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百合1−1

 五月の最後の日曜日。
 昨夜から雨が降っている。
 午後になって、雨脚が強くなった。
 釜川の水位が上がっている。
 土手の柳が、風で横になびいている。
 南から台風が近づいているのだ。
 陽子は、昔のように不安な気持ちには
ならない。
 そばに男がいた。
 一郎がいる。
 先だって、魚芳でたまたま出逢った。
 話しあいの結果、復縁することにした。
 娘の穂の香は、昨秋結婚した。
 今の幸せな気分が、お天気が悪いくらいの
不快感をふきとばしていた。
 昨夜の客の接待で、疲れた体を茶の間で横たえている。
 お店に出かけるぎりぎりまで、今日はそうしているつもりだ。
 一郎は、U駅の構内にある鮨屋で勤めている。
 客が市の郊外に、車で買い物に行ってしまうようになった。
 О通りに客足がとだえた。
 魚芳は暖簾をおろした。
 
 カラオケパブ「美咲」に、灯りがともった。
 ママは、ホステスをふたり増やした。
 カウンターの中でママと陽子、すなわち百合が話をしている。
 「今夜は客の入りは、どうかしらね」
 「足元が悪いから、あまり期待できそうにありませんわね」
 「でも分からないわよ。結構常連さんが増えたわ。
みんなが頑張ってくれてるおかげだわ」
 「そう言って下さると嬉しいですわ」
 バーテンダーさんがグラスをふき終えた。
 今度は、カウンターの上を丹念に拭いている。
 ママが言った。
 「Fさん、今夜もよろしくお願いしますね」
 返事の代わりに会釈をした。
 「昔のお客さんと比べるのはどうかと思うけれど、
上手にお酒を飲める方が少なくなったわね」
 「不景気がずっと続いている上に今度の大震災でしょ。
日本中どこでもシュンとしちゃったわ」
 チャリン。
 ドアの鈴音が、心なしか重く響いた。
 「いらっしゃいませ」
 ママが言った。
 初めての客である。
 暗い表情をした中年男であった。
 足元が濡れている。
 靴が泥だらけである。
 店の奥にすわった。
 百合がぬかずいて、おしぼりを手渡した。
 潮の香りがした。 
 「ありがとう。ビールをジョッキで頼む」
 「ありがとうございます」
 上着の内ポケットから手帳を取り出した。
 ボールペンで、何やら書き込んでいる。
 男の眼が充血している。
 女の直感は鋭い。
 この人は哀しみを背負っている、と思った。
 「お靴拭いてあげますわね」
 「うん。悪いね。ありがとう」
 靴を脱いで、スリッパに履き替えた。
 手帳の上に涙が落ちている。
 百合はママに言った。
 「ちょっと放っておいてあげたらいいんじゃないの」
 ママが応えた。
 男はジョッキのビールを、一気に半分飲みほした。
 ペンを右手に持ったままで、考えこんでいる。
 
 チャリン、チャリン。
 軽い鈴の音だ。
 常連の義男さんが、三人連れで入ってきた。
 百合のお気に入りである。
 気分が軽くなった。
 従業員三十人のネジ工場を経営している。
 東南アジアにも工場がある。
 月に一度は、飛行機で通っている。
 ママが話しかけた。
 「義男さん、しばらくですわ。お仕事、お忙しいようで
結構なことですね」
 「そうなんだ。今日は下請けの社長、ふたりといっしょだ。
よろしく頼むよ」
 「ええ。こちらこそよろしくお願いたします。
ご指名はございますか」
 「百合ちゃんは」
 「ちょっと、先のお客様に付いていますので。
すみませんね」
 「新人さんがふたりいるのですが、よろしいですか」
 「じゃあ、ふたりともよんでくれ」
 「ありがとうございます。えみちゃん、りっちゃん。
ご指名ですよ」
 ふたりが、店の奥からドレスアップした姿で現れた。
 えみはオレンジ、りつ子は黄色のドレスに身を
つつんでいる。
 「はじめまして。どうぞ、ごひいきに」
 ふたりそろってお辞儀をした。
 ふたてにわかれて、接待をはじめた。
 
