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ツヨシ 8−2

 薄暗くて、よく見えない。
 街灯の灯りをさがしたが、付近には見当たらない。
 剛はじっと目をこらした。
 白い紙なのに、真ん中あたりが赤黒い。
 シミのような物がついている。
 その中に、数字がいくつもならんでいる。
 090・・・・・・・・。
 最後まで読みとれない。
 ケータイ番号なんだ。
 M子の気持ちがわかって、嬉しかった。
 両手で、ぴんと引きのばすと、紙が縦に五センチくらい裂けた。
 えっ、なんで。
 思わず口走った。
 ポケットのなかを右手でさぐり、指を鼻のさきにもってきた。
 指がしめっぽい。
 かすかに生臭い匂いがした。
 ひょっとして、血だったりして。
 でも、いったいどこで、どんなふうに。
 まったく思い当たらない。
 この切れ方からすると、かなり鋭い刃だ。
 たとえば、カッターナイフのような物。
 からだが、ぶるっと震えた。
 五十メートルくらい先に、コンビニの灯りが見える。
 剛は足早になった。
 ドンッ。
 不意に、背中に何かがぶつかった。
 それが自転車のタイヤだとわかるまでに、時間がかかった。
 剛はよろけて、歩道にころがった。
 誰かが胸ぐらをつかむ。
 フルフェイスのメットをかぶっている。
 夏なのに、黒い皮ジャンを着ていた。
 ひんやりした細長い物が、頬に当たった。
 「おっおい、金」
 くぐもった男の声がした。
 大切に残しておいた千円札をつまみだした。
 「なんだ、これっぽっちか」
 手からもぎとるようにすると、
 「もっとあるだろ。財布はどこだ」
と攻めたてる。
 「ない。持ち歩かないんだ」
 ナイフで頬をぴたぴた叩く。
 「ほんとうか」
 「ほっ、ほんとう」
 正体不明の男だ。
 あらがうわけには、いかなかった。
 何をしでかすか、わからないからだ。
 ざああっと、身近で音がして、辺りが明るくなった。
 男が剛から離れた。
 車が、わきで停まった。
 剛は、大きなため息をついた。
 男は、倒れた自転車のハンドルを両手でつかむと、
ゆっくりと歩き出した。
 車のドアがバタンと鳴った。
 「おい、待て」
 若い男が声をかける。
 その声に驚いたのか、突然、自転車に乗った。
 暗がりに走りこんで行く。
 「大丈夫ですか。あぶなかったですね」
 もう一人の学生らしい男が、近づいて来た。
 「どうもありがとう。助かった」
 剛が礼を言った。
 「こんなに遅く、どちらまで行かれるんですか」
 「お茶ノ水駅まで」
 「ぼくらもそっちへ行きます。良かったら、送って行きますから」
 剛は、乗用車の後部座席に乗りこんだ。
 
 
 
 
 
 
 
 

ツヨシ 8−1

 先ほどから、剛は運賃メーターばかり見つめている。
 深夜料金が気になる。
 かちゃ、かちゃと音がするたびに、胸がどきっとした。
 運賃表示が四千円になった。
 「ここで降ろしてください」
 運転手に、きっぱりと告げた。
 「あれっ、こんな所でいいんですか。お茶ノ水は、まだ先ですよ」
 中年の男は、心配そうな顔を向けた。
 アパートは、まだ遠い。 
 実をいえば、剛は空腹なのだ。
 仕事を終えてから、食べ物を口にしていない。
 コンビニに立ちよって、おにぎりでも食べたかった。
 「ちょっと歩きたいんです」
 「そうですか、わかりました。気をつけて下さいよ。
街にはいろんなのがいますから」
 と、後部座席のドアを開けた。
 剛をひと眼見て、おのぼりさんだと分かったのだ。
 近頃は、田舎から東京に出稼ぎに来る人が多い。
 週末には、帰宅する。
 この運転手も、その一人らしい。
 お金を受け取ると、「くれぐれも用心して」と、念を押した。
 余計なお世話だ、と剛はちょっとカチンと来たが、
 「ありがとうございます」
 と、応じた。
 去って行くタクシーのテールランプを、じっと見つめている。
 道はまっすぐに続いていた。
 人の良さそうな運転手の車は、すぐにほかのタクシーにまぎれて、
見えなくなってしまった。
 両側には、ビルが建ちならんでいる。
 黒っぽく、汚れた空気がよどんでいた。
 歩道を歩いている人はいない。
 何か黒い物が、通りを横ぎって行く。
 猫が一匹、あとにつづいた。
 タクシーが急ブレーキをかける。
 あっ、あぶない。引かれるんじゃないぞ。
 剛は、猫に声援を送りたい気持ちになった。
 あれ、おれ、ちょっとおかしいぞ。
 ホームシックにかかったのかな。
 剛は、両のポケットに手を突っこんで、苦笑いを浮かべた。
 ポケットの中の千円札を、ぎゅっと握りしめた。
 うつむき加減で歩いて行く。
 すぐわきを何かが通りすぎて、風が巻きおこった。
 黒い上着をきた男が、自転車に乗って走り去って行く。
 あぶねえ、野郎だな。
 怒鳴りだしたい気分になった。
 あたりは、すぐに静けさをとりもどした。
 剛の靴音だけが響く。 
 ふいに、M子が店で渡したメモのことを思い出した。
 何が書いてあるか、おおよその見当はつく。
 今更読んでも仕方がない、と思うが・・・・・・。
 後ろのポケットに手をやり、汗のにじんだ白い紙を開いてみた。
 
 
 
 

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