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桜子 その12

 薄暗いバーのカウンターの止まり木に、並んで腰かけている。
 「さっきのお料理、とてもおいしかったです。ごちそうさまでした」
 桜子は、栄一に向かって軽く頭を下げた。
 Aとは、栄一のことだ。
 「なんや、他人行儀やな」
 「せやかて、他人ですやろ」
 「そら、そうや」
 栄一は、右手で桜子の左手を、カウンターの陰でにぎった。
 桜子は、その手を軽くつねってみた。
 大げさに痛そうな顔を、栄一はした。
 「えらい機嫌がわるいんやな。先が思いやられるわ」
 「女は、こわいんでっせ。気いつけておくれやす」
 本気で怒っているわけではない。
 「さくらちゃん。何飲む」
 栄一が、やさしい声をだした。
 「そうですわね、何をよばれたらええんですやろなあ」
 桜子はわざと、かまをかけるように言った。
 今晩、どこかで泊まりたいのが、栄一の本音だ。
 最後には、いいなりになるにしても、できるだけじらしてやりたかった。
 「お酒のまへんか。わてが、なんぼでも介抱したるさかい」
 栄一は、桜子の耳元で、ささやいた。
 「ほら、きた」
 「何がきたんや」
 「赤鬼さんや」
 「どこにいるんや」
 栄一は、首を大きくまわした。
 「わかってるくせに、何をばっくれていらっしゃるの」
 「ばっくれるって」
 栄一は、桜子とのやり取りを楽しんでいる。
 桜子の身体の隅々まで知っている、という自信があった。
 
 顔じゅう髭だらけのようなバーテンが、にこにこして寄って来た。
 その様子が、桜子はおかしかった。
 「ウイスキーをロックでふたつ」
 栄一は、桜子の顔を見ながら、頼んだ。
 「飲みませんよ、わたしは」
 桜子は、プイと横を向いた。
 栄一の右手が、せわしなく動いている。
 桜子の左手の甲を、やさしくなでていた。
 以前のように、上に行ったり、下に行ったりはしない。
 桜子は、余計なことは、話さなかった。
 「どうぞ」
 グラスが、目の前に置かれた。
 左手に持って、グラスをゆすった。
 ころころと、音がした。
 天井のライトの灯りが、グラスの氷に反射している。
 きらめいていた。
 琥珀色。
 桜子は、この色が大好きだった。
 もちろん、慣れ親しんだものだからだが、それだけではない。
 幼い頃から目にしてきたというか、自分の性分にしっくり合っているように思えた。
 ふふっと、微笑みがもれた。
 栄一は、見逃さなかった。
 「笑ってくれたね」
 グラスをつかんだ桜子の手をそっとにぎった。
 
 黄色くみのった稲穂の上を、トンボがいっ
ぱい飛んでいる。
 時々、強い風が吹きすぎて行く。
 稲穂をかりとって、株だけになった田んぼ
の中を、ぼくはトンボをとろうと、虫取り網を
もってかけまわっている。
 きょうは、どうしたことか、いくらかけまわっ
ても、一匹もとれない。
 おそらく風のせいだろう。
 とまったところを、さっと網で横からすくう。
 風が強いので、長くとまっていない。
 すくう前に逃げてしまうんだ。
 ぼくの目の前には、大人たち四人のお尻が
ならんでいる。
 かがみこんで、稲穂を刈り取っている。
 ざくざくざく。
 ざくざくざく。
 小気味良い、かまの音がする。
 「遠くへ行ったらあかんで」
 ふいに母ちゃんの声がした。
 五歳になったばかりのぼくを心配そうに見
つめている。
 「うん。わかった」
 ぼくは、すぐに返事をした。
 麦わら帽子の下の手ぬぐいで、流れる汗を
ふいている。
 家を出るときは、きれいだった白い顔が、真
っ赤に変わっていた。
 下ばかり向いているせいかなと、思う。
 何でかというと、逆立ちをすると、顔が真っ赤
になるんだ。
 稲刈りは、半分、逆立ちだ。
 トンボは、ちょうちょより、取るのがうんとむ
ずかしい。
 飛ぶのが、はやいからだ。
 運のいい時は、手だけで取るやり方もある。
 とまっている目玉の先に右手の人差し指を
もっていって、グルグル回す。
 トンボがふらふらした所を、さっと左手でつ
かむんだ。
 ぼくの夢は、おにやんまをとることだ。
 でも、あんまり見かけない。
 見つけても、遠い空の上だ。
 すううっとおりてきたところを、ねらうしかない。
 小さなぼくには、ちょっと無理なんだ。
 トンボ取りに夢中で、ぼくは、自分がどこにい
るのか分からなくなった。
 稲穂が、ぼくをかこんでいる。
 母ちゃんの姿が見えない。
 ぼくは、心細くなった。
 落ちつけ、落ちつけと自分に言いきかせた。
 それにもかかわらず、胸がどきどきしてくる。
 いつのまにか、ぼくは泣き顔になっている。
 あぜにすわりこんでしまった。
 両膝を立てて、頭をつけた。
 ふいに、何かが髪の毛にとまった。
  髪の毛を細い足でつかんでいる。
 そっと、網を右手に持つと、ばさっと頭にかぶ
せた。
 何かわりと大きい虫が、網の中であばれてい
るのがわかった。
 逃げられないように、両手で網を袋のように
した。
 夕陽にすかしてみた。
 大きな赤いおにやんまだった。
 