 店の奥にひとりでいた男が、突然立ち上がった。
 「勘定を頼む」
 レジの前に立った。
 百合は、足元に靴をそろえた。
 「ありがとう。親切は忘れないよ」
 ぽつんと言った。
 ドアから外に出た。
 百合は、テーブルの上に手帳を見つけた。
 広げたままであった。
 家族らしき名前が、みっつ書き連ねてある。
 いずれの名の上にも、バツが記されていた。
 住所はМ県であった。
 百合は、はっとした。
 一瞬で、すべてがわかった。
 男の後を追った。
 懸命に走った。
 О通り方面に、釜川沿いを歩いていた。
 背中がさびしかった。
 「お客様、お忘れ物ですよ」
 「ありがとう。わざわざ届けてくれて。大切な物なんだ」
 「どうぞ、よろしかったらまたお越しくださいね。
お待ち申しております」
 百合は丁寧に頭を下げた。
 男の眼が、涙できらりと光った。
 
 

若がえる2−1

 部屋の北側は階段の踊り場になっている。
 明かりとりの窓が付いていた。
 窓の隙間から風が吹き込んできた。
 襖が時折揺れた。
 若いМが食べた菓子パンの袋を見たら、腹が減って来た。
 昼から何も食べていなかったのを、思い出した。
 
 「さてと、何か食べてこようか」
 声に出していった。
 「ハンガーにかかっている上着の右ポケットに財布があります。一万円入っています。
 どうぞ自由に使ってください。故郷から、月に二万円送って来てくれています」
 若いМが、心の中でささやいた。
 「なんだか、すまんのう」
 年老いたМは、そのことはよく覚えていた。
 母がパートの仕事をはじめた。
 慣れない仕事で苦労をしながら、生活費を送ってきてくれていた。
 涙がこぼれそうになった。
 涙腺がゆるんだ。
 「八十歳を過ぎたが、まだ母も父も元気なんだ」
 「ええ、そうなんですか。それを聞いて嬉しいです。分からないことがあれば、何でも言ってください。声にだしていただいたほうが、あなたの想いが鮮明に伝わってきます。それから、ひとつだけ聞いておいていただきたいことがあります。この日曜にデートの約束をしています。東北出身のK子さんです。一歳、年下です。K川にかかる橋を渡ってください。すぐ左に小公園があります。そこが待ち合わせ場所です。午後一時です。よろしく」
 「デートか。なかなかやるな。わしはどうも苦手だ」
 「大丈夫です。おまかせします。あなたのほうが、ずっと人生経験が豊かです。ぼくは高校生の時分から女性とつき合ったことがなく、頭の中で勝手に理想像を創りあげてしまいました。おかげで関係がぎくしゃくしています」
 「若いからな。しょうがない。わしがうまく取り計らってやるから。K子さんのことはわしも少しは覚えておるから」
 「お願いします」
 
 五月の下旬である。
 山あいの街は、肌寒く感じられた。
 Мは上着を借りて玄関を出た。
 「ちょっと出かけてきます」
 おばさんに言った。
 「気をつけてね。さっき部屋が騒がしかったようだけど、大丈夫だったかい」
 Мは、一階に物音が聞こえていたんだと、一瞬ひやりとした。
 「ええ、すみません。椅子がひっくり返ったものですから」
 「それならいいけど。気をつけて行ってらっしゃい」
 Y小学校前を歩いて行く。
 すぐに三差路に出た。
 Т市の繁華街は、おおよその見当はついている。
 食堂は、まっすぐこの通りをくだればいい。
 そう覚えていた。
 三差路に立って、右を見た。
 辺りは暗い。 
 街路灯だけがたよりだった。
 Мは目を細めて見た。 
 左側に消防署があった。
 赤い車がノウズをならべていた。
 真向かいは、市役所である。 
 市の中心である。
 山があったはずだ。
 頂上付近が明るかった。
 月が出ていた。
 
