けっさん文庫

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お話をいろいろ書いています。
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絆 その1

 晩秋のある日の午後。
 宏子は居間に置いてあるピアノに向かっていた。
 窓の隙間から風が吹きこんでいる。
 道行く人たちの中には、コートをきている人もいる。
 枯れ葉が空に舞っていた。
 
 窓の端に駐在所のYさんが見えた。
 玄関先で自転車を止めた。
 呼び鈴を押した。
 「はあい。どなたでしょうか」
 母が台所から暖簾ごしに顔をのぞかせた。
 「駐在のYですが」
 「あら、どうぞお入りになって。元気がないのじゃありませんこと。風邪でもひきましたか」
 
 Yは静かに戸を開けた。
 制帽をとって、上がり框に腰をおろした。
 運ばれてきた湯気の立っている茶碗をじっと見つめている。
 一口飲んだ。
 「今日は何かご用ですか」
 その言葉に背をおされるように口を開いた。
 
 「何ですって、宅の子供が横領容疑ですって」
 宏子がショパンを弾く手をとめた。
 「宏子、おいで。お前もよく聞いておきなさい。兄さんの一大事です」
 母は一瞬たじろいだ。
 すぐに立ち直った。
 「兄さんが、銀行のお客さんの金に手をつけるなんて。そんなこと絶対にないわ」
 それだけ言うと、廊下にすわりこんだ。
 涙があふれた。
 いつもは登下校の際に、逢うと気軽にあいさつを交わす駐在さんであったが、今日ばかりはかたきに思えた。
 
 玄関先で車がブレーキをかけた。
 ドアを閉める音がした。
 背広の男がふたり、駐在さんの後ろに立った。
 白い紙を示し、母に何か言った。
 二階へ駆け上がった。
 
 逮捕されて連行されていく兄を、近所の人は呆然と眺めている。
 「そんなはずないよ。何かの間違いだよ。義男ちゃんにかぎって」
 向かいのタバコ屋のIさんの奥さんは、母の元にかけよった。
 肩を抱いた。
 夕陽の中をパトカーが走り去って行く。
 母はにらみつけている。
 
 

 その老人ホームは、街から離れた雑木林の中にあった。
 男体おろしが強く吹くときは、竹林が大きく揺すられ生き物のように躍動する。
 声をあげる。
 入居者はそれが通り過ぎるのをいきをひそめて待つ。
 ふくろうが鳴く夜は、ふるさとにいる家族を想い眠りにつく。
 
 キヌは朝方、夢を見た。
 早春のある晴れた日、葉の花が咲く土手を幼女が走っている。
 右手を空に突き出しおおきな口を開けている。
 叫んでいる。
 彼女の視線の先には、一羽の白い蝶が舞っている。
 気に入った花を見つけて、止まった。
 そっと手を伸ばす。
 逃げられた。
 ひとり残されたような気分になり、泣きだしてしまった。
 
 肩をゆすられ、目が覚めた。
 涙が頬を濡らしている。
 「どうしたの」
 介護人のひろみさんがいた。
 視線が定まらない。
 
 ようやく相手を認めてこたえた。
 「うううん、夢をみてたんだよ」
 「むかしのこと」
 「つぎはぎだらけの着物をきた女の子が、かけている夢」
 「ふうん。いい夢じゃないの」
 「モンシロチョウをつかまえようとしたんだけど、あと少しというところで逃げられちゃったんだよ」
 「それは残念ね」
 「九十にもなって夢を見るんだから、まだ頭がしっかりしているのかもね」
 「そうですとも。いろんな人と話をすると、賢くなるっていうよ」
 「そうだといいね」
 「この冬を越せばたくさんのチョウチョにあえるから、元気でいなくちゃね」
 庭の植木が長い影をつくっている。
 定刻通りに夕食をとった。
 体を温かいタオルでふいてもらった。
 
