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朝夕はまだ寒さは厳しいが、陽射しに春が感じられる。
寒紅梅が咲いている。
正夫さんの視線の先には、ソメイヨシノが一本、石塀よりも高くそびえている。
蕾がふくらんできている。
そのわきには、白壁の土蔵が建っている。
長い間風雨に晒されてきたせいで、あちこち表面がはがれ落ちている。
昔からの名家である。
「あんた、陽だまりにいるつもりなんだろうけど、マフラーくらいしなきゃ。少しでも風邪をひいたら、おおげさに騒ぐんだから」
奥さんがそばに来て、いやがる正夫さんの首に巻き付けている。
信号が赤に変わり、一台の軽トラックが交差点で止まった。
六十がらみの男の人が車窓から声をかける。
「よう、おふたりさん。相変わらず仲がいいね」
「ちがうんだよ。俺は寒くないのに女房がうるさくってね」
「よく言うよ。鼻水たらしてるのに。このおじいちゃん」
元さんは、車で一時間くらい登った峠近くに住んでいる。ここまでは下り坂である。
ニュウトラルにギヤを入れると、自然と車が走りおりるような急坂が多い。
「それはそうと、ひさしぶりだね。元さん、日用品の買いだめかい」
「そうさ。正やんとこでやんなくなったもんだから、遠くまで行かなきゃなんない」
「悪いね。勘弁しとくれ。おれだって続けたかったさ」
「廃墟だよ」
正夫さんは誰かと会うたびに、こう言うようになった。
昔は銀座通りとよばれるほどに、にぎわっていた。
彼と同年輩の人たちは、この街の生き証人といえる。山間の里がどのようにして村から町へと発展してきたかを知っている。彼らは大変な苦労をして、住みやすい町をつくったのである。
午後一時をまわった。
正夫さんは、また丸太椅子にすわった。
「こんにちは。元気ですか。暖かくなってよかったですね」
自転車をこいで、足尾方面からきた五十がらみの眼鏡をかけた男の人が声をかけた。
「やあ、先生。どこへいくんだい」
「図書館です」
「あいかわらず本が好きなんだね。どうしたぢ、塾のほうは」
「おじいちゃん先生としてがんばっていますよ」
「そうかい。うちの娘も世話になったんだ。いつまでもそう若くはいられないやね。中学生だった娘も、もうすぐ四十歳になるお母さんだもの」
頭髪が薄くなり、地肌がすけて見える。顔には深いしわが幾筋もよっている。
「ここ十年くらいは、アルバイトをしながら家計を支えています。生徒が減っても、なんとか塾ののれんを守っていこうと思っています」
「俺よりうんと若いんだ。がんばっておくれ」
「はいっ」
正夫さんに励まされて元気がでたのか、右に左に勢いよくペダルを踏みつけながら、県道を下って行った。
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けっさん文庫
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お話をいろいろ書いています。
ご自由に読んでください。
お気に召したら嬉しいです。
ご自由に読んでください。
お気に召したら嬉しいです。
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丘は四色のペイントに塗りつぶされている。
黄、赤、白そして緑色。
あなたもよ。わたしもよ。
草花が盛んに色を競っている。
十勝岳が屹立している。
石狩岳と肩を並べる。
ふたつして、神々のおわす山だ。
一枚の絵になっていると、一郎は思う。
盆地に住んだ者にとってここは別世界だ。
広大な大地である。
心がはればれとする。
故郷では山から山に陽が移る。
少し電車で行けば、海にたどりつく。
こんな雄大な土地が日本にもあるんだ。
感動している。
陽子は二度目だ。
それほど感動はない。
花畑に見入っている。
盛りを過ぎたが、見ごたえがある。
彼女は甲州生まれよと、言った。
俺と同じだ。盆地で育った。うちより山深い。
ここは大草原だ。
アメリカのようだ。
山が迫っている所に住むのは窮屈だ。
長くいると、それが当たり前に思える。
井の中のカエル、大海を知らず。そんな言葉があるな。
この景色を表現するのはむずかしい。
わかりまへんなあ。
陽子が振り返った。
「なにをさっきからぶつぶつ言ってるのよ。こっちへ来たら。花がこんなに」
「わかった。今行くよ」
肩を並べてしゃがみこむ。
「蜂が飛んでるでしょ。それから蝶も。いろんなのがいるわ。よおく観察するのよ」
「はい。先生。わかりました」
「おりこうね。一郎ちゃんは。いいお返事です」
