けっさん文庫

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お話をいろいろ書いています。
ご自由に読んでください。
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 小春日和である。
 姿川は暖かな日差しをうけている。
 水面はきらきら光る。
 雑木が群生する小高い丘が見える。
 鴨が群れをなして泳ぐ。
 岸辺のヨシが風に吹かれる。川面が波立つ。
 
 遊歩道を犬を連れて歩く初老の婦人がいる。
 中年の夫婦が肩をならべて、こちらに歩いてくる。
 下流に橋が見える。
 橋の下は深みになっている。
 釣り人が三人、水際で竿を伸ばしている。
 遊歩道は、土手の上を走っている。
 土手の下は小公園になっている。親子連れでにぎわっている。鬼ごっこやキャッチボールをしている。
 子供たちの甲高い声が聞こえてくる。
 
 日帰り温泉K館わきを姿川が流れている。
 日曜日である。
 入浴用具を持った人たちが、玄関を頻繁に出入りする。
 酒の匂いを放ち、顔を朱に染めた男の人が出てきた。
 大広間がある。
 飲食物を持ちこむことが出来る。
 一週間の労働の疲れをいやす場所である。
 カラオケの設備が整っている。
 今は待ち時間が長い。一時間半である。
 
 あとふたり歌い終われば、男の番である。
 お年寄りが多い。
 憩いの場所である。
 歌が好きな人が多い。
 ひばりさんが亡くなり、演歌の全盛期が過ぎた感はあるが、年輩の方々のお気に入りである。
 
 彼がステージに立った。
 拍手が起きた。
 前奏が始まる。
 目を閉じる。情景を思い浮かべる。神経を集中する。 
 マイクの先を口元に近づける。
 心をこめて、声音を入れる。
 
 降りしきる 冷たい雨に 濡れながら
 色を 競うように咲く 紫陽花よ
 何を そんなに 装う
 薄紅の 花模様 涙色です
 
 男は五木ひろしさんが十八番である。
 今日の歌は、いつもより熱がこもっている。
 大広間にいるひとりの中年女性が気になるのだ。
 彼女のために歌っている。
 語りかけている。
 
 あっ、私を見ている。私のために歌っている。
 その女性内部の華が、目覚める。
 しだいに開いていく。
 眼の表情が変わる。
 生き生きとしてくる。輝いてくる。
 居ずまいを正す。きちんと座り直す。
 歌い手をしっかりと見つめる。
 
 礼儀正しく生きてください。大広間で子供のようにはしゃぐあなたは嫌いです。男性があなたに対して、失礼なことをしようとするのは、あなたに隙があるのです。毅然とした態度でそれをはねつけてください。あなたはそれが出来る人です。
 想いを胸に、全身全霊でサビを歌いあげる。大声にならないように抑える。
 五木さんはうまい。
 
 歌い手の口から、クモの糸のように緑色の糸がゆっくり伸びる。
 聴いている人には見えない。
 女性からは、紅色の糸が一本空中にさまよい出ていく。
 緑糸はまっすぐスルスルと伸び、釣り糸が絡まるように、紅の糸をしっかりとらえた。
 溶け合って一本になる。
 女性は歓喜の表情を浮かべる。
 目に涙をためている。
 
 万葉の気風が、今もなおこの地域に濃く漂っている。
 古代人の魂が浮遊する。
 自由奔放なロマンスを求めているのだ。
 
 抱いてください 白い素肌 赤く染まるまで
 髪をまさぐる 指が こんなに いとしい
 心シクシク 体シクシク
 あなた恋しい 花化粧
  
 玄関ドアがチャリンという音がして、内側に開いた。
 陽子はサッと目を走らせる。
 違った。
 「いらっしゃいませ。なあさん。一番よ」
 ママが弾んだ声をあげる。
 「陽子ちゃん、お相手お願いね」
 ふたりで店を切り盛りしている。
 「カウンターがいい。それともソファー」
 苦手な客だが、顔にはださない。笑顔で応対する。
 「ソファーがいいな。ゆったりしたいんだ」
 「何がいい。いつもの飲み物にする」
 濡れタオルを手渡しながら、陽子は客の隣に体に密着するようにすわる。
 
 「冷たいビール。ジョッキについでくれ。今日は暑かったからな」
 喉を鳴らし、一気に飲み干した。
 「ああっうまい」
 彼の手がスカートの裾に伸びる。
 そら来た。警戒警報発令だ。
 さわった。さすりはじめる。
 陽子は左手でそっと彼の手をつかんだ。
 動かないように軽く押さえている。
 「次はウイスキーだ。水割にして」
 
