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染める その1

 「よう、おめえさん。こんな夜更けにどこへ行くんだい」
 吉べえが土間に腰かけて、草鞋の紐を結んでいる。
 布団を敷いていた妻のおよねが声をかけた。
 「ちょっくら、お山の桜を見て来るから」
 「何も夜中に行くことはないだろう。あぶないよ。わたしら庶民は、
夜中にうろつくもんじゃないことぐらい分かっていそうなもんじゃないか」
 「そりゃそうなんだが」
 「分かってるんだったらさ。ねえ、おまえさん、後生だから」
 およねは、両手を合わせてたのんだ。
 吉べえは、うんうんうなずいて、「だけどな、姫様がお召しになる着物のこ
とが気になってしょうがないんだ」と、草鞋の履き心地を確かめている。
 およねの方を向いて、にこっと笑った。
 「そう心配するんじゃねえ。本当になったら、しょうがないじゃねえか」
 「早く帰って来ておくれね。近頃ぶっそうだよ。辻斬りは出るし、強盗が押し入る。
お役人は大忙しだ。そんなのと間違われでもしたら、大変だからね」
 「俺が、強盗。そんなツラに見えるかい」
 「馬鹿だね、外は暗いんだよ。歩いているだけでも、疑われるんだ」
 米吉は、だまった。
 女房の心配はもっともだ、と思った。
 期限までに、染物をしあげなくてはならなかった。
 お城の姫様の着物だ。
 本物の桜の色に染めてくれ、とのお達しだった。
 本物そっくりと言ったってな。
 吉べえは、頭が痛かった。
 どうしたらいいか、思案に明け暮れていた。
 桜は、まだ蕾のままだ。花が咲かない。
 花びらを集めることができなかった。
 何かほかのやり方を、考えなくてはならなかった。
 先代から、草木染めを生業にしはじめた。
 二代目の吉べえは、責任が重い。
 家業をつぶしてはならず、しっかりした土台を築かなくてはならない。
 お城からの注文は、身に余るほどの光栄だ。
 日頃の吉べえの腕前を、見込まれてのことだった。
 神社の境内につづく石段をのぼる。
 ホウホウ、ホウホウ。
 フクロウの鳴き声がした。
 からだが、ぶるっと震える。
 腕を組んだまま、足もとを見つめて歩く。
 吉べえは、気が弱い。
 大げさなくらいに、幼い頃から暗闇をこわがった。。
 だが、仕事に対する熱意が恐怖をうわまわった。
 頂上に着いた。
 月はでている。
 お社がおぼろげに見えた。
 白い霧が流れている。
 お目当ての桜の木は、やしろのすぐそばだ。
 樹齢三百年の古木だ。
 吉べえは、ゆっくりと近づいた。
 ひゅううと風が吹いて、木の枝がざわめいた。
 
 
 
  
 

乱れる その2

 タロウのからだを抱くと、道端に寄った。
 黒い人影が前を通り過ぎて行く。
 甘い香りが少年の鼻をくすぐった。
 タロウが、歯をむきだしてうなった。
 少年の胸で、からだを動かす。
 どさりと地面に落ちると、勢いよくかけだした。
 女は、きゃっと叫ぶと、走りだした。
 タロウを止めなくては、と少年は思った。
 チェーンを引っぱった。
 タロウは、強情だ。
 少年は、途中で引っぱるのをやめた。
 おかしなことだが、タロウにまかせることにした。
 女のあとを追いかけて行く格好になった。
 いけないことをしている、と分かっている。
 次第に、わけが分からなくなった。
 しびれるような快感が少年を襲った。
 石につまづいたのか、女がころんだ。
 タロウが追いついた。
 女のからだをかぎまわっている。
 少年は首に巻いていたマフラーで、顔を隠すようにした。
 「だれ、誰なの」
 少年は、黙ったままだ。
 チェーンを手から放した。
 タロウがコートの裾にかみついた。
 女は、両手で顔をおおい、
 「お願い、助けて」
 と何度も髪をふりみだした。
 「ふん、ざまをみろ」
 信じられない言葉が少年の口から出た。
 女は、泣き出した。
 少年は女の背後にまわると、両手で抱いた。
 やわらかい肉体の感触がつたわって来た。
 頭がくらくらした。
 夜の闇が、少年を変えた。
 今までおさえこんでいたものが、むっくりと立ちあがって
来るのを感じていた。
 
 
 
 
 

惑う その4

 中華街に来るのは、初めてだった。
 剛は、あたりをしきりに見まわす。
 こんな場所が日本にあるんだ。まるで中国
に来たみたいだな、と思う。
 店頭がにぎわっている。
 「あの人だかりは、なんだろな」
 剛の声は聞こえたはずだが、ユリはふり返らない。
 さっさと前を歩いて行く。
 「冷たいんだな。それならいいや」
 剛は寄り道をすることにした。
 白いふっくらした饅頭がうつわに並んでいる。
 お腹が、ぐううっと鳴った。
 ひとつふたつと売れて行く。
 残りがひとつになった。
 剛は思わず手を伸ばして、口にくわえた。
 売り子の若い女は、怖い顔をした。
 何か叫んだかと思うと、店の中に走りこんだ。
 女が何を言っているのか、剛はわからない。
 金はあとから払うつもりだった。
 黒っぽいスーツを着た男が出てきた。
 剛の方を見て、手招きした。
 あとをついて行くと、露地に入った。
 ふいに男が大きな声を出した。
 四角い髭づら顔が赤くなった。
 剛の胸ぐらをつかんで、壁に押し付けた。
 腕力が強い。
 両足が宙づりになった。
 「払う、払うからおろしてくれ」
 剛はズボンのポケットに右手を入れた。
 百円玉が三枚あった。
 それをにぎると、地面にばらまいた。
 男は腕の力をゆるめた。
 一枚、二枚と拾いはじめた。
 剛は身づくろいをすると、大通りに向かった。
 
 
 
 

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