「先生。おおきにです」
「陽子ちゃん先生。元気になって、ぼくは嬉しいです」
「はい。おかげさまで。まいそおおきにです」
「あれ、ぼくのお株とられちゃた」
セージ畑に入る。
「きれいな青でしょ」
「はい」
「香りはどうですか」
「いい匂いです」
「名前は何ですか」
「うううん。わかりません」
「セージっていうの」
ラベンダーを見る。
「これはまた別ですね。色んなハーブがあるんですね」
「そうよ」
「何だか、わかる」
「故郷にはありませんから、やはりわかりません」
「有名なハーブなのにね。看板に書いてあったわよ」
「そう言われたかて知らんもんは知らん」
頑固なところが、一郎にはある。
「ヒントです。シソ科の植物です」
「そんなこと教えてもうても、さっぱりです。ヒントにならへん」
「訛りがきついわ」
「苦しいとこうなるんです」
「ラベンダー。覚えておきなさい」
ふたりは顔を見合わせて笑いだした。
周りの人が見つめている。声が大きくなっていた。
「ねえ、記念に一枚写真を撮っておきましょうか」
「それがいい」
「お願いします。シャッター押してください」
近くにいた若いカップルに頼む。
「はい。撮りますよ。チーズ」
「ありがとうございました」
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青森でフェリーに乗り換えた。
若い男女の姿がめだつ。
初老の男性がデッキに立っていた。妻らしき女性が寄り添っている。
荒々しい津軽海峡に魅せられている。
船室に戻る。
母親が赤子に授乳している。
満腹になったのか、乳首に口の動きが緩慢になってきている。
彼女は不意に後ろ向きになった。
私は顔が赤くなるのがわかった。
立ちあがり、船室から出た。
船べりに打ち寄せる波は穏やかになっている。
ハングルで書かれた日用品が漂っている。
「おひとりですか」
デッキにいた男性が声をかけた。
「うん。ええ、そうです」
「大丈夫ですか。少し顔色が悪いですよ」
初めての船旅である。
体調を崩した。
孤独を楽しむつもりだった。人の助けは借りたくなかった。
「大丈夫です」
強がってみせる。吐き気がおそってくる。
「お薬あげますから。私は医者なんですよ」
有難く頂戴することにする。
「ありがとうございます。助かりました」
函館港に着いた。
手すりにつかまりながら、階段をくだる。
陸に降り立った。
ほっとした。まだ気持ちが悪い。
ひとり旅である。
どこへ行ってもいい。自由行動だ。
十万円ある。アルバイトで稼いだ。すべて遣いきってもいい。
近くに公園があった。天気がいい。
ブランコに乗った。
こぎだした。
海風が心地よい。
ハナ歌がでる。
きみはおぼえているうかしら。あのうしろいぶらんこお。
パチパチと後方で音がした。
恥ずかしくなった。
振り返らない。
誰かが近づいてくる。
「おじょうずね。あなた」
女性の声だ。
青いジーンズが見える。
顔をあげる。
ピンクのシャツが見えた。
若い女性だ。微笑んでいる。
「あなた、さっきの船に乗っていたでしょ」
彼女の顔を見つめる。
「ええ、まあ」
「私たち、あなたのこと、ずっと見てたのよ」
「わたしたちって」
「おっぱいを赤ちゃんに飲ませていたのはあたしのねえさんなの」
言葉がすぐに出てこない。
顔が熱くなるのがわかった。
うつむいてしまう。
「ごめん。赤ん坊が可愛かったんだ」
「まあいいわ。許してあげる。案外純情だから」
「ねえさんは。いっしょじゃないんか。赤ちゃんはどこへいったんや」
「あら、あなた、関西の人なの」
「興奮すると、お国の言葉が出るんです」
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弘法大師様を祖とする仏教系幼稚園に通った。
給食をいただく時は、手を合わせる。
いただきますと、大きな声で合唱する。
生き物を大切にしなさいと教えられる。
家庭にいても同様だ。祖父母が仕付けた。
朝六時車庫のシャッターをあける。
肌を冷たい空気が刺す。
車のエンジンをかける。
マイナス四度を表示した。
ガレージから離れ、玄関に戻る。
少し戸を開けたまま、その小鳥を待っている。
一羽の小鳥が、長周波をえがいて、ガレージにはいりこんだ。
深紅の色をした乗用車のサイドミラーにとまる。
ヘリコプターのように空中で止まっている。
鏡の前の空間に停止している。
自分の姿が映っている。
仲間がいると勘違いしている。
じゃれてみたい。遊びたい。
嬉しくなる。興奮して来る。
おもらしをしていてもわからない。
「お母さん、僕の車、だいなしだよ」
