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いやしの姫 その6

 A中学校の体育館。
 月曜日の朝礼がはじまった。
 教頭先生の開会の挨拶が、終わった。
 音楽の先生が、ステージの下に行って、
 「今日は、小林百合子さんに校歌を弾いて
もらいます」
 と、全校生徒の前で話した。
 どよめきが、起こった。
 ええっ、なんでえ。
 えこひいきだあ。
 なんで、ゆりこなんだよお。
 口々に言いたい放題だ。
 「静かに」
 と、教頭先生が一喝した。
 「小林さんは、県のコンクールで優勝し、
全国大会に出場します。小さい頃からの
努力のたまものです。本人だけではなく、
我が校にとっても名誉なことです。みなさ
んもそれぞれの持ち味を生かして、頑張っ
てほしいと思います。学校としても先生方が
一丸となって、皆さんの長所を引き出すよう
に努力します。良い結果が出れば、これか
らは、みなさんの前でどんどん色んな形で、
発表していくつもりです。頑張ってください」
 事前に担任の先生から話があったものの、
百合子の心は、穏やかではなかった。
 陰湿ないじめを受けていたからだ。
 「百合子、良かったわね」
 隣にいる親友の恵子が、ささやいた。
 「ちっとも良くないのよ」
 「どうして」
 「ねたまれるし、いじめの標的になるし」
 「そうね。善し悪しよね」
 「ばっちり練習してきたんでしょ」
 「うん、この一週間は、夜遅くまでね」
 小林先生が、そばに来た。
 「じゃあ、百合子、お願い。私がそばにい
るから」
 「ゆりこ、がんばって、応援してるから」
 と、恵子が言った。
 百合子は、うんと、うなずいた。
 小林先生に従って、うつむき加減で、ステ
ージにのぼって行った。
 ピアノの前にすわった。
 「ゆりちゃん、がんばって」
 かすかな声を耳にして、百合子は振り返った。
 誰もいなかった。
 後ろは、放送室だった。
 おかしいわ、だれか、中にいるのかしら。
 恐ろしくはなかったが、気味がわるかった。
 百合子は、背筋がぞくぞくしはじめた。
 「さあ、みなさん。私がタクトを振りはじめ
たら、歌ってください」
 タクトが、動きはじめた。
 ピアノの音が、響かない。
 百合子の手が、震えているのだ。
 鍵盤を前にして、泣きはじめた。
 じょうずにひける腕は、持っている。
 だが、弾けば弾いたで、必ずひどい目にあう。
 いじめられるより、先生に叱られる方がいい。
 百合子は、そんな気持ちになった。
 小林先生がかけよって、彼女の肩を抱いた。
 「どうしたの」
 「ちょっと、気分が悪いんです」
 百合子は、手で頭をおさえた。
 「しかたないわね。私が弾くわ」
 百合子は、元の位置にもどって行った。
 放送室の中にいる人形姫の目からも、涙が
こぼれていた。

桜子 その25

 奥の席で様子を見ていたKが、突然立ち
あがった。
 にこにこ笑いながら、歩いて行く。
 カウンターで息巻いている男に近づいた。
 男は、まるでザリガニが大きな前足を大き
く広げたようだった。
 放った言葉を、戻すに戻せない。
 こわばった顔つきのままで、桜子の反応を
うかがっていた。
 どうせすぐに弱腰になるだろう。
 あとひと押しだ。
 「どうなんだい」
 口をへの字に曲げた。
 「よお、たっちゃん」
 と、道で知りあいを見かけたように、Kは、気
安く男に声をかけた。
 誰だ、俺の名前を気安く呼びやがって。
 男は、ぎろっと、Kをにらんだ。
 うん、あれは、確か。
 この間の料亭で、親分と酒を酌み交わしてい
た人だ。
 Kさんって、親分が呼んでいたな。
 これは、まずいことになった。
 ある人に嫌がらせを頼まれてやって来たが、
これ以上は無理だ。
 男は、Kの顔を見るなり、態度をあらためた。
 「なんで、Kさんじゃありませんか。この店と
お知り合いなんで」
 「ああ、ここのママとは、古くからのつき合い
なんだ」
 「そりゃ、まったく失礼いたしました」
 「今日は、めでたい席なんだ。気に入らない
こともあるだろうが、ぼくに免じてかんべんして
もらえないだろうか」
 「そりゃもう。作家先生は、うちの親分の
お気に入りなんですもの」
 たっちゃんは、両手をこすり合わせている。
 「そうしてくれますか。ありがたい。どうです。
向こうで、ぼくといっぱいやりませんか」
 「折角ですから、それじゃ一杯だけ」
 サングラスの男は、身なりを整えると、Kに
従った。
 「あなたもどうぞ」
 Kは、若い衆も招いた。
 「いや、あいつは、よろしいですので」
 辰は、遠慮した。
 「かずさん、何か好きな物をうかがってく
ださい」 
 「はい」
 「すみやせん」
 若者は、恐縮して、頭をさげた。
 差し向かいで、Kと辰はすわった。
 桜子が、おしぼりをひとつ持って、テーブ
ルに行った。
 「何がよろしいんで」
 Kに、たずねた。
 「たっちゃん、何飲む」
 「じゃあ、水割を一杯」
 「わかりました」
 辰は、ひたいに汗をかいている。
 おしぼりを広げて、ふいた。
 「どうです。商売の方は」
 「これからは、秋祭りがあちこちであるん
で、結構いそがしくなります」
 「それは、それは。結構な実入りになりますね」
 「まあ。ぼちぼちですがね」
 「よかったら、連絡ください。私もご一緒します」
 「先生が、何の用事なんでしょうね」
 「今僕はね、各地の神社の祭りを調べているん
ですよ」
 「お仕事と関係があるんで」
 「もちろんそうです」
 「わかりました。連絡いたしやす」
 「じゃあ、ここへお願いします」
 Kは、ペンで数字をすらすらと書くと、手帳を
引きちぎった。
 たっちゃんは、それを受け取ると、
 「先生、ちょっと用事がありますんで。今日の
所は、この辺で失礼します」
 「そうですか。それは、残念ですね」
 Kは、上着の内ポケットから札入れを取り
だした。
 一万円札を二枚つまむと、たっちゃんの手に
握らせた。
 「あっ、先生。こんなこと、いいんですよ。親分に
叱られますから」
 「黙っていれば、分からないですよ。何かうまい
ものでも食べて帰ってください」
 たっちゃんは、手下に、
 「おいっ」
 と、呼びかけた。
 桜子の方に向きなおると、
 「どうもすみませんでした」
 と、消え入りそうな声で言った。

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