀を右手で取りだした。
 鞘をはらう。
 キラリと光った。
 
 

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事