 いつのまにか眠ってしまった。
 葦でふいた屋根が見える。
 煙突から白い煙が出ている。
 秋刀魚の焼ける匂いが漂っている。
 裏木戸から年輩の女性が出てきた。
 「きぬう、きぬう」
 あの幼女が抱きついた。
 「ばかだよ。どこに行ってたんだ。メシできてっから早く食べな」
 
 「朝ごはんですよ」
 耳のそばで優しい声がした。
 「ううん。ありがとう。ベッドにずっといると頭がどうかしちゃうよ」
 
 「大丈夫、大丈夫」
 ベッドわきの壁に一枚、セピア色の写真が貼ってある。
 成人になった記念に撮ったものである。
 貧しい暮らしだったが、娘想いの父が配慮してくれた。
 「あれっこの写真。あなたの胸に白い蝶が止まっている。蝶の夢を見たって言ってたよね」
 「これはブローチなんだ。もらいもの」
 「あら、いいんじゃない。どなたにいただいたのかしら」
 「その人とは婚約したんだけど、戦争にいって死んでしまったわ」
 悲しみがこみあげた。
 
 視線を外した。
 「ごめんごめん。思い出させちゃたね」
 「いいよ、大丈夫」
 彼女は改めて、写真を見つめた。
 
 戦地から帰ってきたら一緒になろう。
 
 入隊したばかりの婚約者の声が聞こえた。
 ビル街のかなたに夕陽が沈んだ。
 辺りがたそがれてくる。
 昼間の暑気がビルの谷間に漂う。
 
 釜川の鯉は水面に背を見せ、上流をめざしている。
 川は、幅が狭いが深い。水量が少ないときは浅瀬が多くなる。
 昔は「あばれ川」の異名をとるほどで、大雨のたびに人々を悩ました。
 川に沿って小道が走り、柳を主とした街路樹が等間隔に植えられている。
 反対側は飲食店が連なる。深夜になると酔客でにぎわう。
 
 陽子はようやく午睡から覚め、鏡に向かう。
 慎重に化粧を始める。手鏡をのぞく。素肌が荒れている。シミやそばかすが気になる。
 唇も荒れている。口を開けるのがいやだ。歯ぐきの色が悪い。
 酒やたばこを控えようと思うのだが、客相手の仕事である。思うようにはいかない。
 鏡を変え、立ち姿を映してみる。すらりとした背格好は父ゆずりである。お気に入りだ。八頭身に近い。
 子供をふたり生んだにしては、おなかはそれほど出ていない。
 ダンスに誘う客が多い。
 アラフォーになったんだから、少しくらい体形がくずれてもしょうがないか。
 この仕事を始めた二十代後半に戻れるわけもないしと、思う。
 
 リーマンショック以来、店を訪れる客が少なくなった。
 バブル全盛期からはグラフで表すと右肩下がりの急な直線である。
 棚のボトルが少ない。キープする客が減った。
 ママの表情も当然険しくなる。
 「陽子ちゃん、なるべく休まないようにしてちょうだい。小さい子がいるからたいへんでしょうけど、お店も大変なの。売上げがないと、お給料だって払えなくなるしね」
 「はい、ママ。わかってます。一所懸命やります」
 
 ネオン街に灯りが点りはじめた。
 カラオケパブ「美咲」の店内は、客を迎える準備に忙しい。
 陽子は椅子やテーブルをわきに寄せ、床を掃く。テーブルやカウンターの上を丹念にふく。止まり木をならべる。
 ママは釣銭を用意したり、酒のつまみを料理している。
 いい匂いが店内に漂っている。
 
 陽子は常連客の義男のことを思っている。
 きのうはこの止まり木だったわ。ここにすわってくれた。
 きれいにしておかなくちゃ。
 どの客にも公平に接するのが当たり前だが、つけで飲み、払いが悪く、やたらと体に触りたがる男の扱いには手をやく。
 その点彼はスマートである。現金できちんと払いを済ませてくれる。タッチも快い。
 真夏の夕暮れである。
 昼間の暑気がまだ辺りに残っているが、爽やかである。
 北海道にいるのだ。
 