 ママは陽子に目配せした。
 「ちょっとごめんね」
 席を外した。
 ママは、なあさんと記したオウルドを棚からおろした。
 キャップを回し、トクトクと音を立ててグラスについだ。
 ママが席まで運ぶ。
 「陽子ちゃんはどうしたんだい」
 顔が赤くなっている。弱いのに酒はすきだ。
 「おトイレよ」
 
 彼の手を軽くたたいた。
 「いてえな。何するんだ」
 酒乱である。目が据わる。
 ああっ、こまったわ。また始まっちゃた。
 陽子が出てきて、なだめる。
 言うことをきかない。
 ようこちゃん、ダンスしようと、抱きしめる。
 
 チャリン。チャリン。
 二人連れが入ってきた。
 「ママ、今晩は」
 「まあ、いらっしゃい。おおさん、ようこそ」
 「にぎやかだね」
 「きょうはおふたり。うれしいわ」
 なあさんは、陽子を抱きしめたままである。
 左手を彼女の背にまわし、右手でスカートの尻をなでている。
 
 義男は、落ち着いている。
 友人とカウンターで飲むことにした。
 止まり木に座る。
 ビールをいっぱい飲んだ。
 ちょっとと、言って席を立った。
 「おてやわらかに」と、ママが言う。
 なあさんに近付く。
 右手を彼の肩にのせ、力をこめる。
 陽子から彼を引きはなす。
 左手で彼の左手をねじる。
 いてててと、うなった。
 そのまま歩いてふたりでドアから外に出た。
 
 「いい加減にしろ。弱い者をいじめるようなことはするな」
 一喝した。
 なあさんの表情が変わる。シッポを巻いて逃げる犬の顔に似ている。
 「ごめん。かんべんしとくれ」
 
 窓の外は暗くなっている。
 陽子は赤電話に向かった。
 一郎は、現金なものだ。泊まる所が決まったから、急に表情が明るくなっている。
 「コーヒーおかわりください」
 
 カウンターの中で、眼鏡をかけた六十がらみの男の人が微笑んでいる。
 嫌味が感じられない。好好爺といった風情だ。
 頬からあごにかけて、ひげを豊かにたくわえている。
 彼が、店内に穏やかな雰囲気を醸し出していた。
 
 豆を挽きはじめる。
 サイフォンに水を注ぐ。
 ライターで、アルコールランプに火を点した。
 動作に年季がこもっている。
 ふたりの会話が、自然と耳に入ってきた。
 店内には、ほかに客はいない。
 若いから周りのことを気にしないし、声が大きかった。
 サイフォンの中で水が熱せられる。
 泡立ちはじめた。
 こまかく粉砕された豆を入れる。
 香りが漂う。
 一郎は、その音が好きである。
 
 クラシックのBGМが流れている。
 窓から外を眺める。
 街路灯が運河を照らしている。
 煉瓦倉庫が向こうに見える。
 
 「ねえ。何か話してよ。さっきから自分ばかり楽しんでるじゃないの」
 我に返る。
 「ああっごめんごめん。おいてきぼりにしたらあかん。大事な人やのに」
 「ほんとにもう。あたしのこと一所懸命考えてくれてるなって。とても嬉しい気分でいるのに」
 「おなかすかへん」
 「す・き・ま・し・た。チェックインには、まだ時間があるわ。ホステルまでは、そんなに遠くないし、軽く食べていきましょう」
 「何食べる」
 「そうねえ。あたし、実はおなかぺこぺこ。トーストと目玉焼き。それからグラタン」
 「僕はあと。トーストだけで、いいや」
 「小食なのね。男なのに」
 「あとでビール飲みたいんや。冷えたやつ。ジョッキでこうグイッと」
 「ちょっとすみません」
 マスターが来た。ひとりで切り盛りしている。
 「ご注文ですか」
 「トーストふたつと半熟の目玉焼き。それに鮭グラタンをください」
 一郎がマスターを見た。
 微笑みあった。
 
 テーブルの上にコップの形をした容器がある。焼き物だ。マスターは趣味がいい。
 陽子は、ペンの形の束ねられたラベンダーを一本手に取った。
 香りを楽しんでいる。
 
 「明日のご予定は」
 「富良野に行こうと思ってる。もちろんラベンダーが見たいの」
 「俺はあ、どうするかな」
 「あれっ、ふたりで行くんじゃなかったの」
 「いいの。悪いかなと思ってさ。出逢った時ちょっとさびしそうだったしね」
 「よくみてたのね。でも、もう大丈夫。あなたがいてくれたほうがいいのよ」
 「女の人って、強いんだ」
 「僕なら何かあったら、しばらく立ち上がれないなあ」
 笑うとエクボができた。
 かわいいと、思った。
 