 竹下通りの若者に人気のあるアクセサリー
ショップで、ルリとサチが、微笑みながら、買い
物を楽しんでいる。
 ルリが、サチの左手をにぎっている。
 日曜の夜は、更けていった。
 午後十時をまわっている。
 キリオは、離れた所でふたりを見つめている。
 ルリの下働きだ。
 突拍子もないことをたまにはやらかすが、根は、
優しい。
 これから彼女がどうするのか、気遣っている。
 実家に帰るのかどうか。
 帰るのであれば、列車の時刻が気がかりだ。
 この時刻だと、JRは、ちょっと無理だ。
 今晩は、どこかに泊まって、明日の朝、早く帰
るのであれば、宿の手配をしなくちゃならない。
色々と面倒を見なくてはならないだけに、気を
もんでいる。
 ルリは、大したことをやってのけてはいるが、
まだ二十歳に満たない。
 キリオが、ルリのそばに寄った。
 「あねさん」
 まわりの客が、驚いてキリオを見た。
 ルリは、低い声で、
 「ばかだな、あんた。場所柄を考えてしゃ
べったらどうなの」
 「すみやせん、つい、いつもの調子が出て
しまいました」
 キリオは、首のあたりをおおげさに何度も
さすった。
 「これから、どうなさるんで」
 ルリは、キリオではなく、サチの方を見た。
 どうするという顔を向けた。
 サチは、
 「あたしのアパートに泊まっていったら」
 と、うながした。
 「いいの」
 「うん、いいわよ。あたしたち、友だちに
なったんだからね」
 うふふふっと笑った。
 「おなか、空かない」
 ルリが、サチにたずねた。
 「さっき大した労働をして、身体をつかっ
たから、ぐうぐうよ」
 サチが腹をおさえた。
 「そういうわけなんだ。あにさん」
 キリオは、財布の中を思い浮かべた。
 紙幣が入っていない。
 ポケットに手を突っ込んで、財布の上
から中身を確認した。
 かたいコインばかりだった。
 「ルリさん、金があ・・・・・・」
 「あっ、ごめんごめん。じゃあ、たまには
あたしがおごるわ。今日は、とても気分が
いいのよ。サチさんと親しくなれたんで。
三人で、今日はお祝いしよう。友達らしい
友達のいなかったあたしに、友だちが出
来たことだし」
 ルリは、サチの方を向いて、軽く会釈を
した。
 サチは、満足そうな笑みを浮かべた。
 店を出た。
 通りは、まだにぎわっていた。
 キリオが出て来ない。
 レジにいた。
 ネックレスをふたつ、買っていた。
 赤いバラの写真をあしらったきれいな紙に
包んでもらっている。
 耳にはさんでいた虎の子の金だ。  
  この日のために、わずかな貯金をおろして
用意していたが、ほかの事に気を取られてい
て忘れていた。店を去る間際に、ようやく思い
出したのだった。
 小走りに店を出ようとした。
 入店してくる青いサングラスをかけた若い男
の肩にぶつかった。
 「てめえ、気をつけろ」
 思いきり、突き飛ばされた。
 ネックレスの入った箱は、しっかりとにぎって
放さない。
 蹴りが、キリオの腹に入った。
 キリオは、痛みで口をきけない。
 不意に、相手の男が、
 「いてててっ」
 と言って、キリオのわきに倒れこんだ。
 ルリのパンチが、男のわき腹に入ったのだ。
 キリオの両手首をつかんで、ルリが起こした。
 キリオは、泣き笑いの表情で、
 「どうも世話かけました」
 と言って、ルリに、ネックレス入りの箱を渡した。
 

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