 一郎は少しでもいいから、陽子を元気づけようと思う。
 小樽運河沿いに小さな喫茶店を見つけた。
 若いが、少し疲れている。
 列車に乗りづめだったので、一休みすることにした。
 
 ヨーロッパ風の白い洋館だ。
 ドアを開けると、かすかに音がした。
 鈴の音が心地よかった。
 コーヒーの香りが漂っている。
 
 一郎は、熱いコーヒーを頼んだ。
 陽子は、レモンを一切れ浮かせてねと言って、温かい紅茶を注文した。
 「レモンは疲れがとれるのよ。あなたも同じのにしたら」
 「僕はいい。砂糖を多めに入れるから」
 
 コーヒーが先に来た。
 一郎は陽子を気遣った。
 「飲んでいいわよ。さめるとおいしくないから」
 一口すすった。
 すぐには呑み込まず、味わっている。
 本当においしい。初めてだ。
 疲れが一度にどこかにふきとんでしまうように感じた。
 
 二口目は音を立てて飲む。
 「熱いでしょ。そんな飲み方しちゃ」
 陽子が心配する。
 「大丈夫、大丈夫。ああっ、やっぱりだめだ」
 急いでグラスの水を飲んだ。
 「ほうらね。コーヒーはね。水を飲みながら飲むといいのよ」
 
 レモン紅茶が来た。
 陽子は目を細めて飲んでいる。
 「おいしい」
 「ええ、とっても」
 
 一郎は一冊の旅行本をとりだしページをめくり始めた。
 「今夜どうするの。予約してるの」
 「ユースホステルに泊まるつもりよ」
 「ああいいんじゃない。まだ決めてないんだよ」
 「ほんと世話の焼ける人ね。ひとりくらい大丈夫だと思うわ。あたしと一緒に行きましょ」
 「まいどおおきに」
 「まったくあなた、漫才師にでもなるつもりなの」 

遺影 その2

 仏前にすわった。
 水をいれたコップと、湯気の立つ小さな湯呑を仏壇の小棚にのせる。
 チンチンと鳴らし、両手を合わせる。
 小声で語りかける。
 ご先祖様、どうもすみませんでした。今まで気がつきませんで。
 すぐに行って取って来ます。お許しください。
 妻が寝室のふすまを内側から開けた。
 「二度寝入りしちゃったわ。ああもうこんな時間。遅くなるわ。起こしてくれればいいのに」
 時計の針が、午前六時をさしている。
 「ちょっと大切な用ができたんだ。古い家まで行ってくる」
 「どうしたのよ。朝早くから」
 まったくうちの旦那ったら、どうしちゃたんだろう。
 布団の中じゃ泣いてるし、起きたと思えば、出かけるしさ。
 
 五分くらい過ぎた。
 帰って来た。
 小脇に大事そうに何か抱えている。
 「何なの、それ」
 「写真だ」
 「誰の」
 「大切なご先祖様の写真だよ」
 居間のテーブルにのせる。曾祖母と曾祖父のものである。
 「どうしたの、これ。どこにあったの」
 妻は驚いている。
 新居に飾っているはずのものだったからだ。
 奥の間をのぞいてみる。
 ない。
 「バカだったわ、私。こんな大切なもの。忘れて今までほうっておくなんて。私のご先祖様なのに」
 「夢に出て来られたんだ。曾祖父様が。俺は婿さんだから、いつも気兼ねして言えないことがある。でも、こればっかりは、言わないとしょうがない。お前もここに婿に入った身の上だ。俺と同じだ。話し易い。俺たちの写真を古い家においたままだろ。早く取りに行っておくれ」
 
 夫が布団の中でつぶやいていたのは、これだったのだ。
 こんなことってあるんだ。不思議ね。でも安心したわ。
 ご先祖様がこの家にいらっしゃるって分かった。
 とてもうれしいわ。
 直系の妻は、ふたつ並んだ遺影をうっとりした表情で眺めている。
 

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