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染める その4

 翌朝早く、吉べえは仕事場に入った。
 壺に火を入れる。
 「さてと、どうなるか」
 ねじり鉢巻きをして、気合いを入れる。
 火壺には、染めに必要な物が入っている。
 そこに、水を加えて熱するのだ。
 もうもうと湯気があがる。
 額から汗がふきだした。
 手を入れ、さっと引きぬいた。
 赤くほてったが、熱いと嘆かない。
 皮が厚くなっているのだ。
 「まずは、これくらいでいいだろう」
 声をだしながら、作業していく。
 そろりと桜色の薄布を入れた。
 「さあ、どうだ」
 ふわりと湯の表面に落ちた。
 湯が布にしみこみ、沈みはじめる。
 棒を入れ、ぐるりと一回転した。
 とろりと湯に溶け、形をくずした。
 二度、三度とかきまわす。
 原料とまざり合う。
 汗がしたたり落ちる。
 湯気で色具合が見えない。
 ふううっと竹筒で息を吹き込む。
 「ふむうう」
 湯が、白く濁った。
 「これではな。もっと布が必要だわい」
 手で汗をふきとった。
 戸が開いた。
 およねが顔をのぞかせた。
 「早いんだね、お前さん」
 「おうよ。ちょっとな。ある物をためしてみたんだ」
 「お茶が入ったから」
 「朝茶か。飲んでからやるとするか」
 壺の火を消した。
 休憩をおえ、吉べえは、仕事場の戸を開けた。
 「どれ、どうなってるか」
 火壺をのぞきこむ。
 湯はさめていた。
 かすかに桜色が混じっている。
 「これが反物にうまくなじんでくれるか」
 吉べえの顔がほころんだ。
 「おかげ様じゃ。今夜もお山に出かけるとするか」
 吉べえの独り言が仕事場に響いた。
 夕方まで、畑でおよねと野良仕事にはげんだ。
 身体の動きが、かるい。
 「ご機嫌がいいね。仕事がうまくいきそうなんだね」
 「まあな。今夜も出かけるからな。先に寝ていてもいいぞ」
 吉べえは、あわてて口をおさえた。
 「おかしな話だね。何も夜じゃなくたって、いいだろうに」
 およねは怪訝な表情をした。
 「そうだ、そうだ。俺、一体何をいってるんだろな」
 ごまかしたつもりだが、気が重い。
 まったく、おれって、野郎は。
 ひたいをポンとたたいた。
 やっかいなことになったな、と思った。
 

乱れる その4

 母は、門口を出て、道に立っていた。
 顔色が良くない。
 何事かあったに違いない。
 「遅かったじゃないの」
 低い声でつぶやいた。
 「ごめん。タロウが」
 「タロウが、どうしたの」
 声をあらげた。
 「つまずいて、ころんだとたんに、鎖が手から離れてしまったんだ」
 少年は、うそをついた。
 初めての嘘だった。
 嘘をつくな、と幼いころから言われ続け、
正直がほとんどに身についていた。
 心臓の鼓動が聞こえた。
 どくんどくんと、打った。
 どうかなってしまうんじゃないかと思った。
 嘘をつくな、と身体が訴えていた。
 「探していたんだ。今まで。大変だったね。それならいいよ」
 母は、おだやかな表情になった。
 「何かあったの」
 「さっき、おまわりさんが来てね。事件があったんだって」
 「へえ、どんな」
 「女の人が抱きつかれたんだって。犯人は、犬を連れた男の子だって言うんだよ」
 ちくりと針で刺されたような痛みを胸に感じた。 
 さっと、顔から血の気が引くのがわかった。
 母に悟られまいとして、うつむいた。
 「お前もタロウを連れて行っただろ。ほんと心配したよ。おまわりさんには、
お前のことは何も言わなかったけどね」
 「そうなんだ。ああ、お腹すいた」
 少年は、話題を変えた。
 わざと明るい表情で言った。
 「早く手を洗って。仕度ができてるからね」
 玄関は南側にある。
 家の角を曲がり、チェーンを杭につないだ。
 「やれやれ、やっと着いた。きょうのことは内緒だぞ、タロウ。絶対にな」
 言葉を解さない犬に、少年は話しかける。
 そうやって、自分自身を納得させた。
 数週間、少年はびくびくしながら過ごした。
 女は被害届を取り下げたらしい。
 二度と、警官が訪れることはなかった。
 
  

染める その3

 俺は化かされてるにちげえねえ。
 吉べえはその場にすわりこんで、目を閉じた。
 狐か、タヌキか。
 化けの皮をひんむいてやる。
 そう思って、吉べえは自分の頬をつねった。
 「いててっ、こりゃ本物だぞ」
 声をあげると、ぴたっと鼓の音がやんだ。
 かすかに花の香りが漂った。
 ふわりと、何かが頭にかぶさった。
 「もし」
 耳元で女の声がした。
 おそるおそる、目を開ける。
 「ひゃあっ」
 吉べえは、後ろに倒れた。
 女の顔が目の前だった。
 「お前の願い、耳にとどいたぞえ」
 「へっ、へい」
 居ずまいをただす。
 「聞き届けて、つかわす」
 細くて甲高いが、女の声には威厳があった。
 「ありがとうごぜえやす」
 神様のお使いじゃ、と吉べえは思った。
 かぶり物が頭にのったままだ。  
 「それを煮だすと良い」 
 「えっ、この薄布をですか」
 「熱すると、すぐに溶ける。桜色にな」
 「へえ、まことにありがとうございます」
 「一枚では足りぬであろう」
 「いかほど要りましょう」
 「十枚かな。姫の着物じゃ」
 「よく分かっていらっしゃる」
 女は、こほんと咳払いした。
 「こりゃ、どうも」
 吉べえは、地に頭をこすりつけた。
 「しばらく通ってくるがよい。決して、口外してはならぬぞ」
 「そりゃもう。助かりました」
 ザアアアッ。
 ふいに強い風が吹いて、神社の木立を揺らした。
 吉べえは、空をあおいだ。
 顔を前にむけると、女はいなくなっていた。
 「あれれっ。やれやれ、大変なものを見たわい」
 かぶり物をとる。
 「これが残っているんだもの、まんざら、幻でもあるまい。なんと見事な。
俺の腕じゃ、これほどには染められない。嘘か誠か、これで染めてみよう」
 山犬が遠くで鳴いている。
 「遅くなってしまった。およねに心配かけてしまったわ」
 かぶり物をまるめると、たもとに入れた。
 足もとを確かめながら、石段をおりる。
 ほどなく家の木戸をくぐった。
 土間は、明るかった。
 「なんじゃ、まだ寝ていなかったのか」
 「遅かったじゃありませんか。心配で、心配で」
 「すまんすまん」
 「何かあったんですか」
 吉べえは、ちょっとためらったが、
 「いや、別に何も。桜の木を見ておったんじゃ」
 と、ぼそりとつぶやいた。

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