「どうしたの。そんな泣き顔をして」
「だって、これ見て。買ったばかりなのに」
「あらあら困ったわね。真っ赤な色が好きなのかしらね」
「南天やマンリョウの赤と間違えているのかなあ」
「食べられるものじゃないくらいはわかるはずよね」
「ほかの車はどうなのかしら」
車庫の中には、あと三台ある。赤いのが一台。ちょっといたずらされている。グレーの乗用車と軽トラックだ。これらはまったくオーケーだ。
木酢液を少しコップに入れ、車庫の隅においた。
翌日はいたずらしなかった。
匂いがとんでしまうと、飛来した。
鳥の名前が知りたくなった。
図鑑を繰ったが、分からない。
茶系統の鳥である。むらさきの斑点がある。
「鳥だって蝶だって、それにトンボだって、みんな生きとし生けるものは、前世があるのよ。お母さんが小さい時は、歩くのに蟻んこを踏みつけないかと用心したわ」
「お寺で教わったから知ってるよ」
「あの小鳥だって大事にしたほうがいいわ。ご先祖様の生まれ変わりかもしれないから」
「うん。そうだね。でも、やっぱりいやだ。追っ払ってやる」
「悪さをしてるときっと思ってないわ」
「会社に遅れる。それじゃ」
小鳥の生態に詳しい方、おられませんか」
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ある晴れた春の日の午後。
大杉村の小谷川のほとりは子供たちでにぎわっています。
網を手にチョウを追いかける子がいます。
つくしんぼを摘んでいる子もいます。
れんげやいぬふぐりの花が土手を青や赤に染めています。
水際で男の子がひとり釣り糸を垂れています。
右手で棒竿を持ち、針の先にごはん粒がつけてあります。
うきの動きをじっと見つめています。
「どうだね。坊や。つれたかい」
杖をついた白髪のお年寄りが声をかけました。
「うん。一匹だけ」
バケツの中で元気よくはねまわっています。
「きれいな魚だね。何と言う名前なんじゃろう」
「タナゴっていうんだ」
「へえ。ううう。ゴホンゴホン」
「おじいちゃん、どうしたの」
「時々せきが出て、止まらなくなるんじゃよ」
「ぼくが背中をさすってあげるから」
「おまえはいい子じゃなあ。いくつになるんじゃ」
「六歳」
「なまえは」
「ゆうじ」
「いい名じゃ」
「だいぶ気持ちがよくなってきた。もういいよ」
風が吹き出した。
うきが見えなくなってきました。
「残念。もう釣れないや。ぼくもう帰るけど、おじいちゃんのおうちはどこなの」
「わしははれ、向こうに杉並木が見えるじゃろう。あの近くに住んでいるんじゃ」
村で有名な杉の大道を指差している。
昔から生えている杉が、縦に二列にどこまでも続いている。
その間を頻繁に車が走っている。
「なんとかならんかのう。このままじゃ病気になって死んでしまう」
「だれがしんじゃうの」
「杉の仲間たちじゃよ」
「ええっ、おじいちゃんって一体だれなの」
「あの杉の中で一番古い杉の妖精なんじゃ」
「びっくりした。本当なの」
老人が杖の先をゆうじの方にそっと置いた。
杉の大道から苦しい、助けておくれとうめき声がゆうじの耳に響いて」きました。
「ぼくがおとうさんやおかあさんに話してあげるから」
「ありがとう。まずは排気ガス。くさくてかなわん。次にいつまでたっていればいいかということじゃ。苗で植えられてから四百年間ずっとこうしておる。耐えきれないで、もうすぐ倒れてしまいそうな仲間が多い。わしらは仲間想いじゃから、相手を傷つけないように倒れようとするんじゃ。人間の住まいをこわすのもいやじゃ。先だって記念物に指定してくれたそうじゃが、わしらをうやまってくれるんじゃったら、早く切って学校を立てるために用立ててくれればありがたい。小さい子にたくさんお願いしてすまなかったな。大人はいそがしくてわしの姿など見えんようじゃからな」
「ゆうちゃん。もう帰ろうよう」
土手の上から景子ちゃんが駆け下りてきました。
手にれんげの花束を載っています。
「誰かとお話してたの」
「うん。おじいちゃんとだよ」
振り向きましたが、姿がありません。
「夢でも見ていたんじゃないの。暗くなるから帰りましょう」
「おかしいなあ。たしかにここにいたんだけどなあ」
今も大道は車がたくさん往来している。でも、電気で走る車も発明され、排気ガスがしだいに減ってきている。道路も直りはじめた。大人たちは、ようやく老木たちのことを真剣に考え出した。大きくなったら、木を診察するお医者さんになるんだと、ゆうちゃんは話しています。
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