 
 杭に結んだ縄を外して舟をよせる。
 仁吉が先に乗る。
 「待った」
 「いえ」
 「さあ、早く」
 お蝶の手をとった。
 船べりをまたいだ。
 
 大きく揺れる。
 
 「今なら引き返せますぜ。よく考えてください」
 「好きになったんだから、いいのよ」
 
 お蝶は二言目が出ぬように、仁吉の口に手をあてた。
 仁吉は、お蝶を抱き寄せ、口を吸った。舌を入れる。
 二つの舌が出逢い、遊ぶように絡まる。
 
 「もっとこちらへ」
 
 闇がふたりを隠している。
 
 舟はいつも間にか岸を離れ、川の中ほどに浮かんでいる。
 ゆっくり、ひとりでに下流に流れていく。
 
 「お蝶、俺はもう、なにがあってもおまえを離さねえ」
 「あたしもよ。死んだって離れはしません」
 
 仁吉は、蓄えた銭で屋形船を頼んでいた。船頭には口止め料をふくめて、船賃をはずんである。
 渡良瀬の河岸で待っている。
 
 町の灯りが遠くにかすんでいる。
 舟は、かなり下流まで来たようである。
 川幅が広くなってきた。
 
 もうすぐ渡良瀬川に合流する。
 船が待っている。
 「さあ、いよいよですぜ。いとさん。江戸で新しい生活を始めやしょう」
 「お蝶でいいわ。これからは、必ずそう呼んでね」
 
 暗闇に灯りがポツンと見えた。
 近づくにつれしだいに明るさが増し、あたりの様子が明瞭になってきた。
 
 屋形船がある。
 
 仁吉は異変に気付いた。
 船のまわりで小さな灯りが、せわしげに動いている。
 
 提灯だ。御用と読める。
 「お蝶、どうする。親御さんが番所に知らせたようですぜ」
 「岸につけないで。このまま行きましょう。行けるところまで」
 「そうですか。わかりました。それだけ決心なさっていなさるんでしたら、ようがす。俺も命をかけます」
 岸にいる捕り方連中に気づかれないように、身をひそめた。
 
 舟を流れにまかせた。
 

手振り地蔵 その2

 ルルルルルル。
 軽トラックのエンジン音が聞こえてきた。
 竹林の向こうを走っている。
 交差点に近付いている。
 急用でもあるのかスピードをゆるめない。
 あぶないなあ。いやな予感がする。
 六体のひとつが動き始める。
 「おれが行く」
 ガタンガタン。
 足元から白煙が出はじめた。紫色に変わる。
 モクモクモクモク湧いてくる。
 煙で地蔵が見えなくなった。
 晴れた。
 五歳くらいの男の子が立っている。
 目が丸く頬が真っ赤な元気のよい子だ。
 紅い帽子に、赤いジャンパーを見につけている。ずぼんは竹色だ。
 交差点へ急ぐ。
 運転手が見える位置に立つ。
 手を振る。思いきり振る。
 
 「あれっ何だ。向こうに男の子がいるぞ。赤い服を着ている。手を振っている。おかしいなあ。こんな時分に。どこの子だろう。Yさん宅のお孫さんかなあ。いや、女の子ばかりのはずだ」
 目鼻立ちが見える所まで近づいた。
 ゆっくり走る。
 停止線直前だ。
 キキキキキー。
 ブレーキをかけた。
 
 同時に横から白いワゴンが、交差点に突っ込んできた。
 危なかったなあ。もう少しでぶつかるところだった。
 出がけに女房と口げんかをした。むしゃくしゃしていた。
 女房の顔を思い浮かべて、まわりをよく見ていなかった。
 
 竹林のわきに地蔵さまが立っているのが見えた。
 真新しい毛糸で編んだ帽子をかぶっている。
 交差点から少し離れた道端に車を止めた。
 歩いて戻る。
 地蔵様の足元に、一つずつ飴玉を供えた。
 昨夜息子にもらった。
 どうもありがとうございます。おかげさまで大事にいたらずに済みました。
 ぼっちゃん。お地蔵様。感謝いたします。
 心の中で言った。
 
 今日は立春。
 陽射しに春が感じられる。
 節分や 月の満ち欠け 季節分け
 まだまだ朝夕は寒い。
 でも、春は確実に近づいている。

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