 「よくおぼえていらっしゃいますね」
 「おお、お若いの」
 「わしの記憶も、まんざらでもないわい。もっとも最近のことは、すぐ忘れてしまうがのう」
 あっはっは。
 通りの端で、大声で笑った。
 誰かがМに声をかけた。
 「よお、エム君じゃないか」
 すぐには返事ができない。
 うろ覚えである。
 英会話クラブの先輩ですよ。Fさんです。
 声があった。
 「先輩、こんばんは」
 「一瞬黙ってしまうんで、心配したよ。次期部長なんだからな、きみは。しっかり頼むぞ」
 「はい。わかっております」
 Мは半信半疑のままで、生返事をする。
 「飯を食いに行くのか」
 「ええ」
 「よかったら一緒に行こう。話がある」
 Fは自転車をおりた。
 肩を並べて、坂道を下って行った。
  

雄たけび

 О通りの真ん中あたりに、歌声喫茶店がある。
 二階席は、ヴェランダが付いている。
 興がのると、若者は通りの方を向いて大声で歌いだす。
 女性が通ると、冷やかす者もいる。
 どう見ても、酒がはいっているとしか思えない。
 動物園のチンパンジーが、見物客を相手に、牙をむいてほえたてるのに似ている。
 節電のお上げで、通りは八時を過ぎると薄暗い。
 その夜も、若者たちがヴェランダに出て騒ぎはじめた。
 声をそろえて、がなりたてる。
 スピーカーから、声が出ているようなものである。
 辺りは静まっている。
 
 久しぶりに、О通りをKは散策している。
 あまりの変わりように驚いている。
 三十年前は、もっと人間らしい、恥じらいを知る街であった。
 Т県一の文化都市であった。
 男たちの声に驚いて、若い女性は足を速めた。
 途中から駆け足になった。
 ヒュウヒュウと口笛を吹き鳴らしている。
 さんざんな通りになってしまったな、とKは嘆いた。
 まったく、窮すれば鈍すだ。
 俺たちの知っている歌声喫茶とは全く違うな。
 ロシア民謡といった静かな曲を斉唱したものだった。
 時代が変わったんだなと、考えるしかなかった。 
 あんな形でしかストレスを発散出来ない若者も、哀れと言えばあわれであった。
 ここ十年で、閉じる店が続出した。
 一流どころは、逃げ足がはやかった。
 気が付くと、夜中は酔っ払いが闊歩するだけの通りになっている。
 怖がって、女性たちは誰も近づかない。
 ますます通りは、さびれていった。
 店の三階に住む年輩の女性が、バケツにいっぱい水をくんで窓際に立った。
 窓を静かに開けた。
 下に水をぶんまけた。
 すぐに窓を閉めた。
 不意に大声が止んだ。
 Kは不審に思って、見上げた。
 若者たちが、濡れネズミのようになって上を見上げている。
 
  Kは、思い切って店に入った。
 二階にあがる。
 この事態を放ってはおけない。
 遺恨がのこる。
 あの若者たちを、このまま見過ごしておくわけにはいかない。
 これからまだ人生は長い。
 そう思った。
 マスターに訳を話した。
 ソロをやらせてもらうように頼んだ。
 優しい風貌の六十がらみの男である。
 すぐにKと意気投合した。
 ヴェランダにいる者は、どうしたらいいかわからず、寒そうに震えていた。
 マスターから、タオルを一枚ずつ渡してもらっていた。
 「やりすぎだったぞ。いい薬だ。俺の言うことを聞かなかっただろ、お前たちは」
 「すみませんでした」
 「三階のおばさんには、俺からあやまっておく」
 「早く帰って風呂でもあびろ」
 「はい」
 いっせいに、返事をした。
 「その前に、ちょっとだけお前たちの耳を貸せ。昔の歌声喫茶がどんなものだったか、聞いてみなさい。ひとりの人生の先輩に歌っていただく。それじゃ、お願いします」
 Kがマイクなしで歌いだした。
 部屋にいる者たちの心に、哀愁の気分がしみる。
 
 夜霧のかなたへ 別れを告げ おおしきますらお いでてゆうく
 窓辺に またあたく ともしいびいにい つきせえぬ おとおめえのお 愛のかあげえええ
 
 若者たちは、しんみりしている。
 聞き入っている。
 Kもマスターも、この子たちはまだ大丈夫だ。
 それぞれに希望が持てる。
 そう感じていた。
 
 
 
 
 
 

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